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『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

天王寺屋の了雲(てんわうじやのりょううん)

2018-04-27 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
天王寺屋の了雲(てんわうじやのりょううん)

〔現代仮名遣い〕てんのうじやのりょううん

※下線部は信長公記以外の記事によります。


信長公記本文では「竜雲」。堺の町人で茶人。

津田宗柏の三男で天王寺屋了専の養子となった。

武野紹鷗流の茶道を学ぶ。

1577年3月若江に在陣中の信長に、名物花入れ

    「化狄」を供出。

1582年6月の本能寺の変で焼失したという。


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