丸顔おばさんのブログ

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児玉誉士夫(前編)

2020-08-28 07:01:51 | あいつら(裏側から見る社会のシステム)
ついに、書いてしまおうと思う。
最近、ちょこちょこ出てくるこの人。

児玉誉士夫。この人こそ、「ザ・裏社会」と呼ぶにふさわしい。
おばさんのブログにふさわしい。
児玉龍彦先生じゃないよ?誉士夫(よしお)のほうね。こっち↓。

昭和のフィクサー。






一部を抜粋して転載。赤、リンク、画像、おばさん追記。青、おばさんつぶやき。***************************

児玉誉士夫 (こだま・よしお)
1911年、福島生まれ。戦時中、上海で物資調達を担う「児玉機関」を設立。戦後は、A級戦犯容疑で巣鴨プリズンに収監。その後、政財界との関係を深め、暴力団との関係をバックに「フィクサー」と呼ばれた。'76年、ロッキード事件で起訴される。'84年、死去



髙山文彦 児玉は生い立ちからして壮絶です。福島の出身で、実家は医者だったそうですが、7歳で母親を亡くし、8歳で朝鮮へ渡ったのち、出奔して上京。鉄工場で働いていましたが、12歳の時に関東大震災で父親を亡くします。18歳となった1929年、右翼の赤尾敏(元衆院議員)のやっていた国粋主義団体「建国会」に入りました。
〈おばさんつぶやき〉
でもね、この出自もどうも怪しいんだ。
「祖父山田兵太夫は明治維新後、二本松の副参事になったが、父の代になって、同じ二本松藩の御典医児玉家から望まれて養子となったため、児玉姓にかわった[10]。ただし、これらの家系は後に児玉誉士夫自身によって作られた「設定」のようである。実際のところ、児玉誉士夫の出自は全く不明である。幼少時は酷い貧乏暮らしで、父親と二人で掘っ立て小屋に住んでいたとされる。7歳で母親を亡くし、8歳で朝鮮に住む親戚の家に預けられ、京城商業専門学校を卒業した後、来日して[注釈 3]向島 (墨田区)の鉄工所に住み込んだ。それからは様々な右翼団体を転々とすることになる。 」

後の活躍ぶりから察するに、日本人になりすましていた可能性がある。
「あいつら、昔から、植民地支配するときも、少数民族出身者を支配者に祭り上げて、その国にうらみのある人物に政治をさせるって手段とってきてるから。昔のインドも、今のイラクもそうやって統治してる。そうやって民を苦しめ、国を弱体化させ、金をむしりとる。そういうヤカラ!」



小俣 自伝の中で、「なぜ赤旗を掲げ、『われらの祖国ソビエト』という奇怪なスローガンを使わねばならないのか」と思うようになり、国家社会主義者の北一輝の教えを受けたと言っています。17歳で北一輝は早熟すぎませんか。たしかにその後の生き方を見ると度胸だけでなく、頭のいい人だったんでしょうが。
〈おばつぶやき〉
北一輝は社会主義者だけど天皇は肯定という思想家。
「北一輝は早稲田大学で社会主義研究に没頭し、その後中国で起きた辛亥革命に参加し、革命運動に身を投じていきます。(中略)
彼の思想は、天皇制を否定するものではありませんでした。北一輝にとって天皇は父なるもの、母なるものであり親愛なる存在で、天皇と我々の間を隔てる"特権階級"が、日本のいびつな状況を作り出しており、これを排除することが国家改造につながるというものでした。 」

まずしい人たちが彼(北一輝)の思想に共鳴し、やがて、軍にも影響が広がり、二二六事件に繋がっていく。

「1937年2月26日、陸軍青年将校たちは軍事クーデターを決行する。昭和維新をスローガンに天皇親政を目指して、総理大臣邸、大臣大蔵私邸、新聞社、内大臣私邸、侍従長官邸、参謀本部、警視庁などを占拠し、多くの被害者を出した。これに昭和天皇が激怒し、「反乱軍」として戒厳令が出され、徹底的に鎮圧される。
冒頭でも述べましたが、北一輝はこれに直接関与してないにも関わらず、銃殺刑となり亡くなっています。この時陸軍内部では皇道派と統制派の対立があり、陸軍士官学校・大学校出身のエリートで構成される統制派はこの事件を皇道派によるものとして、皇道派を徹底的に排除し、陸軍で主導権を握ると共に、陸軍の政界進出がより進む契機としていきます。」


髙山 中学や旧制高校に通っていれば左翼思想に染まるでしょうが、彼は商業専門学校卒。当時の国粋団体は、そうした学歴の低い不満分子の受け皿になっていた。児玉自身、1929年、不平等の是正を天皇に直訴して逮捕され、6ヵ月間前橋刑務所に入っています。彼もまた若い頃は義憤に燃えていたのでしょう。

