丸顔おばさんのブログ

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組織を変えることは、案外カンタンな場合もある♡おばさん~ミャンマーの民主化を願い:組織の意識を変えることの難しさについて☆Dr.Yさん

2021-04-24 20:35:41 | Dr.Yさんの心のお話
ミャンマーの民主化を願い:組織の意識を変えることの難しさについて
動画説明欄より転載。赤、おばさん追記。青、おばさんつぶやき。

ミャンマーでは、国軍によるクーデターが起こり、その後混乱が続いています。民主化を求める市民がクーデターを非難してデモを行い、それに対して国軍と警察が市民に向かって発砲し、多くの市民が犠牲になっています。
〈おばつぶやき〉
わたしもこの件をけっこう書いたけど、あれからまた犠牲者がたくさん出て、昨日スーチーさん側がまき返しをはかっていると、記事が出たね。
2021年04月23日10時01分
【バンコク時事】ミャンマーのクーデターで権力を握った国軍に対抗し、民主派が樹立を宣言した「統一政府」は22日、ミン・アウン・フライン国軍総司令官がデモを弾圧し、多数の死者を出したとして、国際刑事警察機構(ICPO、インターポール)に逮捕への協力を要請した。 

結局、スーチーさんもDSだし、中国共産党が乱入してきているし、国軍の残虐性は相変わらずだし、悪い人たち同士の戦いになっている。
それに国民が怒って立ち向かうので、殺されてしまうという痛ましい状況になってしまっている。

人を殺すことは良くないという教育を受けているはずなのに、なぜこのようなことが起きてしまうのでしょうか? 
 この大きな理由として、ミャンマーで軍人や警察官になっている人たちの
①質の問題と、②意識の低さの問題の2点が挙げられると思います。
 質の問題とは、彼らの中には、利己的で権力欲が強く感情的になりやすい未熟な人間が多いという意味です。
そして、意識の低さとは、反対意見の人間は武力を行使して排除しても構わないという考えを持っているという意味です。
  努力して他人を踏み台にしてでも出世して、権力を手中に収めた人間は、そう簡単に権力を手放すことはしません
〈おばつぶやき〉
軍人、警察官たちね。そういう感じか。
ひとことで言っちゃうと、「自分が生き残り、のし上がるために、他人を暴力使ってでもやっつける、戦っている」って感じの意識か。

言うことを聞かない人間は武力で排除しても構わないと思っている集団の意識を変えることは、至難の技です。
このような状況の中で、ミャンマーに民主国家が誕生し、平和な日々が訪れるまでには、かなり長い道のりを予想しなければなりません。
  平和な日本で生活している私たちには、ミャンマーの人たちが、平和的な解決で良い方向に向かうことを祈ることしかできませんが、改めて戦後の日本という極めて恵まれた環境に生まれたことに感謝しなければなりません。
  本日は、教育の本質である、意識を変えることとは何か?ということについてお話ししたいと思います。
  世の中には、「人としてどう生きるべきか?」ということよりも、「自分の立場を守る」ということを重視して行動する人が大勢います。
  政治家は皆、国民のための政治を心がけると口にしています。あたかも国民の幸せを願って行動しているかのように見えますが、国会議員としての「自分の立場を守る」ために行動している場合が殆どです。苦労して得た地位や特権を手放したく無いので、「自分の地位を守る」為には命をかけたとしても、「自分の命に引き換えてでも、国民を守ろう」などと確固たる信念を持って政治家を目指す人は殆どいません
〈おばつぶやき〉
ガースーは利権まみれですごいしなw
ほとんど893の世界。。
これ以外にもいっぱいあるしな。もう書ききれない。
ガースーはDSのしたっぱだからねぇ。
つねにDSに脅されて、そんな自分を守っているわけだ。

国会議員のみなさん、ほぼ全員そうだもんね。右も左も、あいつらのいいなり。
Aチーム、Bチーム分かれて、やんややっているだけの茶番国会。
結局あいつらのお望みどおりに事が進むようにシナリオを決めている。
あいつらからの指示は、月二回の秘密会議で、官僚に直接下っている。
逆らえないから、みなさん自分守ってまーす。

