天王寺屋の了雲(てんわうじやのりょううん)
〔現代仮名遣い〕てんのうじやのりょううん
※下線部は信長公記以外の記事によります。
信長公記本文では「竜雲」。堺の町人で茶人。
津田宗柏の三男で天王寺屋了専の養子となった。
武野紹鷗流の茶道を学ぶ。
1577年3月若江に在陣中の信長に、名物花入れ
「化狄」を供出。
1582年6月の本能寺の変で焼失したという。
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※下線部は信長公記以外の記事によります。
信長公記本文では「竜雲」。堺の町人で茶人。
津田宗柏の三男で天王寺屋了専の養子となった。
武野紹鷗流の茶道を学ぶ。
1577年3月若江に在陣中の信長に、名物花入れ
「化狄」を供出。
1582年6月の本能寺の変で焼失したという。
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