護憲派の研究(護憲派の論理)3
木村草太教授の『自衛隊と憲法』の問題点(4)「砂川判決」理解のアナクロニズム
2018年05月19日
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「平和構築」を専門にする国際政治学者
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木村草太教授の『自衛隊と憲法』の問題点(4)「砂川判決」理解のアナクロニズム
「砂川事件」最高裁判決は、多くの憲法学者たちが、「統治行為」論で、駐日米軍の違憲性判断を回避した判決として紹介している。それにもかかわらず、木村草太教授が、『憲法と自衛隊』において、「砂川事件」最高裁判決を統治行為論として読んでいないことは、私は評価したい。http://agora-web.jp/archives/2029642.html もっとも木村教授の意図は、安保法制には訴訟リスクがある、「政府の側が、『裁判所はどうせ見逃してくれるだろう』と考えているとしたら、見通しが甘すぎます」(86頁)、という脅しのようなものをかけることにあったようだが。
しかし木村教授が、「砂川判決が集団的自衛権行使を認めているというのは明らかな誤りです」(82頁)と述べている点については、私は疑問を呈する。少なくとも、砂川事件最高裁判決が集団的自衛権を否定したところは、全くない。合憲性を前提にしていたと考えるのが自然だ。http://agora-web.jp/archives/2032483.html
すでに指摘したことがあるが、現代の憲法学者は、砂川判決が集団的自衛権は合憲だ、という議論を展開していないことをもって、砂川判決は集団的自衛権を認めていない、という結論の根拠にしようとしているように思う。しかしそれは典型的なアナクロニズムの陥穽である。1959年砂川判決が、1972年内閣法制局見解を明示的に否定していないことは、前者が後者と同じ立場に立っていたことの証明にはならない。なぜなら1959年の人々は、1972年の内閣法制局の見解を知らず、別の時代の思潮に生きていたからだ。明示的に集団的自衛権を合憲だと主張していなくても、当然合憲であろうと推察している場合は、ありうる。1959年当時、集団的自衛権は違憲だ、という議論それ自体がほとんど存在していなかったのだから。
木村教授は、砂川判決は、「日米安保条約に基づく米軍駐留の合憲性を判断したもので」、「『憲法9条の下で許される「自衛のための措置」の中には「他国に安全保障を求めること」が含まれる』と言ったのみ」だと主張する(81-82頁)。木村教授は、さらに、砂川判決が憲法9条2項が自衛隊の合憲性を認めているか否かは事件解決とは無関係だという趣旨のことを言っていることをもって、「個別的自衛権行使の合憲性すら判断を留保しているのですから、砂川判決が集団的自衛権行使を認めているというのは明らかな誤りです」(82頁)、と、率直に言って、論理を超越して、感情に訴える印象論の話を前面に出して、自己の判決解釈の正統性の根拠にしようとする。
注意して、この木村教授の言説を見てみよう。砂川判決は、9条2項の「戦力」は、「わが国がその主体となつてこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しない」と述べた。米軍は、日本が指揮権・管理権を持っていないがゆえに、9条2項違反になりえないという論理である。木村教授は、これをもって、砂川判決は「他国に安全保障を求めること」の合憲性を示した、と解説する。
ところが木村教授は、日本国憲法は集団的自衛権を認めない、と主張する際に、憲法73条が定める内閣の権限に集団的自衛権が含まれえないのは、「行政権」が「国内支配作用」=「国家が国民を支配する作用」だけにかかわるものだからだ、と主張していた。つまり個別的自衛権だけは「国家が国民を支配する作用」なので合憲だが、集団的自衛権はそのように言えないので違憲になる、という主張である。