その証拠に、人目につかないところで、国民を裏切り、自分に利益をもたらすような取り引きをします。
〈おばつぶやき〉
政治家は金と強力な支持者が必要だからなw

それが明るみになると、知らぬ存ぜずという言葉で巧みに交わそうとしますが、週刊誌にすっぱ抜かれ、もう言い訳できないと判断すると、ようやく自らの非を認めて謝罪をします。
  そのように、「自分の立場を守る」ということが目的で、仕事をしているのは、政治家だけではありません。警察官であれ、自衛官であれ、様々な職業に従事している人の殆どが、自分の職務を全うすることで、自分の役割を果たしています。
その背景には、「自分の立場を守る」という意識が働いているのです。自分の立場を守り生活を安定させるために、たとえ上司からのパワハラがあったとしても、我慢して仕事をし続けている人たちが大勢います。
〈おばつぶやき〉
そうね。あいつらに逆らうと消されちゃうからねぇ。
言うこと聞いてると、甘い汁を吸えるわけだからねぇ。

  このように、「自分の社会的な役割」と「人としてどう生きるのか」という方向性が、同じ方向に向いている場合には別段何も問題にはなりません。しかし、「所属する組織の進む方向性」が、「人として進むべき道」と一致しなくなった時に、その人個人の、人間性の真価が問われるのです。「組織の進む方向」が間違っていると感じた時に、「組織の進む方向に異議を唱えて離職するのか?」「組織の改革を訴えて左遷されてしまうか?」「それとも、自分の立場を守ることを優先して、理不尽と思いながらも上官の命令に従うのか?」このような厳しい選択を迫られることになるのです。
〈おばつぶやき〉
「人としてどう生きるか」、かぁ。Dr.Yさんらしいなぁ。(お会いしたことないのにねw)
私、思うけど、組織で働いていて、こんな目にあったら、やつらのそんなメンタリティを頭に入れつつも、業務の責任に焦点を当てて、相手に責任を突きつけたり、責任を返したりの主張をすべきだと思うの。

私の身内が、数年前、過重労働に苦しんでいてね。どう見ても不可能な量の業務を押し付けられるという状況でね。私、言ってやったの。
「ここまではできるけど、これ以上は責任をとれません。できません」と上司にきっちり言ったほうがいいぞと。それやると会社が赤字になるとかごにょごにょ言ってたけど、結局言ったのね。やつは。ムリなもんはムリで、そのままにしてても問題になるのは分かりきっているから。
言っておくってことが大切だ。そして案の定、仕事がやりきれなかったときに、「自分はあのとき『これ以上はムリだ』と言いました」と主張できる。
つまり、業務の割り振りを適切にできなかった上司に責任を返すことができる
言っとかないと、自分が案の定仕事をやりきれなかったときに、全部自分の責任にされるだろう?
この場合、業務の責任の割り振りというのがテーマで、これをやるのはヤツの上司だ。よって上司に責任がある
だから上司に責任を返す必要がある
ここまでレクチャーしてあげたの。

そのための主張をしないで自分が理不尽に責任をとらされたら不満なわけだけど、言わないのも悪い。言えないで不満を貯め込み、陰で文句を言う人が多い。こういうのを犠牲者意識という。
たしかに組織とはピラミッド支配だ。でもそれは業務の指示系統がそうであるだけの話。人としては対等に主張すべきはしないとダメなんだ。
こういう人の多い会社は問題も多いから、わたしは取引したくないんだ。ちょっと社員の人と話すとすぐわかるものさ。

この例では業務量が適切かどうか、部下たちと話し合って、采配する責任が上司にはある。それを「有無を言わさず、不可能な量を押し付ける」というのが問題であったわけだ。

それで結果、彼は上司に言ったよ。そしてスッキリしていた。
それは自力で理不尽から抜けられたという満足感。
自分で問題解決できたという自信。
こんなにカンタンだったのね~という喜び。
いろいろだろうけど、言えたことで、いろんなことがうまく回り出したみたい。
周りの同僚も影響されて、みんなが少しずつ主張し始めたのか、職場が変わり出したみたい。あ、言っても大丈夫なんだ~とみんなが分かるのね。
そうすると社員同士、心が通うのね~♪
そしてそいつは他の場面でも自分から率先して相手に働きかけられるようになったのね。
おばさんはその好転していく様子を見て、言ってやってよかったと心から思った。

