経済(学)あれこれ

経済現象および政策に関する意見・断想・批判。

南京事件のユネスコ記憶遺産登録に思う

2015-10-11 19:02:28 | Weblog
南京事件のユネスコ記憶遺産登録に思う
  昨日の新聞報道によれば国連のユネスコがシナが申請した「南京事件(シナでは南京大虐殺事件と言っている)を正式に登録したと伝えられる。日本人の名誉に関することなので以下に反論する。私が理解し記憶した範囲で整理し叙述しておく。
 まず確実に解っていることは二点だ。南京事件に関して証拠は一切ない。伝聞によるだけだ。もう一つは過去日本政府はシナ政府に南京事件に関しての調査を申し入れている。客観的な証拠があるかないか調べようということだ。簡単にいえば南京市の土地を掘り返せば、もしシナ政府の言う通りなら白骨が10万か20万は出てくるはずだ。DNA鑑定を使えばシナ人の骨かどうかは解る。この申し入れはシナ政府により妄言としてしりぞけられた。つまりシナ政府は客観的な証拠発見を拒否したわけだ。
 シナ政府が調査を拒否する以上南京事件に事実性はない。死者数(とやらの)の数値も曖昧である。30万と言ったり20万といったり時には100万とも言う。南京に果たして30万人住んでいたのかも解らない。だいたい当時のシナ政府には正確な人口統計は存在しなかった。現在でもそうらしい。南京に虐殺記念会館とかいう施設がある。そこに展示されている事物には偽造が多い。写真などは簡単に偽造できる。シナ政府の言い分には透明性がないのだ。曖昧でいい加減なのだ。20年前に報道された蘇州100万人殺害という記事もある。さすがにあからさまに客観性を欠くので立ち消えになったが。
 南京攻略作戦には多くの作家が宣伝のために従軍した。彼らの口から虐殺が語られたことは戦前戦後を通じて一切ない。従軍記者からも当事者である従軍兵士からも語られていない。もし虐殺が事実なら一人や二人は語っているはずだ。それが昭和50年代半ばごろから話題になってきた。当時朝日新聞の本多勝一記者が「中国の旅」という旅行記事で万人孔千人孔ということを述べていた。万人孔とは日本軍が当時の住民を一万人殺して埋めた穴という意味だ。その種の穴が数百数千もあったと本多氏は書いている。その話が事実なら日本軍は数千万人のシナ人を殺したことになる。この種の穴はいっさい発見されていない。疑問に思った読者が朝日新聞に問いただしたら答えは、当社は知らない本多氏に聞いてくれということだった。本多氏からの返答はない。南京事件が話題にされだしたことはアサヒの記事と関連する。アサヒの罪は大きい。
 まぎらしい事実がある。シナの軍隊の兵士は戦況が不利になると民間人に変装する。便衣兵という。この便衣兵が攻撃してくる。当然日本兵は反撃する。民間人のかっこうをしているので民間人も巻き込まれることもある。こういう事情なので日本兵が民間人を殺した可能性はある。また便衣兵を民間人としてカウントされている可能性もある。また南京には指揮官がいなかった。蒋介石はさっさと首都である南京をすてて重慶に逃げていた。蒋介石から指揮権を移譲された南京防軍総衛司令官も戦況不利と見るや南京を捨てて逃げた。あとは烏合の衆だ。シナ兵は降伏する。ところで南京作戦では攻めた日本軍より守るシナ軍の方が多かった。降伏した捕虜は逃亡したり反撃したりする。少数の日本兵が極めて多数のシナの捕虜を監視する。日本兵としても不安でしかたがない。こういうことでの死者もあっただろう。
指揮官不在、烏合の衆、大量の捕虜、捕虜の逃亡反撃、多数の便衣兵の存在などを考慮すれば2万人くらいの死者は想定される。しかしそれは虐殺ではない。ひとえにシナ軍の無責任のせいだ。ちなみに当時の戦争法規では逃亡したり反撃する捕虜は殺してもよかった。制服を着用しないで戦闘行為する者はスパイとして処刑してもよかった。それはそうだろう。捕虜に反撃されると肝心の戦闘が遂行できないし兵士の命が危ない。仮に私が従軍していれば民間人で危ないと思えば射殺していただろう。私も生きて帰りたいのだから。