まとめてみよう。木村教授によれば個別的自衛権だけは「国内支配作用」である。ところで在日米軍は日本の管理権が及ばないものである。もし日本の管理権が及ばないものに対する攻撃をもって日本が個別的自衛権を発動して武力行使をするとしたら、それは「国家が国民を支配する作用」とは言えないので、木村教授にしたがえば、そのような仕方での個別的自衛権の発動は、違憲だということになる。つまり木村教授によって、日米安全保障条約にもとづいて駐留する米軍への攻撃を持って個別的自衛権を発動するのは、違憲でなければならない。つまり米軍基地への攻撃があっても、日本は何もすることができない。
米軍は日本の管理下になくても、米軍が使っている土地は日本の領域内にあるので、個別的自衛権発動でいいのだと主張するとしたら、結局、日本にできるのは米軍が使っている土地を守ることだけで、米軍を守ることはできない、そのようなそぶりを見せたら違憲だ、ということになる。もちろん実際には、米軍を守らず、土地だけを守る、などということは、机上の空論でしかない。
こうして木村教授は、日米安全保障条約が依拠する前提を否定しようとしているのだが、そのことは自分自身では語らない。問題の整理すら、行わない。ただ一方的に仮想敵を侮蔑する言葉を並べるだけである。
砂川判決の直後に新安保条約を調印した岸内閣の閣僚は、次のように説明していた。
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「一切の集団的自衛権を持たない、こう憲法上持たないということは私は言い過ぎだと、かように考えています。・・・他国に基地を貸して、そして自国のそれと協同して自国を守るというようなことは、当然従来集団的自衛権として解釈されている点でございまして、そういうのはもちろん日本として持っている、こう思っております。」 (岸信介首相)
「例えば、現在の安保条約において、米国に対し施設区域を提供している。あるいは、米国が他の国の侵略を受けた場合に、これに対して経済的な援助を与えるということ、こういうことを集団的自衛権というような言葉で理解すれば、私は日本の憲法は否定しているとは考えない」 (林修三内閣法制局長官)
「国際的に集団的自衛権というものは持っておるが、その集団的自衛権というものは、日本の憲法の第九条において非常に制限されておる、・・・憲法第九条によって制限された集団的自衛権である、こういうふうに憲法との関連において見るのが至当であろう、こういうふうに私は考えております。」(赤城宗徳防衛庁長官)
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これらの国会答弁が、前年の砂川判決をふまえたものであったことは、間違いないだろう。つまり同時代の政治家は、砂川判決を、木村教授が読むような仕方では、読まなかった。同時代の思潮の中に置かれてみれば、砂川判決が、集団的自衛権を否認していないことは明らかだったのだ。
ただ、現代のイデオロギー対立の中で自分に都合の良い固定された結論を先においてから、推論を組み立てる者であれば、砂川判決が何か違うものであるかのように声高に言ってみたくなる、それだけのことだ。
木村教授は、どういうわけか砂川判決が集団的自衛権にふれた部分を全く無視する。しかし、実際の判決が言ったのは、次のようなことであった。
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「右安全保障条約の目的とするところは、その前文によれば、平和条約の発効時において、わが国固有の自衛権を行使する有効な手段を持たない実状に鑑み、無責任な軍国主義の危険に対処する必要上、平和条約がわが国に主権国として集団的安全保障取極を締結する権利を有することを承認し、さらに、国際連合憲章がすべての国が個別的および集団的自衛の固有の権利を有することを承認しているのに基き、わが国の防衛のための暫定措置として、武力攻撃を阻止するため、わが国はアメリカ合衆国がわが国内およびその附近にその軍隊を配備する権利を許容する等、わが国の安全と防衛を確保するに必要な事項を定めるにあることは明瞭である。
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砂川判決が参照し、承認しているのは、1951年日米安全保障条約の次のような文言である。
