ロドス島の薔薇

Hic Rhodus, hic saltus.

Hier ist die Rose, hier tanze. 

憲法義解4

2012年04月30日 | 憲法論資料

■■■ 第四章 国務大臣及び枢密顧問 ■■■

第四章 国務大臣及び枢密顧問

国務大臣は輔弼の任にあり、勅命を宣奉して政務を思考する。そして枢密顧問は重要な諮詢に答え枢密の謀議を行う。国務大臣と枢密顧問は天皇の最高の輔翼者である。


◆◆◆ 第五十五条 ◆◆◆

第五十五条 国務各大臣は天皇を輔弼し其の責に任ず(国務の各大臣は天皇を輔弼し、その責任を負う)
凡て法律勅令其の他国務に関る詔勅は国務大臣の副署を要す(全ての法律・勅令・その他国務に関する詔勅は、国務大臣の副署が必要である)

国務大臣は、入っては内閣に参賛し、出ては各部の事務に当たって大政の責に任じられる物である。凡そ大政の施行は必ず内閣及び各部により、その門を二つにしない。蓋し立憲の目的は主権の使用を正当な軌道に由らせるとするのにある。即ち公議の機関と宰相の輔弼に依る事をいう。故に大臣の君に対しては、努めて奨順匡求の力を致して、もしその道を誤った時は、君命を藉口してその責任から逃れる事は出来ない。
我国は、上古大臣・大連が輔弼の任にあった。孝徳天皇の詔に夫君於天地間而宰萬民者不可独制要須臣翼(天地の間で万民を治めるのは一人では出来ない、必ず臣の助けが必要である)と言われた。天智天皇の時に始めて太政官を置き、爾来太政大臣左右大臣は政務を統理し、大納言は参議する旨を宣べ、中務卿は詔勅を審署し、太政官は中務・式部・治部・民部・兵部・刑部・大蔵・宮内の統べ、官制の粗が備わった。その後、重臣は専ら関白(政務を行い意見を言上する)し、宮禁の中では蔵人の小臣が王命を出納し、院宣・内旨或いは女官の文書をもって大事を下行するのに至った。そして朝綱は全く廃れた。維新の初に摂関及び伝奏・義奏を廃し、また特に宮中に命令して内議・請謁の禁を厳しくし、尋ねて太政官制を復活させた。明治二年七月左右大臣・参議及び六省を置く。四年太政大臣を置く。六年十月参議が諸省の卿を兼任する。その後、また更に改革を経て十八年十二月に至って太政大臣・参議・各省の卿の職制を廃止し、更に内閣総理大臣・外務・内務・大蔵・陸軍・海軍・司法・文部・農商務・逓信の十大臣をもって内閣を組織した。蓋し大宝の制度に依る時は、太政官は諸省の上に冠首とし、諸省はその下の分司であった。諸省の卿の職は太政官符を施行するのに過ぎず、そして事を天皇より受けて重責に任ずる者ではなかった。維新の後、歴次潤色を経て十八年の詔命に至り、大いに内閣の組織を改めて、諸省大臣により天皇を奉対して、各々その責に当たらせ、統括する責任に内閣総理大臣を当て、一つは各大臣の職権を重くし担任するところを知らしめ、二つは内閣の統一を保ち多岐分裂の弊害を無くさせた。
欧州の学者で大臣の責任を論ずる者は、その説は一つではなく、各国の制度もまた各々趣を異にする。或いは政事の責任の為に特別に糾弾の法を設けて、下院が告訴をして上院が裁断するというのがある[英国]。或いは大審院又は特に設けた政事法院に委ね裁断の権をもって行う物もある[ベルギーは下院が告訴をして大審院が裁断する。オーストリアは両院が告訴をして特置政事法院が主として政事の罪を裁断し、あわせて刑事の罪を裁断する。ドイツは憲法に正条があり、そして糾弾断罪の別法を未だに設けていないのでこれを実行していない]。或いは政事の責任を刑事と分離して裁決の結果は罷免剥職に止まるとするものがある[アメリカ及びバイロン千八百四十八年法]。或いは謀反・贈賄・乱費及び違犯は憲法の類で指定し、特に大臣の責任とするものがある[アメリカ・ドイツ・ポルトガル及びフランス千七百九十一年・千八百十四年の憲法。ベルギーの国会は大臣責任の刑名を指定する非を議論した]。或いは君主に対する責任とし[オランダの一宰相は予め君主に対して責任が有ると言えども、人民に対しては責任が無いと主張した]、或いは人民即ち議院に対する責任とする[フランス・ベルギー・ポルトガルの国の憲法は国王の命令は、大臣の責任糾治を解く事が出来ない事を掲げた]。全てこれを論ずるに、憲法上の疑義であり未だに一定の論決を経ないことは、未だに大臣責任の条より甚だしいものでは無い。蓋し、これを正理に酌み、これを事情に考査するに大臣は憲法により輔弼の重局に当たり、行政上の強大な権柄を掌有し、独り奨順・賛襄の職にあるばかりでなく、匡救矯正の任にいる。宜しく躬をもって責に任ずべきである。もし大臣が責に任ずる義がなかったならば、行政の権力は容易に法律の外に踰越する事が出来る。