根っからの悪いヤツではなかったんだな、上司は。
単に業務の割り振りのやり方を知らなかっただけという場合もある。
もしその人が、理不尽でもなんでも押し付けてくる上司としか出会ったことがなければ、知らないだろう。上司としての仕事のやり方を。
そして周りの同僚たちも素直ないい人達だったのだろう。
こんなふうに理不尽な目にあったら、まず業務の責任に焦点を当てて、話合ったり主張したりしてみることだ。組織においては
それだけで改革できちゃうこともけっこうあるの。
彼の周りは快適になったことだろう。
また影響された人が人事異動などで、他へ行ってもそうするだろう。こうやってじわじわと組織自体をよくすることができる。
社会貢献だな。
これを上司に最初にやるのは勇気がいる。でも、怒って言うのではなく、業務の責任と自分のハートを感じながら話すと案外争いにはならないんだ。
(この話合いもできない人は相当な支配者で話し合える余地がないから、ちょっと無理ということになる。試しに主張してみることで、そこに居続ける価値があるかどうかの見極めもできる。)
むしろ、これは上司のことも守っていることになる。業務がやりきれなくて、最終的に責任をとるのは上司なのだから。だから感謝されるかもしれない。うまくいけば頼りにされる存在となるだろう。

こうして人望を得ることにも繋がっていく。べつに好かれようと意図などしなくても、自然とリーダー的になっていく。自分の意思で適切に働きかけて問題解決できちゃうわけだから。従っているだけの人とは違うわけだ。
みんなに頼りにされ、みんながついてくるだろう。いばる必要なんてないのだw
彼は今、ハッピーだ。でもどうしてハッピーなのか、本人は深くは理解していないようだ。ま、いいかw

理不尽な組織でどうするか、というのがテーマなわけだけど、
この例のような理不尽を部下に押し付ける上司は、そのまた上の上司との関係性も、話し合えずに、一方的に従う関係であることがほとんどだ。
つまり、自分より強い者の前では犠牲者的な犬として生きている人ほど、弱い者に対しては暴君であるという法則がある。
これは仕事だけでなく、夫婦関係も親子関係も全部そうなっているはずだ。
(だからおばさんは、その人の言動を見ると、だいたいその人の人間関係や人生が見えてしまうんだ。)

だから理不尽な場面とは、会社組織であっても警察でも軍でも夫婦関係でも親子関係でも親戚関係でも、きつい支配関係に陥っているということだ。
そういう意味では切り崩す方法も同じだ。
この例は話し合える人だったから成功したけれど、ミャンマーの軍や警察ではムリだろう。よって、離れるしかない、どうしようもない組織ということになる。

  正義を貫くために、理不尽な組織から距離を置き、家族に不安定な生活を強いるのも辛いことです。愛する家族の平穏な暮らしを守る為に、上官の命令に従い人として許されない行為をするのも憚れます。どちらを選択しても厳しい現実が待ち受けています。そこが運命の分かれ道なのです。
〈おばつぶやき〉
組織を抜けても、また別の組織に入るか、独立するか、するわけだ。
責任を適切に主張することを学ぶことなく、犠牲者意識のまま独立したとしても、あまりうまくいかないだろう。
今度は自分ひとりで仕事を取ったり、お客さんを獲得したりするわけだ。犠牲者意識のまま独立しても、おそらく自分が我慢する、とか、自分を犠牲にするやり方しかできないだろう。
そういう意識だと例えば、大きい会社の下請けでまた我慢するとか。そこの会社の体質が支配的であればまた犠牲になる。
商売をするにしても、自分の意思や感性で創造性を発揮して儲けたり、価値を創造するよりも、コスト削減や自分が身を粉にして働くような儲け方になるだろう。従業員や家族も犠牲にするだろう。
人気・高級店路線よりも、激安&重労働って方向にいきやすいだろう。
だから犠牲者意識から抜けてから、対等な関わりを学んでから独立してほしいものだと思う。
単に“業務の責任について、自分が責任をとれるかどうか言うだけ、話合うだけ”なんだけど、それができてうまくいくと、もう相手の人格や組織が理不尽だとかという次元から抜けられる
単に自分が言うだけで、問題解決したら、もうその問題は消えるから。

そしてこういう人は他の人間関係でも愛の関係を築けるので幸せだ。
支配から抜けると、愛もお金も手に入るように、できている。
これは自然現象だ。頭で考えてやらなくても自然にそうなる。