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平和条約は、日本国が主権国として集団的安全保障取極を締結する権利を有することを承認し、さらに、国際連合憲章は、すべての国が個別的及び集団的自衛の固有の権利を有することを承認している。
これらの権利の行使として、日本国は、その防衛のための暫定措置として、日本国に対する武力攻撃を阻止するため日本国内及びその附近にアメリカ合衆国がその軍隊を維持することを希望する。
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結局、木村教授の議論が錯綜しているように見えるのは、1950年代・60年代当時の人々が素直に認めていたこと、つまり日米安全保障条約は日本の集団的自衛権の権利行使の論理がなければ成り立たない、ということを、何とかして認めないように画策しているためである。
1950年代・60年代の人々は、集団的自衛権を何とかして否定しなければならない、という脅迫観念にとらわれていなかったので、柔軟にその権利を行使する日本の姿について語っていくことができた。木村教授は、集団的自衛権を否定しながら、砂川判決は否定せず利用しようとする。そこで自衛権発動の仕方が混乱して見えてしまうとしても、そのことを決して自ら語ろうとはしない。
砂川判決の憲法解釈や、その依拠する世界観を、イデオロギー的に批判するのは自由だろう。だが砂川判決の我田引水的な読解を、多勢に無勢で強引に押し切ろうとするのは、知的に誠実な態度だとは言えない。
<続く>
コメント
「立法権」は、国会に、「司法権」は、裁判所に与えられていて、憲法学者に与えられていない、という基本がわからない。日本国憲法の成り立ちを調べたら、GHQの草案を、衆議院の帝国憲法改正小委員会で修正したのであるが、その委員長が芦田均さんだった。そして、将来の日本人のことを真剣に考えて、9条を修正された。芦田さんは、「立法府」の人なので、授権規範として「修正をする権限」が与えられている。その芦田さんが1957年内閣の憲法調査会でその修正の意図を述べられたのだから、1959年の砂川事件が起こった頃、自衛権は合憲なのだから、集団的自衛権が違憲である、などという認識が政治家にも裁判官にも起こりようがない。
それを、日本国憲法9条を、普通に読んで、文法的に見て、そのような意味に解釈できないから、という理由をつけて、その人を中傷のネタにし、その解釈をなかったようにするというのは、砂川判決の最高裁判所の裁判官の憲法解釈、をなかったようにするのと同じ手法である。いくら「信条の自由」、といっても、人間として、不誠実すぎるのではないのだろうか?
http://ndl.go.jp/jp/diet/publication/refer/pdf/073002.pdf
https://news.yahoo.co.jp/byline/minaminoshigeru/20140304-00033189/
「いわゆる集団的自衛権というものの本体として考えられている締結国や特別に密接な関係にある国が武力攻撃をされた場合に、その国まで出かけて行ってその国を防衛するという意味における集団的自衛権 は、日本の憲法上は持っていないと考えている」(岸信介首相の発言。第 34 回国会参議院予算委員会会議録第23号 昭和35年3月31日 p24)
「外国の領土に、外国を援助するために武力行使を行うということの点だけに絞って集団的自衛権が憲法上認められるかどうかということを言えば、それは今の日本の憲法に認められている自衛権の範囲には入らない」(林修三内閣法制局長官の発言。第31回国会参議院予算委員会会議録第11号 昭和34年3 月16日 p27)」
沖縄の返還は、1972年5月15日、返還されれば、沖縄は日本の施政下におかれるわけで、そこから類推すると、集団的自衛権という概念は、学生運動をしている人々、野党(日本社会党や日本共産党)の人々の頭の中では、日米安保を結んでいることもあり、米国の軍用機が沖縄の基地から飛び立って、ベトナムの無辜の人々の命を奪う、ということと同義語、であったのではないでしょうか?