法律は徒に空文に帰してしまう。故に大臣の責任は憲法及び法律の支柱である所である。但し、大臣の責は其の執る所の政務に属する。そして刑事の責ではない。故に大臣は其の職を終わる時は、其の責を裁制する者は、専ら一国の主権者に属す。ただし、これを任ずるものはよくこれを退くべきである。大臣を任し、またこれを退け、またこれを懲罰する者は、人の主人でなければ、いずれかが敢えてこれに預かろうか。憲法は既に大臣の任免を君主の大権に属させた。その大臣の責任の裁制を議院に属させないのは、もとより当然の結果である。但し、議員は質問により、公衆の前で大臣に答弁を求めることが出来る。議院は君主に奏上して意見を陳疏する事が出来る。そして君主の材能を器用するのは、憲法上その任意に属すと言っても、衆心の向うところはまたその採酌の一つから漏れないことを知るべき時は、これもまた間接に大臣の責任を問う者ということが出来る。故にわが憲法は、左の結論を取るものである。第一に大臣は、その固有の職務である輔弼の責に任ず。そして君主の代わりの責に任ずるのではない。第二に大臣は、君主に対して直接に責任を負い、また人民に対して間接に責任を負うものである。第三に大臣の責を裁判する者は、君主であり人民ではない。なぜならば、君主は国の主権を有するからである。第四に大臣の責任は、政務上の責であり、刑事及び民事の責と相関渉する事無く、また相抵触し及び乗除することはない。そして、刑事民事の訴えはこれを通常裁判所に付し、行政職務の訴えはこれを行政裁判所に付すべきであり、それ以外の政務の責任は君主により懲罰の処分に付されるべきである。
内閣総理大臣は、機務を奏宣し旨を承けて大政の方向を指示し、各部を統督しないところはない。職掌は既に広く、責任は従って重くしないことは出来ない。各省大臣に至っては、その主任の事務に就き、各別にその責に任ずるものであって、連帯の責任が有るわけではない。蓋し、総理大臣各省大臣は、均しく天皇の選任するところであり、各相の進退は一に叡旨により、首相が各相を左右する事は出来ない。各相はまた首相に繋属する事が出来ないからである。彼の或る国において内閣をもって団結され一体となし、大臣は各個の資格をもって参政するのではなく、連帯責任の一点に偏傾するようなことは、その弊害は或いは黨援連結の力が遂に天皇の大権を左右することになる。これはわが憲法が取るところではない。もし国の内外の大事に至っては、政府の全局に関係し各部の選任するところではない。そして、謀献・措画は必ず各大臣の共同により、互相推委する事は出来ない。この時に当たって各大臣を挙げて全体責任の位置を取るのは、もとよりその本分である。
大臣の副署は左の二様の効果を生じる。一に法律・勅令及びその他の国事に係る詔勅は、大臣の副署によって始めて実施の力を得る。大臣の副署がない物は、従って詔命の効力なく、外の物に付けて宣下したとしても所司の官吏がこれを奉行する事は出来ない。二に大臣の副署は、大臣が担当する権能と責任の義を表示するものである。蓋し、国務大臣は内外を貫流する王命の溝渠である。そして副署によって其の義を昭明にするのである。ただし、大臣の政事の責任は独り法律をもって、これを論じてはいけない。また道義の関わる所でなくてはならない。法律の限界は、大臣を待つための単一の範囲とするのに足りない。故に朝廷の失政は、副署した大臣が其の責任から逃れられないことは、もとより論争がないのみならず、即ち議に預かる大臣は署名しなくても、また其の過ちの責任を負わなくて良い分けではない。もし、専ら署名の有無をもって責任のあるところを判断しようとするなら、形式に拘り事情に戻るものであることを免れない。故に副署は大臣の責任を表示すべき物であるが、副署によって始めて責任が生じるわけではない。
大宝公式令によると、詔書案がなり、御-画-日を終えて中務卿に給わる。その御画日があるものは、中務省に留めて案として別に一通を写し、中務卿・宣、中務大輔・奉、中務少輔・行と署名し、太政官に送る。太政官において、太政大臣、左右大臣及び大納言の四名が署名して覆奏し、「外部に付して施行させる」と請う。御-画-可され、その御画可があるものは、官に留めて案とし、さらに謄写して天下に布告する。蓋し、審署の式は尤も慎重を加えた。維新の後、明治四年七月勅書に加名印するのをもって太政大臣の任とした。但し、宣布の詔の多くは、奉勅の署名がないのは、草創の際で未だ一定にいたらないからである。十四年十一月に各省卿の其の主管の事務に属する、法律・規則及び布達に署名をする制度を定めた。十九年一月に副署の式を定た。公文施行の法は、ここに至って蓋し大いに備わった。