犠牲者意識のまま独立しても、どうせ同じだ。この感覚で、一人ですべてやらなければならないのだから、組織にいたときよりももっとつらいだろう。

人は自分の行動パターンに気づいて変えていかないと、どこでも誰と何をしても同じパターンで動いてしまうものなんだ。

だから本当は、独立や成功やお金をかせぐにあたっては、資金繰りとか採算がとれるかの現実の問題ももちろん大事だけど、それをやるベースとなる意識が大きく関係しているということだ。私はそこから取り組んだほうがいいと思うの。
意識が変わっちゃうと見えてくる景色も変わってくるの。こんなこともできると気づいたり、いつのまにか無意識のうちに能力発揮していたり自分の本来果たすべき役目を果たしていたりする。
だからあんまり頭で考えなくていいの。
思考はあんまりおりこうじゃないからさ。
できるところからやるだけだもん。いきなり会社でムリなら、夫婦で役割や責任を話し合うことから練習したっていいんだもん。
こんな小さなことだけど、成功の種まきをしているようなもんだ。

親子関係においては、子どもに過干渉という支配をやめることで、こどもとも支配関係から愛の関係にシフトさせることができるから、引きこもりなどの問題の解決にも繋がる。
これも親が犠牲者意識から抜けることが大事なの。自分犠牲にしてると、子どもも犠牲にしちゃうの。知らず知らずのうちに、こどもを否定していたりするの。それに親自身がきづいていなかったりするのね。本当は親が自分自身を否定しているだけなのね。問題解決と能力発揮できない自分を分かっていて、責めているから自己否定しちゃってるのね。その感覚でこどもにも接してしまっているのね。
責任を、言うべきを、主張できるようになって、自分を解放してあげても大丈夫なんだと悟ると、子どもも解放してあげられるのね。

親がこんなふうに支配から抜けて愛を知れば、そのように子どもに接するから、子どもも発展し、伸びていくし、人とも愛の関係の築くようになる。

ぜーんぶ繋がっているんだ。

 そのような複雑な事情を考慮したとしても、ミャンマーに於いて、自分の社会的な立場を守るために、理不尽と分かっていても、上官の命令には逆らえずに、市民に対して銃口を向ける警察官の、意識の低さには驚き呆れてしまいます。

  自分の立場を捨ててでも、周りの人の幸せのために生きることができるほど、優しくて意思の強い人は、哀しいかな、日本人の中でもほんの一握りしかいないと思います。そのような人は、国のために一所懸命働きますが、偉くなりたいとは決して思わないものです。 
 日本の自衛官や警察官は、「国民を守るために自分たちは職務を遂行し、国民の税金で給料を支払われている」という根本的な考え方がしっかりと身に付いています。しかし、ミャンマーの軍人や警察官は、「権力を握った軍隊や警察が支配者であり、それに逆らう者は治安を乱すものであり、武力を持って排除すべきである」という意識を持っています。そこにミャンマーの社会と日本の社会の意識の差ということになるのです。
〈おばつぶやき〉
軍や警察、政治家などは、会社とはまた違うわけだけど、国や国民を守ることがお仕事なわけだから、国と国民を愛している人にやってほしい。
それが仕事のモチベーションであってほしい。
けれど、そんな方はどのくらいいらっしゃるのだろう。

おばさんは昔、会社で営業をしていたことがある。警察のお客さんもいた。一般企業にもお客さんがいた。
おばさんの経験だけど、警察のお客さんのなかには、おばさんのような営業を人間として扱わないような人もいた。人前ではとってもいい人なの。でも一対一になると、本性が出るのね。欲張りな面や意地悪な面をいきなり出してくるから、若かったおばさんはびっくりしたものだ。汚いものをいっぱい見てしまったけれど、人間というものを学ぶにはいい勉強にはなった。
一般企業にも多少そういう人はいたけれど、警察のほうがそういう人の割合が高かったの。
やっぱり一般人を取り締まる立場だから、自分たちを人よりも上だと認識しているのだろう。そういう方たちは。
これもまた支配の意識だ。
これが暴走すると、壊れていく。その人自身も巻き込まれた人も。
政治家などは、国民を巻き込んで、「破壊」をやっているわけだ。迷惑な話だ。
彼らは民衆よりも自分が上だという意識でいる。
だからDr.Yさんのおっしゃる、国と国民を守るなどという意識とは程遠いわけだ。
ということだから、上から目線の支配者から離れて自分を守るためには、こちらも犠牲者意識から抜けることが大事なんだ。従うことではないんだ。それだとヤツラと一緒に破滅なんだ。

政治家のみなさんはDSの走狗だと、おばさん毎日にように書いているけれど、それ以前にこういう意識がある。この意識あってのDS走狗なんだw
一家代々政治家の人は小さいときから、そのような意識を植え付けられて育っているだろう。親もまたものすごい支配者であると同時に、卑屈な走狗だ。そんな親に育てられているから、彼らは愛を知らない。
もちろん国も国民も愛していない。
そういうヤカラを我が国の支配者にしたのは、もちろんあいつら!w(あ、またいつもの話になってしまった。。。)

