マヨの備忘録・・・マヨのぼやきから

いろいろあったな・・・真実を知りたい!この一心で始めたブログだったが、知れば知るほど世の中の闇は深くなるばかり・・・。

光と闇とは

2009-03-08 09:16:09 | ぼやき

私は宗教や哲学が苦手で(頭がわるいからといううわさも・・・)、その手の話題は近寄らないようにしている。それでも、日本に色々な部族が人と言語と宗教を持ち込んだ事は明らかであるから、古代史を学ぶ上で、それらを避けて通る事はありえないことであります。

ところが、日本には古来より神道が存在し、奈良時代以降、仏教が渡来した、と教科書的に解釈すると、いかにも狭い歴史観しか身に付かないのではないだろうか。つまり、もっと色々な宗教が渡来していたということだ。

私はシルクロードから伝わってきた宗教のうち、ミトラ、ゾロアスター、マニ、景教らの存在ががすっぽり抜け落ちていると思っている。景教は空海が持ち込んだといわれ、これはユダヤ教的キリスト教と見られ、たぶん、キリスト教というよりアヘンや金の精錬の秘法が主で、その証拠に、空海自体が偶像となり信者に崇拝されている。問題はマニやゾロアスターなどの二元論の宗教である。東大寺のお水取りや各地の神社で使用される松明には、単に明るさのためというより、宗教に必要な神秘性が見られる。要は、彼らの宗教は深くその存在を隠し、在来の宗教の中に身を潜め、伝来した事を知られないようにしてきたといわざるを得ない。

なぜそのような事を言うかというと、以前、私もある人から攻撃を受け、「あなたは闇だ。」といわれた事がある。それでは闇の反対は光だから、あんたは光か・・・。ということになる。

そんなことがあった中で、たまたまwebでマニ教を調べていたら、そこで・・・・

「教義は複雑きわまりないが、簡単にいえばヘレニズム的二元論であろう。まず、世界は光(霊的なもの)と闇(物質的なもの)からなっている。人間の肉体は闇の領域に属するが、光の破片も持っている。これを救い出すためには、光の領域に関する知識と禁欲的な生活が必要である。そのうち、イエスが最後の審判にあらわれる。光の破片はすべて救われて、光と闇は永遠に分かたれるという。」・・・・・と書いてある。

この説明自体私には理解不能だが、ある人等がいつも振り回している理論的な原点がこの辺りにあるのではないだろうか。もちろんマニが色々な宗教を混ぜ合わせて変わってきたものだから、ミトラ教とは多少ちがうだろう。しかし、ゾロアスターもマニも根っこは同じようなものではないか。専門家に笑われるかな?

そんなことは良い、問題は、現代においても、その「光と闇」の二元論がネットの中に生き続け、あたかも哲学のような顔をした宗教活動をしていることだ。つまり、古代に渡来したミトラ教やゾロアスターが、その姿を隠しながら、現代も活動しているとしたらとても不気味ではないか。私は宗教を必要としていないから、かれらの主張する「教え?」はまったく心に響かないが、オームに入信したような頭が良すぎる人たちは危険だな。彼らの唱える無意味な言葉に、もともと以上の意味を見出したらあなたは危ない領域にいる。ご注意してください。

別にミトラやゾロアスターなどを邪教と決め付けているわけではない。表向き違う名前で活動し、実は根本が宗教なのが気に入らないのだ。ただ、もともと太陽信仰として渡来し、古代に輝いていたが、その後に渡来した部族によって弾圧され、地下に潜らざるを得なかったとしたなら、それはお気の毒な事で、早く表に出られる事をお祈りしたい。栗本氏によれば、飛鳥の地がシリウスの都で聖方位を持つミトラの都だったという。私は鹿島神宮が聖方位である事を認めるが、飛鳥に聖方位があったと認めることはできない。ましてや飛鳥が蘇我氏の聖地であった事もみとめない。それにしても隠されているそれらの宗教を見つけ出すのはなかなか根気の要る仕事である。