〈おばつぶやき〉
やっぱり、ちょっと、実は共産主義で全体主義、表向きは過激な右翼・・・。
やっぱり、今世間をにぎわしているあいつらと同じ臭いがするな。この時点で。
「2-1-2:ユダヤ人二世たちは共産主義・リベラルだった
ユダヤ人二世たちは、トロツキスト(スターリンを批判する思想)になりました。
それは、スターリニズムによって迫害された彼らのルーツを考えれば当然のことです。
そして、彼らはアメリカの社会主義や社会民主主義的な立場で、リベラルな思想を発信し、ニューヨーク知識人と呼ばれ、徐々に存在感を持つようになります。
つまり、もともとは保守主義ではなく左派の立場を取っていたのです。
〈おばさんつぶやき〉
やっぱり、ネオコン=共産主義じゃないか!」

「ソロスがファシズムと共産主義体制(すなわち「閉ざされた社会」)を経験しているハンガリー出身者だと知ってがっかりしたという。
〈おばさん解説〉
今回のアメリカのやらせ暴動でアンティファがテロ組織指定された。アンティファの意味は、「アンチ・ファシズム」。そして、中国共産党が裏で黒人を操っている。こいつこそが、ファシストだ。共産主義だ。」



髙山 その後、外務省の河相達夫の知己を得て中国に渡る。一度東京に戻りましたが、右翼活動を通して関係のあった笹川良一などの仲介で海軍航空本部の山縣正郷を紹介され、再び上海に渡り特務機関「児玉機関」を設立します。
この間、航空機を作るための資材を中国全土からかき集めました。大阪に飛行場を作って陸軍に寄付をした笹川良一もそうですが、児玉も、その頃にはもう、「大艦巨砲主義の海の時代は終わった。次は空だ」と思っていたふしがある。
〈おばつぶやき〉
この上海に設立した児玉機関で、大儲けするんだ。
「ここで源田実と知り合い、戦後に源田が児玉に瀬島龍三を紹介した[14]。1941年真珠湾攻撃の直前、海軍航空本部独自の物資調達の為に笹川が山縣正郷少将に紹介、その後任者が大西瀧治郎少将(当時)で、後に大西中将(特攻隊生みの親) が自決する日まで、親しい間柄となる[注釈 5]。この縁で上海に児玉機関[注釈 6]と呼ばれる店を出した。これは、タングステン[注釈 7]やラジウム、コバルト、ニッケルなどの戦略物資を買い上げ、海軍航空本部に納入する独占契約をもらっていた[注釈 8]。よく、児玉はこの仕事でダイヤモンドやプラチナなど、1億7500万ドル相当の資金を有するに至ったと言われている[注釈 9]。アメリカ陸軍情報局の報告では、児玉機関は鉄と塩およびモリブデン[注釈 7]鉱山を管轄下におさめ[注釈 10]、農場や養魚場、秘密兵器工場も運営。戦略物資、とくにタングステンを得るため、日本のヘロインを売っていた[15]。
児玉の行動について憲兵の監視はあったが、大西瀧治郎のような大物が庇護しているため逮捕してもすぐに釈放されるという結果となった。」
な?すごいやり手だろ?そして好き放題やっても、なにか、大きな力によって守られて不問となる。


佐高 そうした機知に加え、児玉は中国の過激派宗教団体「紅槍会」(《赤いふさのついた槍 (やり) を武器にしたところから》中国で、辛亥 (しんがい) 革命以降、軍閥の圧迫などに対して華北の農村などで組織された、保守的・排他的な武装自衛団体。 )と取り引きして帰順させるなど胆力もあった。当初はいわば海軍の「御用聞き」だったわけですが、実績を上げるうちに、段々存在感を増していきました。
彼が重宝されたのは、相手の懐に飛び込むのがうまかったのも大きかったと思う。児玉を中国での情報収集に使った上海副領事の岩井英一などに愛され力を伸ばしました。
小俣 気遣いがうまかったのでしょうね。世話になった人への恩は忘れず、実際、敗戦後に自決した大西瀧治郎中将の未亡人を自宅の離れに住まわせたこともあったようです。
〈おばつぶやき〉
できるヤツ。相手のふところに飛び込むのが上手。相手に花を持たせてあげ、いい関係を築き、出世。受けた恩は絶対忘れない。
出自不明でちっともエリートでない児玉。処世術には抜群に長けていた。
大西は軍務に役立つと思えば、相手の身分・素性に関係なく話を聞き、仕事を請け負わせたとする意見もある[48]。大西は、航空機増産のための資源確保に児玉誉士夫が設立した「児玉機関」を活用した。児玉機関は大西の前任となる山縣正郷中将のときから、中国大陸で、航空機製造に不可欠な、棉花、銅、ヒマシ油、雲母などを集めて海軍航空本部に送り続けていたが、大西が後任として着任するとその関係はさらに強まったとする意見もある。大西は児玉を将官待遇とすると、国内のタングステン鉱などのレアメタル鉱山の採掘も任せている[49]。その様子を見て他の海軍将官らは「いかものばかり集めて得意になっている」などと眉をひそめたが、大西に重用された民間人らは「(大西は)まるで西郷隆盛か清水次郎長だ」と慕って、大西の仕事を助け、人間的な交流も深めている[50]。 」