  集団の意識を変えることは、そう簡単にできることではありません。 会社組織には、自分たちはどのような気持ちで仕事をするのか?という会社なりの意識があります。それは、スタッフの仕事に対する情熱や責任感という言葉にも置き換えることができます。
  終業時間が来るのを待ち侘びながら、ダラダラと仕事をとこなし、できるだけ楽をして給料が欲しいと言うスタッフばかりの会社もあります。それに対して、会社のためにそして、お客様のために、チーム一丸となって真剣に努力している会社もあります。前者のような消極的なチームを、後者の積極的なチームに変えることは、不可能に近いと思います。
 例えば、モチベーションの低い組織に、やる気のあるスタッフを1人加えても、その人は浮いた存在として周りから煙たがられ無視されてしまいます。折角入職したやる気のあるスタッフは、遣り甲斐を感じることができず、馬鹿馬鹿しく感じて、その組織を去っていきます。
  伸びてゆく組織は、仕事に対する意識が高く、意欲的な人が入職して定着し、やる気の無い人が息苦しくなって去っていきます。さらにやる気のある人が入職し、やる気の無い人が去るということを繰り返して、組織はどんどん成長します。
  逆に、落ちてゆく組織は、仕事に対する意識が低いので、意欲的な人が入職しても直ぐに辞めてしまい、やる気の無い人が残っていきます。さらにやる気の無い人が入職し、やる気の有る人が去るということを繰り返して、組織はどんどん堕落します。
  そのような堕落し腐敗した組織を改革することは困難を極めます。むしろ一度組織を潰してしまい、新たにやる気のあるスタッフを採用して、新規に会社を始めた方が手っ取り早く、良い組織を作ることができるのです。
  ですからこのように、堕落し腐敗したミャンマーの軍隊や警察を、一朝一夕に改革することは、困難なのです。
〈おばつぶやき〉
そうだろうね。どうせそんなぐーたら組織は業務の責任というのがあいまいだろう。
押し付け合ったり、責任があいまいだから問題がしょっちゅう発生したり。
上記のような働きかけを試しにやってみて、全然ダメならもう潰れてもらうしかない。
無気力というのは、無気力状態になる前に、闘争の段階がある。
支配でみんなが頭にきて怒っている状態だ。これは子どもの反抗期やヤンキー時代。
日本社会でいえば安保闘争してた時代か?
会社組織でもみんなが怒って戦っている時期があって、それでも理不尽な支配が続くと、人は無気力になっていく。そして絶望していく。そして崩壊。という道筋をたどる。
崩壊してから建て直しが始まる。

今、世界が絶望状態だろう。少し前までは無気力だったけれど、コロナで絶望の段階に来たなという感じがしている。

でも大丈夫。破壊と再生の繰り返しさ、しょせんこの宇宙は。
この破滅直前の状態にどっぷりつかって巻き込まれるときついから、おばさんは日々、注意報を発している。
破壊に向かっているときにみなさんがなるべく巻き込まれないよう、被害が最小で済むよう願っている。

でもこんなときは、支配の意識から抜けるチャンスでもあるんだよ!

尾崎豊 - 卒業 (有明コロシアム)

  日本が第二次世界大戦で敗戦し、軍隊は解散し、国民が一丸となって復興のために努力した結果、今日の日本の繁栄があります。
 ミャンマーも、他国に攻め込まれて、軍隊が壊滅的な状況になれば、国民が一つにまとまって、復興のために努力するはずですから、そこから民主国家が誕生する可能性はあると思います。しかし、貧しいミャンマーに攻め込む隣国はありませんので、そのような荒療治は現実的ではありません。
  それでは、非暴力の民衆運動によって、民衆化は達成できるのでしょうか?権力と武器を手にした利己的で権力欲の強い軍部は、自らの良心の呵責に耐えかねて、権力を民主に移譲する、などと言うことはあり得ないと思います。
権力者の交代の時期は狙い目かも知れませんか、権力者というものは往々にして、自分が権力の座から降りる時には、必ず自分と同じ利己的で権力欲の強い人間にバトンタッチします。ですから、権力者の交代による民主化の可能性は低いと思います。
  ミャンマー市民がSNSを通じて国際世論に訴えかけ、多くの民主主義国家がミャンマーの軍部によるクーデターを非難しています。残念ながら、そんな事は軍部にとっては痛くも痒くもありませんので、そこから解決の糸口を見出すことはできません。
  欧米各国は、ようやく経済制裁に踏み切りました、2011年の前回はそれが功を奏して、軍部は民主化へと方向転換を渋々承諾して、民主政権が誕生しました。
しかし、現在はその時とは状況が大きく異なっています。中国が経済発展を遂げたため、欧米各国が経済制裁に踏み切っても、中国が喜んで支援してくれます
ですから、欧米の経済制裁は、軍部にとっては痛みは軽く、むしろ軍部と中国との利害関係が一致して、中国の思う壺となることから、経済制裁は効果はあまり期待できません。
〈おばつぶやき〉
そうそう。