学生運動華やかなりし頃、第二の樺美智子さんを出さないため、無用な社会的混乱を避けるために、政治的に、集団的自衛権は違憲だから、そのようなことを日本政府はできない、という方便に政府が使ったように、私には感じられる。
また、何でも個別自衛権で、そう都合よく自然な解釈ができるとは限らない。いい加減に「安全保障はわかりません」と白状すればよいのにひたすら粘る。日本の憲法学者が、安全保障の専門家でもないのに集団的自衛権など概念をこねくりまわすのが問題。よく比較されるドイツの憲法判断所などと違う。
日本とドイツの違いは、ドイツは戦前のマスコミが占領軍により完全に排除されたが、日本の場合はGHQに命乞いして(戦争を煽った)戦前マスコミが生き残ったこと。(戦前の反動で)戦後いっきに左傾化した無能なマスコミが、教条的な憲法学者を後押しした。
この連中は政治的に政権をとるほどの支持勢力を得られなかったので、メディアや教育を駆使して憲法改正阻止に必要なだけの「抵抗勢力」を維持することに専念した。となれば、現実に政権を担う自民党や官僚は(彼らをおとなしくするために)ギリギリのラインの解釈改憲で(憲法との整合性を保っているかのように)「演出」するしかなかった。この化かしあいの歴史は茶番であるし混迷を極めている。
ベトナム戦争で犠牲者となった人民に対して左翼はさかんに同情や憐憫を煽っていますが、現代のベトナムも社会主義国家でマスコミなど統制されていて、インターネットの自由度なども最低クラスですが、なぜか現代の日本のマスコミはこれを何とかしようとなどしない。結局、自分たちの主張に利用できるからベトナム人の悲劇を徹底的にクローズアップしただけで、本当の目的は左翼の生き残りと延命です。だから中国で人民が大量粛清されても左翼は(日本で荒れ狂うように)中国へ抗議して助けようとしなかったんです。そのくせ日本政府をおとしめることができた慰安婦問題では怒涛のようなすさまじい報道合戦を繰り返して、報道内容もひどかった。
こういうのを80年代以降の青年のころに徹底的に目にしてきたから、今でも個人的には総体的に左翼を蛇笏のように忌み嫌っています。本当に最悪です。日本の大学ランキングが国力に比して異様に低いのも、頭のおかしい左翼が教育機関に巣食っているからでしょう。
「専門外の人」を、どうせわかるまい、とか、わかっていないとか遠ざけておき、専門家の立場を悪用し誤った認識を流布しようとしているようにも思われ、非常に腹が立ちました。
https://www.nippyo.co.jp/shop/magazine/6827.html
http://www.waseda.jp/law-school/jp/about/faculty/profile/hasebe.html
立法の権限のあり、国民の代表者という自覚のある、法律家なら、まっとうに読解し、憲法学者より真剣に考えられるだろうし、また、まともな政党なら、そうでない人を国政のその地位につけない。
同じことが芦田修正、と揶揄されている芦田均さんにも言えるのであって、芦田さんは日本の政治を憂いて、外交官から衆議院議員に転身した方である。美濃部さんの地位改善に奔走した方でもある。彼の新憲法解釈は、当時の国際情勢、日本の情勢、外国の憲法の特色を的確にとらえられているし、日本政府がなぜ、戦争をとめられなかったのか、どうして、この日本国憲法の条文がこうなったのか、の説明に納得できる。それをまったく知らせず、揶揄の対象にし、誤った認識を流布させる不誠実な憲法学者、マスコミに本当に腹が立つ。
当方は現在62歳になる法律学の門外漢で、憲法については学生時代に宮澤俊義の憲法概説を通読した程度ですが、いわゆる主流派憲法学者の九条解釈には長年違和感を禁じえませんでした。研究室や講壇の中にとどまっている限り他愛もないと敬して遠ざけていましたが、彼らの近視眼の安全保障論議が、政治家や国会論議に陰に陽に無視できない影響を与えていたことは、望ましい安全保障政策の検討上の障害になっていたことは否めません。政策論が憲法の解釈論、つまり法律論にすり替わって先に進まない窮状(九条)は、以前から心ある識者の指摘してやまない政治的貧困そのものです。メディアやジャーナリズムの責任も大きく、国民の正当な関心や議論をミスリードするばかり。救いようのない思考停止状態です。井上達夫さんの怒りはもっともです。田中美知太郎などは早くからそう指摘していました。全面講和か片面講和かで憲法学者や知識人が、今日からみて真摯だけれどナイーヴな議論をしていた時代です。