 戦争にも文化的伝統は反映される。シナの文化は虐殺文化だ。例証しよう。シナの戦国時代末期秦の将軍白起は趙の降参兵士40万人を穴埋めで殺している。同時期楚の項羽は秦の降兵20万人を同じく穴埋めにしている。項羽は秦の首都咸陽を攻略したとき略奪し焼き払っている。当然殺害と強姦は伴う。シナの軍隊は勝てば略奪しなければすまなかった。指揮官がそれを拒めば不平たらたらで戦意に影響した。このことは西欧の傭兵軍にもアメリカの騎兵隊にもあてはまる。例外は日本くらいだろう。続けよう。六世紀シナの南朝に梁という王朝があった。梁の首都南京が(当時は別名)が反乱軍に攻囲され陥落する。この時大虐殺が起こっている。この虐殺で南朝の貴族階級は全滅する。下って近代、太平天国の乱が起きる。太平天国の軍が南京を攻略する。大略奪と大殺害が起きる。逆に太平天国の軍が清政府軍に攻略されたときにも同様の現象が起きている。人間は自国の文化の伝統と習慣に従って行動する。だから自国の民に対するように他国も対応するだろうと思う。シナ人は自分たちならそうふるまうだろう(虐殺略奪するだろう)と憶測して、だから日本軍はそうしたはずだと、嘘八百をでっちあげた。南京事件に事実性は全くない。事態はむしろ逆だ。通州事件というのがある。1930年代蒋介石が北伐で行軍途中通州という町を通った。その時在留していた日本人数百名が虐殺されている。むごたらしい極みの光景だった。女性は強姦され性器に棒を差し込まれ口には石をつめこまれ四肢は切り取られていた。これは事実だ。旧内務省の資料にちゃんと載っている。日本には虐殺文明はない。城を落としても周囲の住民を虐殺するなんてことは一切なかった。というより日本の都市には城壁がない。城壁で囲まれた防衛都市はない。住民が直接攻撃の対象にならないから住民を守る必要がなかったからだ。ちなみに城壁をもつ都市がないのは世界中日本くらいだろう。自国民を虐殺しない日本人が他国民を虐殺するはずがない。人は国内でやるようなことを他国でもやるのだ。
 三光作戦とかいう言葉がある。奪い尽くし犯し尽くし殺し尽くすのだそうだ。シナ人は日本軍がそういうことをやったと悪宣伝している。「三光」の「光」という字だが日本人は単に「ひかり」としか意味をとらない。しかしシナ語ではまったく違う意味になる。「光」は「ぐあん、guang」と読み意味は「尽くす」ことだ。日本人にはこの意味は全く解らない。解らない意味を使って言葉ができるはずがない。三光作戦という言葉はシナ人の造語だ。自分達ならそうするだろうから日本人もしたはずだという憶測から出た悪意に満ちた言葉だ。
 世界の歴史に会って日本にないものの一つが奴隷制度だ。シナには奴隷制度があった。歴史の始まりからシナでは征服戦争が繰り返されていた。捕虜は奴隷になる。奴隷は時として生け贄にされ神にささげられ殺された(特に殷王朝)。捕虜が食われることもあった。9世紀末黄巣の乱では捕虜は肉団子にされて食料となった。奴隷は殺害自由だった。シナの虐殺文化の持つ根は深い。
 嘘つきシナの例証となる二つの案件を挙げよう。まず天安門事件。1989年自由を求める学生数百名が天安門広場で戦車と機関銃により殺害された。この事件はシナ以外の国では周知の事実であるが、シナ政府はこの事実を否認している。孔子学院というシナ政府の在外学術機関(実態は宣伝)は外人講師に、天安門事件には触れてくれるなと言明している。嘘の典型だ。もう一つネットによるサイバ-攻撃がある。サイバ-攻撃のほとんどがシナ発だ。多くは政府機関が関与しているという。目的は他国の情報特に技術情報の盗奪だ。シナとは頭の頂点から足のつま先に至るまで嘘で重ねた国だ。嘘つきの言うことは信じられない。
 シナ経済は低迷している。20年前に切り上げた元の対外レ-ト30%の重みに耐えられず元切り下げに動いている。ちなみに日本円は過去対ドルレイトで300%以上の切り上げをしている。低迷する経済にあえぐシナは何をしてくるかもしれない。
 ユネスコに問う。いかなる根拠に立って南京事件を事実と判断するのか。誰がどの国の人間がそうと判断したのか。資料を公開し、判断したメンバ-といきさつをはっきりさせ、判断の透明性を知らしてもらいたい。歴史をある程度丹念に読めば解ることだが、およそ他国の歴史ほど解らない、逆に言えば深甚なものはない。日本とシナの関係を果たしてアフリカや中東の歴史家に解るだろうか。ユネスコが明白な回答をよこさない限り日本政府はユネスコへの寄付金を停止すべきだ。
 最後に世界記憶遺産そのものに疑問を抱く。記憶遺産とは多くの場合歴史資料ということになるが、何が真実であるかは判定しにくく立場によって異なる判断がなされる。記憶遺産など廃止した方がいい。諸国間の疑念と闘争を煽るだけだ。ユネスコなどの公的機関に何が真実かを判断する権利を与えるべきではない。この種の好意は結局歴史認識の統御そして最終的には一種の独裁制に繋がる。真実は民間で自由に討議討論させておけばいいのだ。
(付論)解らないことが一つ。日本軍は南京以外の地、徐州、武漢、上海などでも戦っているがシナはこれらの地で虐殺云々は言わない。なぜなのか。当時南京が首都でありその首都をあっさり落とされたからなのか。体裁をつくろいたいのか。