![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/d6/a258c434b948005e04585426f77a5431.jpg)
レギスタン広場からバスで5分ほどのところにあるグリ・アミール廟に行きました。
表記ではアミール・ティムール廟です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/08/0834ea75500bcce8dcdb35e51165f5e3.jpg)
グリ・アミールはタジク語で「支配者の墓」と言う意味。
ソ連時代に修復が始まり、1996年に修復が終了していて、とても綺麗でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/05/a4ce6c812483cb0b0e13efec4661c38b.jpg)
中庭には石の台と、直径1.5m位の石でできた樽があります。
この石台の上でお料理を出したとか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/39/a0f67fbca92713808eba1e5e89b3119d.jpg)
この樽のようなものはワイン桶。
戦の際に兵士の数を調べるため、桶から一人一杯分のワインを配り、残ったワインの量で
数を把握したそうです。
戦が終わるとまた出征の際に配った量のワインを桶に入れ、凱旋した兵士に一杯のワインを
飲ませ、何人の兵士が戻ってきたかを調べたとのこと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/84/5f297181cbe36fd86930bcf4e905278a.jpg)
廟の入口には説明が展示されていて、ティムールの時代がいかに凄かったかのガイドの
説明を聞きます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/b8/7c3a253db4090d789cb654bddc655269.jpg)
そして廟の中の見学をします。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/70/667cf4db78f2f4474ba828b713fe4207.jpg)
入口は落ち着いた雰囲気なのですが、廟内は豪華絢爛。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/e9/f8b0a3c88fb4e2004923981e3f0511f2.jpg)
ここでも修復時に3kgの金が使われたそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/4e/ead7f290dcdd39b26267fa1630311e9c.jpg)
天井もとても綺麗です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/c4/bce726fe6fb4c473345f8cef4a9c0464.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/cd/f3287fa7d8bbe0bf21aec8e5432211e9.jpg)
なんて書いてあるのか忘れました…
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/30/0568b8108b67c676654a477f63e9f513.jpg)
素晴らしいイスラム文様です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/5b/33a025abdb438242fcc3c2f9a5ec6d46.jpg)
ティムールの墓石は中央にある黒緑色のもの。
ティムールは自分の為にシャフリサーブスに廟を造っていましたが、遺言は実行されず
サマルカンドに埋葬されました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/f7/f6a5b73b06221afa05abc65f98216e02.jpg)
ティムールの墓の右側がムハンマド・スルタンの墓、上にあるのがティムールの教師である
ミルサイード・ベリケ、手前にあるのが孫のウルグベク、左に息子のシャールフ、
孫、息子のミランシャーの墓。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/56/7cefd5a8bb8bd0be549b8d095e941d1e.jpg)
実際の遺体は地下3mのところに安置されています。
残念ながら入れませんでした…。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/82/34fe69481307d90a9857e5c417783863.jpg)
1941年にソ連の学者達によって、ティムールの墓が開けられて、逸話通り
ティムールは足が不自由だったこと、ウルグベクは斬首され殺された事が証明されました。
尚、ティムールの棺の蓋の裏には「私がこの墓から出た時、最も大きな災いが起こる」という言葉が
刻まれており、学者が墓を開いた3日後に、ドイツ軍によるソ連の奇襲があり、第二次世界大戦に
ソ連も突入しました。
その後畏怖を抱いたソ連は蓋を鉛で溶接し、その後二度と開けていません。
廟の裏側。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/b3/b5ad14f5560a9587f26edf9acd47efe1.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/ce/d0d6e20fd4c84cdb0fcd4c87874e34ff.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/43/c1d0c8657cca8002221ad9461998c568.jpg)
中庭は面白い造り。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/c0/7a7a29b293a559f3f5141068a7bba941.jpg)
尚、中の見学はしませんでしたが、グリ・アミール廟の隣にあるルハバッド廟。
14世紀の建物。ルハバッドとは麗の住みかという意味だそうです。
