観光と慰安婦
観光と慰安婦という全く別個の事柄はどう結びつくのでしょうか?この二つを考察すれば面白い結論が出てきます。その結論とは、日本は他国にとって未知の不可解な国だということです。
観光、近時日本への観光客は毎年激増しています。観光客の多くが日本の社会と文化を称賛時し驚嘆して帰ります。今更とは思いますがやっと日本の文化が評価されだしたということになります。その負の側面が慰安婦問題です。根拠なく執拗に慰安婦の強制連行というありもしない事柄が国連などで言いふらされています。日本という国が異端視されているからです。
観光と慰安婦という異質な主題は、日本が未知不可解な国という事で結びつきます。
なぜ日本は不可解な国なのでしょうか。不可解な国と思われているのでしょうか。理由の一つは地理的事情にあります。日本はユ-ラシア大陸の東端にあり、海で隔てられています。しかもかなり荒れる海です。加えて隣国は大陸志向の国々です。他国では通常見られる民族の混交は日本では起こりません。英国と比較すればその差は歴然とします。英国では民族の侵攻そして混交は六度起こっています。ユ-ラシア大陸の西端に位置しますが、隔てる海は比較的平穏でローマ、ノルマンという海洋志向性を強く持つ国や民族を隣人に持ちます。為に英国はたびたび他民族の襲来を受けました。
日本の文化の特異性を考える場合隣国であるシナの王朝の存在は重要です。シナは内陸志向の国です。そして早くから文化を持ち、民族が混交しつつ膨張してきました。従ってあらゆる文化の移動は一応シナで終点となり、日本への文化の移動はシナを出発点とすることになります。加えてシナの文化は自己愛的で他国の存在を認めようとはしません。そういう理由で日本の文化はシナの影になりやすくできています。日本の文化は独自性を持ちながら、シナの亜流とみなされがちでした。
日本の文化社会が未知不可解とみなされやすいもう一つの理由が天皇制の存在にあります。男系で万世一系の天皇の存在は世界史上例外的で、他にこのような例はありません。皇統125代、歴史的に実証される存在としての継体天皇から数えても100代1500年にわたります。また英国を例にとりますと、英国の王統は1000年、そしてこの間八つの王朝が交代しています。日本の皇統のようななだらかな連続性に欠けます。
ではなぜ日本の天皇制は安定しているのでしょうか。理由は1000年前に起こった摂関政治による権力の二重性、権威と権力に分化にあります。日本の政治はこの権力の二重性を以後ずっと保持してきました。幕府政治が典型です。権力の二重性ゆえに権力の交代は天皇制の下で起こり、天皇の存在自身は永久的に安泰でした。
安定した皇統の存在は日本の国に何をもたらしたでしょうか。答えは文化の連続性です。文化は安定した政治のもとに連続し蓄積されます。天皇自身が文化を主宰します。解りやすい例証を挙げれば、大嘗祭、和歌の編纂、古今伝授、禁中ならびに公卿諸法度などがあります。公卿諸法度は江戸時代初期に幕府が定めた掟で、天皇および公卿は伝統文化を保持し修練すること、という内容をもちます。
結果として天皇は文化の守護者になりました。天皇は早くから祭儀の主催者になります。祭儀は文化の根源です。あらゆる文化は祭儀に由来します。こうして日本の文化は安定した連続性を保持しつつ蓄積され独自なものとなりました。文化の創造性はその文化が安定して蓄積されることにあるいうことは認識しておきましょう。
天皇制という他国には不可解な制度が日本文化を異質視させ不可解なものと誤解させています。
問題は日本人自身が、天皇制に代表される自国の文化の独自性創造性に気づいていないことです。ですから今まで日本からの日本文化の発信は少なかった。心掛けるべきことです。皇室による文化外交と文化の主催はもっと大規模に行われるべきです。
観光と慰安婦という全く別個の事柄はどう結びつくのでしょうか?この二つを考察すれば面白い結論が出てきます。その結論とは、日本は他国にとって未知の不可解な国だということです。
観光、近時日本への観光客は毎年激増しています。観光客の多くが日本の社会と文化を称賛時し驚嘆して帰ります。今更とは思いますがやっと日本の文化が評価されだしたということになります。その負の側面が慰安婦問題です。根拠なく執拗に慰安婦の強制連行というありもしない事柄が国連などで言いふらされています。日本という国が異端視されているからです。
観光と慰安婦という異質な主題は、日本が未知不可解な国という事で結びつきます。
なぜ日本は不可解な国なのでしょうか。不可解な国と思われているのでしょうか。理由の一つは地理的事情にあります。日本はユ-ラシア大陸の東端にあり、海で隔てられています。しかもかなり荒れる海です。加えて隣国は大陸志向の国々です。他国では通常見られる民族の混交は日本では起こりません。英国と比較すればその差は歴然とします。英国では民族の侵攻そして混交は六度起こっています。ユ-ラシア大陸の西端に位置しますが、隔てる海は比較的平穏でローマ、ノルマンという海洋志向性を強く持つ国や民族を隣人に持ちます。為に英国はたびたび他民族の襲来を受けました。
日本の文化の特異性を考える場合隣国であるシナの王朝の存在は重要です。シナは内陸志向の国です。そして早くから文化を持ち、民族が混交しつつ膨張してきました。従ってあらゆる文化の移動は一応シナで終点となり、日本への文化の移動はシナを出発点とすることになります。加えてシナの文化は自己愛的で他国の存在を認めようとはしません。そういう理由で日本の文化はシナの影になりやすくできています。日本の文化は独自性を持ちながら、シナの亜流とみなされがちでした。
日本の文化社会が未知不可解とみなされやすいもう一つの理由が天皇制の存在にあります。男系で万世一系の天皇の存在は世界史上例外的で、他にこのような例はありません。皇統125代、歴史的に実証される存在としての継体天皇から数えても100代1500年にわたります。また英国を例にとりますと、英国の王統は1000年、そしてこの間八つの王朝が交代しています。日本の皇統のようななだらかな連続性に欠けます。
ではなぜ日本の天皇制は安定しているのでしょうか。理由は1000年前に起こった摂関政治による権力の二重性、権威と権力に分化にあります。日本の政治はこの権力の二重性を以後ずっと保持してきました。幕府政治が典型です。権力の二重性ゆえに権力の交代は天皇制の下で起こり、天皇の存在自身は永久的に安泰でした。
安定した皇統の存在は日本の国に何をもたらしたでしょうか。答えは文化の連続性です。文化は安定した政治のもとに連続し蓄積されます。天皇自身が文化を主宰します。解りやすい例証を挙げれば、大嘗祭、和歌の編纂、古今伝授、禁中ならびに公卿諸法度などがあります。公卿諸法度は江戸時代初期に幕府が定めた掟で、天皇および公卿は伝統文化を保持し修練すること、という内容をもちます。
結果として天皇は文化の守護者になりました。天皇は早くから祭儀の主催者になります。祭儀は文化の根源です。あらゆる文化は祭儀に由来します。こうして日本の文化は安定した連続性を保持しつつ蓄積され独自なものとなりました。文化の創造性はその文化が安定して蓄積されることにあるいうことは認識しておきましょう。
天皇制という他国には不可解な制度が日本文化を異質視させ不可解なものと誤解させています。
問題は日本人自身が、天皇制に代表される自国の文化の独自性創造性に気づいていないことです。ですから今まで日本からの日本文化の発信は少なかった。心掛けるべきことです。皇室による文化外交と文化の主催はもっと大規模に行われるべきです。