  残された方法は、賢い国民が軍部に洗脳されることなく、国民全体の意識を高めていくしか方法はありません。若い人たちが積極的に海外に留学して、民主主義の息吹を吹き込まれて帰国する。そして、国民の民主化への意識を高め、民主化に賛成する若者たちが、国軍や警察官に入って中から組織を改革する。これができたとしたら、素晴らしいと思います。

  命がけで自分の立場と権力を守ることに固執する集団と、命がけで国を立て直そうとする集団とに分かれて争う事態に、早く終止符が打たれることを願って止みません。
〈おばつぶやき〉
そうそう。この記事↓に引用した、
この記事で↓
スーチーさんの党の若者が、「結局スーチーさんたちも独裁的だよ」とこぼしていた。「抑圧的な仕組みになってしまっている──軍事支配の頃の制度と変わらない」って。スーチーさん、DSだからねぇ。
海外に留学してもDSのしもべになっちゃう人も多いからねぇ。
むしろそっちのほうが甘い汁を吸えるわけで。。
だから海外留学しようとなにしようと、この分かれ道は、やっぱりその人の意識が決めると思うの。
民主主義を知っているうえに、民主化の象徴だったのに、あいつらから抜けられず、やっぱり独裁的になっちゃったわけだ。

  今の日本は、ミャンマーよりも民主的ですが、欧米に比べれば、国会議員の質は低く、名誉欲と権力欲と金銭欲にまみれ、他人の揚げ足取りが得意な人間ばかりです。第二次世界大戦後、日本では軍政は消失しましたが、国会議員の質は戦前と変わっていないように思えます。命がけで国民を守ろうという政治家は、まだまだほんのひと握りであり、成熟した民主国家への道のりはまだまだ長いと思います。 
〈おばつぶやき〉
そういうことです!
だまされちゃいけない。

気づいている人もいらっしゃる↓



でも大丈夫なの

本当は、こうやって、自分の感情が、現実を作ってるの。
だから社会というものも、こんなふうにみんなの感情がカタチになったもの
だ。
集合意識がカタチになっているというのは、そういうことだ。
こんな、私が日々ブログに書いているあいつらの暴走や悪事なんかも。
それを許している、みんなの意識というものがあるんだ。
だから、あいつらをどうにかしようとすることも大切かもしれないが、その元になっている自分の感情をやさしく感じて、循環、解放させることが、実は根本的な問題解決なんじゃないかと思っているの。
そういう人が増えていくと、現実問題も建設的に話し合って改善していける人が増えて、そういう流れができてくるからね。
善なる人たちと心を通わせながら、世の中を良くすることができたなら、それもまた幸せなプロセスになることだろう。それこそが愛だから。
ついでにいうと、人と愛しあうことができるようになるから、あいつらの企んでるロボット社会にはまりこまなくてすむからな。

というわけで、言うべきは言って犠牲者意識から抜けて、自分の感情に戻ろう!

 ミャンマーの紛争が平和的に解決し、ミャンマーの国を愛する人たちが命を大切にして、生きていくことを願って止みません。 Dr.Yでした。 #ミャンマー #クーデター #民主化 #平和的解決

はーい、先生、今日もわかりやすくビシッと言っていただきまして、
ありがとうございました(^◇^)

おばさんは、ミャンマーのこの件について見るとき、民衆や国軍やスーチーさんや中国共産党に着目していたけれど、警察や軍の意識からお話いただいて、とてもためになりました。

そこの着目されるのが正義感にあふれたDr.Yさんらしいなぁと、おばさんは思いました♡

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新型コロナウイルスの院内感染防止に成功した漢方薬、荊芥連翹湯(けいがいれんぎょうとう)を広めております。先生の論文も出ております