ムハンマドの髪の毛が納められていることから有名になりました。
表記ではアミール・ティムール廟です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/08/0834ea75500bcce8dcdb35e51165f5e3.jpg)
グリ・アミールはタジク語で「支配者の墓」と言う意味。
ソ連時代に修復が始まり、1996年に修復が終了していて、とても綺麗でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/05/a4ce6c812483cb0b0e13efec4661c38b.jpg)
中庭には石の台と、直径1.5m位の石でできた樽があります。
この石台の上でお料理を出したとか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/39/a0f67fbca92713808eba1e5e89b3119d.jpg)
この樽のようなものはワイン桶。
戦の際に兵士の数を調べるため、桶から一人一杯分のワインを配り、残ったワインの量で
数を把握したそうです。
戦が終わるとまた出征の際に配った量のワインを桶に入れ、凱旋した兵士に一杯のワインを
飲ませ、何人の兵士が戻ってきたかを調べたとのこと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/84/5f297181cbe36fd86930bcf4e905278a.jpg)
廟の入口には説明が展示されていて、ティムールの時代がいかに凄かったかのガイドの
説明を聞きます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/b8/7c3a253db4090d789cb654bddc655269.jpg)
そして廟の中の見学をします。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/70/667cf4db78f2f4474ba828b713fe4207.jpg)
入口は落ち着いた雰囲気なのですが、廟内は豪華絢爛。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/e9/f8b0a3c88fb4e2004923981e3f0511f2.jpg)
ここでも修復時に3kgの金が使われたそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/4e/ead7f290dcdd39b26267fa1630311e9c.jpg)
天井もとても綺麗です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/c4/bce726fe6fb4c473345f8cef4a9c0464.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/cd/f3287fa7d8bbe0bf21aec8e5432211e9.jpg)
なんて書いてあるのか忘れました…
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/30/0568b8108b67c676654a477f63e9f513.jpg)
素晴らしいイスラム文様です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/5b/33a025abdb438242fcc3c2f9a5ec6d46.jpg)
ティムールの墓石は中央にある黒緑色のもの。
ティムールは自分の為にシャフリサーブスに廟を造っていましたが、遺言は実行されず
サマルカンドに埋葬されました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/f7/f6a5b73b06221afa05abc65f98216e02.jpg)
ティムールの墓の右側がムハンマド・スルタンの墓、上にあるのがティムールの教師である
ミルサイード・ベリケ、手前にあるのが孫のウルグベク、左に息子のシャールフ、
孫、息子のミランシャーの墓。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/56/7cefd5a8bb8bd0be549b8d095e941d1e.jpg)
実際の遺体は地下3mのところに安置されています。
残念ながら入れませんでした…。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/82/34fe69481307d90a9857e5c417783863.jpg)
1941年にソ連の学者達によって、ティムールの墓が開けられて、逸話通り
ティムールは足が不自由だったこと、ウルグベクは斬首され殺された事が証明されました。
尚、ティムールの棺の蓋の裏には「私がこの墓から出た時、最も大きな災いが起こる」という言葉が
刻まれており、学者が墓を開いた3日後に、ドイツ軍によるソ連の奇襲があり、第二次世界大戦に
ソ連も突入しました。
その後畏怖を抱いたソ連は蓋を鉛で溶接し、その後二度と開けていません。
廟の裏側。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/b3/b5ad14f5560a9587f26edf9acd47efe1.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/ce/d0d6e20fd4c84cdb0fcd4c87874e34ff.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/43/c1d0c8657cca8002221ad9461998c568.jpg)
中庭は面白い造り。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/c0/7a7a29b293a559f3f5141068a7bba941.jpg)
尚、中の見学はしませんでしたが、グリ・アミール廟の隣にあるルハバッド廟。
14世紀の建物。ルハバッドとは麗の住みかという意味だそうです。
ムハンマドの髪の毛が納められていることから有名になりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/29/e5834d1ec8150d6759109c2aca5f724c.jpg)