篠田さんの問題提起、東京大学法学部系の憲法学(影響力の大きさを考えると「東大学派」でしょうか。東北大出身の樋口陽一氏も影響圏内です)への異議申し立てという「正気の議論」の勧めは、安全保障論議のガラパゴスという蚊帳の外に取り残された良識ある一般の国民に覚醒を迫る問いかけとして、まさに現在進行形の慶事への予兆なのかもしれません。どうか、一層のご奮闘を。
全面講和か単独講和か、の日本の知識人たちがナイーブな議論をしていた時代、世界の現実は、本当は深刻だったのではないのだろうか?1949年6月ソ連によるベルリン封鎖が起こり、1950年6月中国、ソ連に支援された北朝鮮による朝鮮戦争が始まった。その為に、西ドイツのアデナウアー政権は、統一したら憲法にするという前提で「基本法」を作ってドイツ連邦共和国を成立させ、英仏米の同意を取り付けて、徴兵制を採用し、NATOという集団的自衛権で国を守る選択をされたし、日本の賢明な吉田茂首相は、1950年8月に警察予備隊を作り、1951年9月単独講和のサンフランシスコ講和条約と共に、自分個人の責任において、日米安全保障条約を締結されたのである。ほかに、国を守る、国民の安全を守るどんな方法があったのだろう。
本来、国際社会が「集団的自衛権」が必要であると確信した「ベルリン封鎖」と「朝鮮戦争」が、「東大学派」の印象操作によって、巧みに論点からはずされている。
ソクラテスは、ソフィストを嫌い、詭弁を嫌ったが、彼らのやっていることは、それそのものなのではないのだろうか?
その点、木村草太氏は表向きは抑制的なスタイルなだけましかもしれない。ただ、何とも空疎な立論だ。当方の専門の哲学もそうだが、議論のプロセスで論点を徹底に展開するため机上の、つまり法理論上のあらゆる可能性を追求するのは何ら問題ない。むしろ望ましい。しかし、自らの立論に都合の悪い事実、論点を避けてしまっては、空理空論にも届かない。一種の論点先取の詐欺だ。木村氏の主張する「軍事権のカテゴリカルな消去」は、自作自演の論点ずらしだ。憲法議論に限らず、もっと全体を見渡したバランスのよい議論に収斂させなくては説得力は生まれない。学者はそこでこそ本領を発揮すべきだ。
どうもわが国の憲法学は、条文解釈に際して過不足なくその含意を引き出すのではなく、想定しがたい、または自分に都合のよい論点を無理矢理持ち込んで立論の根拠とする傾向が強い。解釈改憲は邪道だが、学者による正当性に疑いのある歪んだ解釈より、現実に向き合っているだけ(九条の場合なら安全保障環境)ましかもしれない。政治家は学者が思うほど愚鈍ではない。ただ、専門家の議論に通暁していないだけだ。両者が妥当な法理論的合意を前提に議論する環境が全くないわが国の政治的貧困は深刻だ。
もしない。研究者の役割は、誤った原典解釈に基づく根拠なき空疎な議論を退ける乃至は抑止することだけだ。従って、何物にも囚われない徹底した哲学論議は何人にも開かれている。
宮澤俊義はかつて憲法の神様と呼ばれたが、だったら、その衣鉢を継ぐ多数派の憲法学者の皆さんは聖典である日本国憲法の訓古注釈に徹したらいい。訓古注釈も超一流になれば日本学士院賞ぐらいはもらえる立派なものだ。「法律家共同体のコンセンサス」の聖典化は無理だとしても。ただ、専門外の安全保障分野での学問の名を借りた素人論議には禁欲的であるべきだ。論議したいなら自分たちの占有物にしないことだ。安全保障は学問ではない。国民的合意形成を通じた高度の政治判断を求められる領域だからだ。安倍首相より憲法学者に任せるべき学問的根拠などない。
学問としての憲法学の権威は素人の政治運動に現をぬかすことでは生まれない。無論、一個人としての思想信条の自由や政治活動の自由はある。しかし、政治は学問ではありえず、学者としての優位性などない。提灯持ちのマスコミにチヤホヤされるだけだ。著書を売るのには役に立つだろうが・・・(本日5月21日の朝日新聞広告を見て)。