経済(学)あれこれ

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源氏物語と枕草子

2009-04-16 12:33:50 | Weblog
 「源氏物語」と「枕草子」---「一条天皇」補遺

 一条天皇の御代のお話といえばやはり日本史を代表する二人の才媛です。才媛という呼称は適当ではありません。二人は天才ですから。この二人、紫式部と清少納言が作った作品が「源氏物語」と「枕草子」です。これは常識。知らない人は日本人とは言えません。

 紫式部は970年ごろと言いますから、冷泉天皇か円融天皇の御代に生まれました。本名は解りません。式部は父親の官職名。後、女房奉公に出て藤原氏であるので藤式部と、さらに「源氏物語」が有名になり、ヒロイン「紫の前」にちなんで紫式部と言う名で後世まで通っています。父親は藤原為時、北家傍流の中下級貴族、著明な学者でもありました。あまりうだつが上がらなかったのですが、花山天皇の時、出世のチャンスに恵まれます。蔵人式部丞に任命され天皇の側近として仕えることになります。しかしこの夢は花山事件で破られ、以後10年間の逼塞を強いられます。この頃式部は思春期を迎えます。花山事件は典型的な宮廷内陰謀で、式部が後年、物語を書く時参考になったと想像されます。父親が不遇であったためか、式部は晩婚です。
 
 道長の代になり為時は日の当たる場所に出ます。越前守に任命され、式部も父親について任地に下ります。この間藤原宣孝から求婚されます。後妻です。式部はためらいますが、宣孝の懇請に負けて結婚します。29歳。当時としては相当な晩婚です。一女賢子を産みますが、式部32歳時宣孝死去。この頃から「源氏物語」が書き始められたようです。36歳中宮彰子のもとに女房として奉公します。
当時の宮廷で、清少納言の令名は高いものでした。少納言は道隆の中関白家出身の定子中宮に仕えます。「枕草子」はこの家の栄華を飾り誇り顕示するために書かれたのではないのかと思われるほどの作品です。道隆に代わり政権を取った弟の道長は兄の栄華を忘れられなかったのでしょう、清少納言にも劣らない才媛をと探した末に、当時そろそろ有名になりかけていた紫式部に白羽の矢を立てました。式部は女房奉公が嫌いでしたが、道長の要請を断ることはできません。式部は道長の子女彰子中宮に奉公することになります。時に中宮17歳、式部36歳でした。式部は中宮の家庭教師でもありました。

 女房奉公する中、源氏物語は書き進められ、1100年ごろ完成します。はじめは式部が手慰み程度に書いていたものが、宮廷で有名になり、次第に加筆されて現在のようなものになったと推定されます。しかし今でこそ源氏物語といえば日本文学の代表で、それを読む事は知性を誇るに足る行為ですが、当時の物語の地位は低かったのです。所詮女子供の慰み物、今でいえばTVドラマ程度にしか考えられていませんでした。だから読者が適宜加筆訂正し続けた可能性はあります。後年新古今の歌人藤原定家が編纂しなおし大体現在の形が整いました。

 物語のあらすじは以下のとおりです。卑母の胎から生まれた「光」は才能容貌体躯心情のどれをとっても万能の天才でした。彼「光源氏」は父帝の正妃である藤壺中宮と密通し子供を設けます。父帝死後そして兄の帝の退位後、藤壺と光は計って二人の間の子を帝位につけ政権を握ります。源氏は登り登って太政天皇とまでいわれます。しかし因果はめぐり、わが子同然にかわいがっていた柏木に正妻女三宮を寝取られます。二人の間に出来た薫を自分の子として育てなければならなくなります。輪廻転生、そして宇治十帖という魔界が続きます。ではこの物語の主題はなんでしょうか?それは、権力とエロスの相互関係、あるいは権力の基礎前提としての近親相姦(禁忌)です。その意味で源氏物語は一見詩情にあふれた観を呈しますが(これを本居宣長は、もののあわれ、と言いました)その内実はリアルな政治思想そのものです。

 式部は権力欲の強い人だったかも知れません。というより権力という代物に強い関心を抱いていたと思われます。17歳の中宮に20歳以上も年齢の違う式部が女房として奉公するとき、その仕事がお茶汲みや縫い物などであるはずがありません。まして学者の家に生まれ、すでにベストセラ-をものしている才女となると、その才能が見込まれていたはずです。勢いとして式部は中宮の顧問か相談相手のような役割も果たしていたのでしょう。そういう傍証もあります。摂関政治では母后の力が物を言います。女性の力は決して小さくはなかったのです。彼女の娘は後、後冷泉天皇の乳母として宮廷に隠然たる影響力を持ち、大弐三位と呼ばれました。「紫式部日記」は娘の奉公指南のための本とも言われています。また式部の性格もかなりしつこくねっちりしていて結構謀才に富んでいたのかもしれません。大弐三位の家、勧修寺家(この家と式部の家柄は極めて親密な関係にありました)は明治維新まで羽林か名家の格式で残ります。