そしてな、大西は終戦の翌日自決するんだ。
このとき児玉は大西と心中しようとするんだけど、大西に止められたんだ。
「児玉も自決しようとすると大西は「馬鹿もん、貴様が死んで糞の役に立つか。若いもんは生きるんだよ。生きて新しい日本を作れ。」といさめた。 」

児玉って、こういうヤツでもあるんだ。ただ器用に立ち回るだけではない。
自分は汚れ仕事、裏社会担当。そして仲間には義理を通す。人情に篤いというか。
そこが笹川とは違うところだと、おばさん思ってる。だから、悪いヤツだけど、なんか、ちょっと、嫌いになりきれない、そんなヤツ。
こいつもそうだけど。
こんなふうに、売国奴にまで感情移入しちゃうのがおばさんの悪いクセw

まぁ、最近の売国奴はそんな同情の余地のない鬼畜が多いがな。



戦後は一気に大出世を遂げます。最初の内閣である東久邇宮内閣では、内閣参与事務嘱託に任命された。「東久邇宮と親しかった」とか、「緒方竹虎が」「重光葵が」推したなど諸説あります。
佐高 海軍の御用聞きから内閣参与ですから、驚くような出世です。
東久邇宮によれば、中国の海軍などの暴発を抑えるためだったようですが、戦争という圧倒的な「闇」のなかで、実力以上の評価がされ、戦後になだれこんだというのが実態でしょう。その後にも言えますが、児玉は虚像を利用するのがうまい。
〈おばつぶやき〉
中国の海軍の暴発を抑えることができるって・・・、
なんか、あるだろ?ふつうの海軍の御用聞きで児玉機関だけやっていたならば、そんな力はないはずだ。
たぶんな、これだ。
上記Wikipedia「児玉誉士夫」の引用で、
児玉機関は「タングステンを得るため、日本のヘロインを売っていた」とあるだろ?
「生阿片を原料としてモルヒネが精製され、これがヘロ イン、コデインなどのあへんアルカロイド系麻薬の原料となります。(中略) 1914年(大正3年)ヨーロッパで第一次世界大戦が開始されると、ドイツからの医療用モルヒ ネ輸入に杜絶の懸念が生じ、その国産化がはかられます。1915年、台湾政府から粗製モルヒネの独占的払下げをうけた星製薬がモルヒネ製造を開始し、その 後大日本製薬、三共、武田薬品工業なども参入してモルヒネの製造が行われるようになります。 」https://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/17_colonial_morphine.html
日本でも麻薬を作ってたんだな。

また、里見甫( 「さとみはじめ」と読む。こいつはアヘン王)の里見機関とも組んでやっていたと思われる。
里見は、「1937 年11月、上海に移り、参謀本部第8課(謀略課)課長影佐禎昭に、中国の地下組織や関東軍との太い人脈と、抜群の中国語力を見込まれ、陸軍特務部の楠本実 隆大佐を通じて特務資金調達のための阿片売買を依頼される。1938年3月、阿片売買のために三井物産および興亜院主導で設置された宏済善堂[3]の副董事長(事実上の社長)に就任する。こ こで、三井物産・三菱商事・大倉商事が共同出資して設立された商 社であり実態は陸軍の特務機関であった昭和通商や、中国の地下組織青幇や紅幇などとも連携し、1939年、上海でのアヘン密売を取り仕切る里見機関を設立 [4]。ペルシャ産や蒙古産の阿片の売買によって得た莫大な利益を関東軍の戦費に充て、一部は日本の傀儡であった汪兆銘政権に回した。また、里見機関は、 関東軍が極秘に生産していた満州産阿片や、日本軍が生産していた海南島産阿片も取り扱っている。この活動を通じて、青幇の杜月笙・盛文頤や、笹川良一児玉誉士夫、吉田裕彦、岩田幸雄、許斐氏利、阪田誠盛、清水行之助らとの地下人脈が形成された[5]。

麻薬で金儲けするのはあいつらの常套手段だ。
だから、児玉機関なるものは、おクスリ売りさばいて、中国の人をボロボロにして、日本軍のために物資を巻き上げる、という搾取をしていた機関なわけだ。


里見甫については、マスコミ=あいつらシステム - 丸顔おばさんのブログで取り上げた。電通の前身である満洲国通信社の初代主幹兼主筆でもある 。(電通が黒いのは昔からだ)

こういった地下人脈とおクスリビジネスの関係で、裏社会に顔がきき、中国の海軍にまでにらみを利かすことができたのではないだろうか。
中国の過激派宗教団体「紅槍会」(《赤いふさのついた槍 (やり) を武器にしたところから》中国で、辛亥 (しんがい) 革命以降、軍閥の圧迫などに対して華北の農村などで組織された、保守的・排他的な武装自衛団体。 )と取り引きして帰順させるなど胆力もあった」ということだから、軍閥と民間の過激派団体と調停することなんんかもできたと思われる。
けど、こんなのもヤツの才能だな。さすがだ。

児玉機関をやってたときから、すでに日中をまたにかけた裏社会の親分だったわけだ!それを買われて政界入りしたというわけだ。


あ、この児玉先生は・・・関係、、、あるのかな?


長くなったので、つづきは後編に!


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