『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

矢代勝介(やしろかつすけ)

2019-10-30 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
矢代勝介(やしろかつすけ)

<現代仮名遣い>やしろかつすけ


不詳。関東のもの。

1581年1月安土での馬場入りに信長の馬に乗り

    参加。

1581年2月京都の馬揃えで、信長の馬に乗る。

1582年1月爆竹馬場入りのとき、信長は仁田か

    ら進上された「やばかげ」・奥州から

    進上された「駮の馬」・「遠江鹿毛」

    の名馬三匹を乗り回し、矢代勝介にも

    乗させた。

1582年6月明智光秀が本能寺の信長を襲撃する

    と、厩から切って出て討ち死に。


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