[「御画日」とは・・・詔書に天皇陛下が手を加えられるのは、「日付」と「許可」だけです。他の部分は、様式に沿って、事前に書かれています。
「御画日」は、この陛下が手を加えられた「日付」の事で、「御画可」は、陛下が裁可された場合に書かれます「可」の事です。]


◆◆◆ 第五十六条 ◆◆◆

第五十六条 枢密顧問は枢密院官制の定むる所に依り天皇の諮詢に応へ重要の国務を審議す(枢密顧問は枢密院官制の定める所によって、天皇の諮詢に応え重要な国務を審議する)

慎んで思うには、天皇は既に内閣に寄ってもって行政の揆務を総持し、また枢密顧問を設けてもって詢謀の府として聡明を裨補して、偏聴がないように期そうとする。蓋し、内閣大臣は内外の局に当たり、敏給捷活をもって事機に応じる。そして、優裕静暇で思いをこめ慮を凝らし、これを古今に考えて、これを学理に照らして、永図を籌画して、製作に従事するに至っては、別の専局を設けて練達・学識がある人を得てこれに任せる。これは他の人事と均しく、一般の常則に従って二種の要素を各その業を分かつ。蓋し、君主はその天職を行うに当たり、謀ってそして後にこれを決断しようとする。即ち、枢密顧問の設置は、実に内閣とともに憲法上至高の輔翼となる。もしそれ、枢密顧問にして聖聴を啓沃し偏らず徒党を組まず、そしてまたよく問疑を剖解する補益をなすに至っては、果たして憲法上の機関に任せるべく、且、大きなものには緊急勅令又は戒厳令の発布に当たり、小さなものには会計上の法規の他に臨時処分の必要がある類のものを諮詢して、その後に決行するのは即ち為政に慎重を加える所であり、この場合においては枢密顧問は、憲法又は法律の一つの屏翰である任にいるべきである。枢密顧問の職は、このように重いものである。故に凡そ勅令で顧問の議を経るものは、その上諭においてこれを宣言するのが例式である。但し枢密顧問は、至尊の諮詢があるのを待って始めて審議する事が出来る。そして、その意見の採択はまた全て一に至尊の聖裁によるのみである。
枢密顧問の職守は、可否を獻替し必ず忠誠をもってし、隠避するところなく、そして審議の事は細大となく至尊の特別の許可を得るのでなければ、これを公洩する事が出来ない。蓋し、枢機密勿の府は、人臣が外に向て誉をもとめる地ではない。


出典
http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/kenpou_gikai.htm



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