УРАЧКА!!

雑文・駄文なお気楽日記です。よろしゅーに。

登呂博物館にまた行ってきました

2018-05-03 13:02:45 | 土偶・縄文・考古学
いやはや、夕べから今朝にかけてはものすごい雨でした。
GW入る前までの妄想予定では本日5月3日は、沼津アルプスにでも上りに行くか!って思ってたんだけど、夜の状態であっさり中止。
風邪もあったしね。
風邪のほうはだいぶよくなって、時々咳が出るくらいなんですが、なんか暑いせいもあるのか体が妙に熱くなる時もあるんで、どうかなぁ。
休みの時って風邪悪化しやすいんだよね、気持ち的に油断があるというか「治さねばっ!!」っていう気概が弱くなってるのかもしれんが。
でもまぁ、普通に動けるだけよいか。

ってわけで、今日は予定を変更して、登呂博物館に行ってきました。
今年に入ってからすでに3回目ですよ~
それまでは過去云十年間に一度しか行った事なかったのにねぇ・・・^_^;

で、登呂遺跡内も昨晩の豪雨でかなり水たまりができてて(もともと水田跡だしね)その水たまりで水浴びをしていたキジバトが ↑ です。

現在は、特別展のウトウトロタカノミチ展をやってます。

なんか、このフォントみると、ゴジラの一作目を思い出す私です^_^;
ウトウ=有東、トロ=登呂、タカノミチ=鷹ノ道、ってわけでそれぞれに弥生時代遺跡があるわけだ。
とかと書きつつ、実は登呂遺跡以外は知らんかったです。
有東なんかは今ではフツーに住所としてある住宅街だしねぇ。
まぁ、我々が住んでる場所は昔から人間が住んでいたっていうわけなんだろうけどね。






この三地区は今的感覚で考えればわりと近くなんですが。
こららは弥生中期の土器。
薄くですが、縄文的な文様も少し残されています。






こちらになると弥生後期の土器。
飾りがないわけではないんですが、デコ感はほぼないですな。


こちらは墓に残されていた歯。

この時代の埋葬は地面に遺体入り木簡埋めてたらしいです。
骨って案外残らないそうで、骨よりも歯の方が残ってるらしい。
でも、墓が残ってるだけでもいいのかも?っていうのは当時水田を拡張するためにご先祖様の墓地をつぶして水田にしたっていう場所も少なからずらしいです。
縄文の青森の三内丸山遺跡だと、ご先祖様は道に沿って「見守っていただく」ようにしていたのに弥生に入るとやはり「効率」のためにそういった感情的なというか目に見えにくい部分は切り捨てるという現在のわれわれに近い感覚になっていったのであろうかね~?
人間を殺すための殺生武器が出てきたのも弥生時代から、だそうで・・・

でもまあ、縄文時代から弥生時代ってスッパリ切り替わりがあったっていうわけでもないので、弥生式土器とかでも上記のように文様があったりするんだけど、それ以外にも土偶もどきも少しはあったりするらしい。


これは土器についていた人面の飾りらしいです。
弥生中期。
縄文の山梨あたりの遺跡だと、土器に顔がついているのが多数ありますが、その流れを汲んでるのかな?
こういう方面は時代の流れとともに劣化していった、というか切り捨てられていったのかも。
芸術っていうか、飾りというか遊びを作るような余裕が無かったのかもねぇ。

こちらも土器の表面に細い粘土の線を張り付けて模様っていうか絵があったのでは?という事みたいです。


ミュージアムショップでのミニ土偶。
土偶、登呂遺跡からは出てないんですが、まぁいいか・・・


ミニ埴輪。
埴輪も登呂遺跡からは・・・以下同文。
しかし、埴輪の中に縄文土器が混ざっておりますよ~


で、以前の特別展のパンフに縄文系のがあったので買ってきました。


中身みると、おぉなんと国宝の縄文ヴィーナスとか仮面の女神とかが展示されていた!
・・・と、レプリカですが。
やはり、国宝だと国立博物館あたりでないと貸してもらえんのかな~?
夏休み期間に国立博物館で開催の縄文展、国宝土偶が全部揃う!しかも本物が!!
さらに国宝の火炎式土器とかも来る!!
ってわけで、前売り買いました~。

と、縄文王国青森とか山梨から比べると、縄文度は薄い登呂遺跡でございます。
が、旅先で「どこから来たの?」って聞かれて「静岡から」って答えると、普通の場合あ「あぁ、お茶とみかんの・・・」って言われるんですが、縄文遺跡関連の博物館とかの場所で同じく「静岡からです」って答えると、必ず「あぁ、登呂遺跡の!」って言われるんですよ~。
私は弥生よりも縄文派ではありますが、やはりそれはそれで地元は大切にしなくちゃね!と感じた次第でございます。
コメント
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