これは郵便局です↓
一見、何の変哲もない郵便局ですが・・・・・・・・・・
近づいて見ると・・・・・・・・・・・・・・・
ハンビー郵便局とあります↓
はて?ハンビーって、何でしょうか?
少なくても日本語ではないですよね・・・・・・・・
実はこの一帯は北谷町ハンビー地区といって、かつては米軍の海兵隊基地だったのです。
1981年以前は当時の1号線通り(現在の国道58号線)添いに長さ1035m、幅30mのヘリコプター飛行場が横たわっていたのです。
その名もハンビー(HAMBY)飛行場といいました。
空撮写真↓中央部の縦に細長い地域がハンビー飛行場跡ですが現在は商業地帯となっています。
写真を縦断する国道58号線の右側は上から米海軍基地キャンプレスター、米海兵隊基地キャンプフォスターとなっており民間地域はちょうど海側に押し出された格好となっています。
実は北谷町の面積の50~60%近くは米軍基地なんですね~
海岸線一帯↓は上部の海側に出っ張った部分が北谷町美浜地区で中央部から下部にかけてハンビー地区ですが別名アメリカ村といわれている商業地区です。
出っ張っている美浜地区は実は都市再開発時に埋め立てられてできた地区なんです。
そしてこの地区はなんと嘉手納空軍飛行場(上部)と普天間海兵隊飛行場(下部)の間にサンドイッチになっているのですよ~(写真には写っていない)
私の記憶では当時の1号線通り(国道58号線)を通過する時はフェンス越しに米軍の戦闘ヘリコプターが離着陸訓練をしている様子を目の前で見ることができました。
それこそホントに目の前20m位?の至近距離で軍事用ヘリコプターが訓練している様は圧巻でした。
今ではそういう光景を見るのは難しいのですが、当時は日常生活の中で当たり前の光景として映っていました。
現在、この地域は米軍基地返還後の跡地利用としては一番の成功例として取り上げられています。
1981年12月に返還されて約25年が経過した今、かつての米軍ヘリコプター飛行場がアメリカ村という商業施設として生まれ変わり毎日多くのレジャー客が訪れます。
上・観覧車 下・飲食店街
↓ショッピング店、その名もアメリカ屋
↓ハンビー地区のアラハビーチ(東シナ海)
↓ビーチから北方向に美浜地区を臨む
かつては米軍基地が君臨した、この海岸地区は現在は多くの訪問客を集めるレジャースポットとして名を馳せています。
そして皮肉にもこのスポットはアメリカ村(アメリカンビレッジ)として有名です。
ちなみにウチナーグチ(沖縄方言)ではアメリカ人のことをアメリカーといいます。
なんとなく英語っぽいでしょ?
それから本土の人のことを、大和人→ヤマトゥー、あるいは内地人(ナイチャー)といいます。
共通点はいずれも語尾を伸ばすことですね。(英語と同じ→語尾にerを付ける)
さて、話を戻します・・・・・・・・・
このアメリカ村が成功したのはある意味、米軍基地の跡地利用としてアメリカをキーワードにしたのが幸いだったのかも知れません・・・・・・・・・・・・・・
基地に反対しつつ、アメリカは受け入れる、そういうところにウチナーンチュ(沖縄人)の心の広さ?があるのでしょうか?
さて、そろそろ紙面が尽きてきました。
次回をお楽しみに・・・・・・・・・・・・
アンシェーヤ!(それでは!)