 清少納言は紫式部より少し前に生まれています。例によって本名も生年月日も解りません。父親は清原元輔といいかなり有名な歌人でした。祖父深養父も同様です。清原氏の祖は天武天皇の皇子舎人親王、日本書紀の最高編纂者として名を残した人です。清少納言はそういう祖先、特に祖父や父親の歌才を誇りにし、同時に劣等感も持っていました。百人一首に出てくる彼女の歌は上手いとはいえません。彼女は父親50歳代の時に生まれました。橘則光と結婚しやがて離婚します。やがて定子中宮に奉公します。清少納言は紫式部と違い、宮廷生活が楽しくて楽しくて仕方がなかったようです。主人である中宮、一族の中関白家の人々の立派さを賛嘆し、「私の御主人たちはこんなにりっぱなのですよ」という空気が「枕草子」の記述から浮かび上がってきます。

 当時炭と油は貴重品でした。清少納言の家も貴族でしたが、彼女の家程度では炭や油を十分には使えません。奉公して中宮の傍にいるとこの貴重品がふんだんに使われます。目くるめくようなこの明るさが、「枕草子」の特徴の一つです。1000年、中宮定子は一男一女を残して他界します。以後清少納言が誰かに仕えたという話はありません。彼女は中宮に殉じた余生を送ったのでしょう。

 「枕の草子」の内容は、類聚章段、ものづくし、宮廷交際録、および季節の描写からなります。前二者は当時の生活風景の描写です。それを作者は、直感的に分類し整除して語ります。この辺を読めば当時の人々が、別に貴族とは限りません、どういう花を愛し、どんな虫を喜んで飼い、どんな時にうんざりした・喜んだとか、名山名勝、有名な寺院などなどが解ります。宮廷交際録は宮廷社会をそこに住む人々の私生活の面から描きます。同時に主人である中宮と自分自身の自慢話もふんだんに盛り込まれています。定子中宮も清少納言も衒学的で(事実学識は高かったのです)しかもそれを使った機知ある会話が大好きでした。「香炉峰の雪」はその代表です。

 「枕草子」を読むと、日本語もそろそろ成熟してきたなと思います。当時から約50年前、村上天皇の御代から歌合せが盛んになりました。左右に歌人達が分かれて歌の優劣を競います。パ-ティですからどうしても女性の存在は必要です。才能ある女性の登場が始まります。和歌の贈呈が盛んになると、和歌の作り方の指南書も現れます。こうして和歌を作る作法、特に使うべき言語が歌言葉として確立します。和歌の製作は固定化され形式化されますが、同時に感情や美を語る言語は豊富になります。「枕草子」の出現はそういう時代背景、才ある女房達の登場と歌語の確立という事情を、背景として登場しました。

 「枕草子」はともかく明るいのです。暗い憂鬱なものはこの作品には無関係です。そんなものも明るくまた諧謔的に描かれます。だから時として描写は辛らつにもなります。まず作者自身の感性をバ-ンと冒頭に投げ込み、それに属する事項を次々に並べます。直感的で、直線的で時に飛躍する分、なかなかに深遠な部分も含みます。

 清少納言と紫式部は性格が正反対のようです。前者は直感的で自分の感性それ自身を大切にします。言いたいことを言い、嫌われてもあまり動じません。式部はしんねりむっつり型です。自分の本音を抑え、非難されないように用心し、だからその分執念深いようです。二者の文体は全く違います。清少納言はそれまでに確立した言葉を自己の感性で強烈に彩り、それを空高く放射します。式部は既存の言語を磨きあげ、それを自分の作品の中でどう使うか検討し、研究し、新しい言語の用法を創造します。「枕」も「源氏」もともに難しい作品です。前者では作者の回転し飛躍する感性について行くのに苦労し、後者では、うねうねとして曲がりくねった文体を理解するのが大変です。

一条天皇の御代を中心とする前後100年を王朝時代と言います。村上天皇から後冷泉天皇の御代までを指します。政治的には摂関政治の時代ですが、同時に女流文学全盛の時代でした。というより日本語あるいは日本文学はこの時代の女性達によって確立されたと申せましょう。初めて「我」というものを見つめた右大将道綱の母、「女」を焦点としてその感性と情緒を描いた和泉式部(私は彼女を史上最高の歌人だと思っています)、日本史上で始めて個人が著した歴史書(栄華物語)を書いた赤染衛門、清少納言と紫式部、物書きの心情告白第一号となった「更級日記」の著者菅原孝標の娘などなど、ほとんど名も解らない才媛たちにより日本文学は確立したといえます。こういう歴史は他の国のどこにもありません。

「枕草子」初段に「春は曙、夏は夜、秋は夕暮れ、冬は朝」というくだりがあります。各季節の見どころ、を簡潔に描いた部分ですが、200年後鳥羽上皇がこれに反対する和歌をたくみに作られます。少納言は少納言、上皇は上皇の感性です。


   「天皇制の擁護」
  中本征利著  幻冬舎出版  四六版 301ペ-ジ 定価2100円
   目次-記紀・源氏物語・愚管抄、親鸞そして日蓮、徳川合理主義、天皇は文化の守護者、王家の系譜、古代ギリシャ、ユダヤの神、パウロとアウグスティヌス、アングロ・サクソンの政治、アングロ・サクソンの思想
    統治、君主

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