お先に下山します☆彡

目指せ!エンディングノート(*^^)v

蓼科山登山・ガレ場

2023-05-28 14:27:06 | その他
2023/5/27、蓼科山(2531m)行ってきました。
↓山頂三角点

↓ホレ、動画ね。

7合目登山口駐車場確保のため、前夜入り。
登山口鳥居前に一番乗り、翌日横浜から来るミス横浜ご一行さまを待つ。

おら山育ちなので、ちゃんとした登山やったことがない。
小学生の頃、とーちゃんや近所のおっちゃんに連れられ山に入り、キコリやったり、猟銃ぶっ放したり、うさぎ獲ったり鹿解体したり、野生で育った。
2500mクラスまでは、自然の遊び場だった。
東京で学生時、バイトで修学旅行生を富士山に上げるピストンもやったけど、やっぱ登山って感じはしなかった。
最後の山行は10年前の那須岳(茶臼岳)。キャンプ仲間の子供(8歳)に登りたいとせがまれ保護登山。足で負けた。ちびっ子は猿だった。

今回ミス横浜からのお誘いを受け、ハリキッテ参戦。
朝7時合流。登山開始。
お客さん皆、山装備ガチ。おいらだけ普段着、ザックもなくしょぼいズタ袋に軽食と天然水550mm一本、GoProとアマ無線機をぶっこんで出発。

途中の蓼科山荘までは一緒。後は勝手先行し山頂合流を約束。
ここからはガレ場になるので岩石ゴッコをたっぷり楽しもうと。


てなわけで、最初の動画の通りです。
登山ルートや写真はネットにあふれてるので、ガレ場メインで撮影しました。
蓼科山は初心者向きの山ですが、行かれる方は動画の風景を確認(覚悟)して準備されると良いと思います。
上りより下りが厳しいです。足場が石なので気を抜くと落下、捻挫や骨折祭りになります。

久しぶりの山行、感動したのは、、若年山ガールの多さ。しかもみんな可愛かった!キャピキャピ声がおらのDNAを刺激する。

お仲間共々、ケガもなく帰ってこれて何より。
お世話になりました。

池之平まで降りて温泉浸かろうと思ったが、今日は休日で客多し。ドコモ電波も取り合い激込み。しょーがねーから佐久まで出て人気の日帰り温泉に入っただ。

他、あれこれ、、以下。

先日大火事となった車山の山火事現場を見て来た。
↓黒いとこは全部焼けた(これほんの一部)
↓ビーナスラインの霧ヶ峰富士見台ドライブインは生き残る、後ろの山も焼けている
↓無惨


池之平ホテル、新装オープン。
先月新装した池之平ホテルにIN。数十年前スキーで使って以来w。新設された湖天の湯に入って見た。大人2000円。

モダンな造りで、売りは見晴らし抜群の露天と展望サウナ、どっちも混浴(水着無料貸出)。平日で時間帯が良かったのか2組のカップルとおいらでほぼ貸し切り。久しぶりに風呂の中でピチモチの若い娘とゆっくりできたw。
ただ温泉じゃないので長居する気になれず。ファミリーやカップル用のレジャー施設だな。いろんなお酒が飲める仲見世ゾーンもあって宿泊者にはお遊び豊富。
で、気づいたんだが、ここエントランスにチェックがなく素通りで入れちゃう。受付でキー交換がないので、ロッカー含め全部フリーで使える。
風呂出てから分かったのが、自販機で入浴券買ったら、それを仲見世の店舗に出すそうなのだ。知らんかった。
決して誘導ネタではありませんw

道の駅・ヘルシーテラス佐久南が、気に入った。
飯がうまい!

食事処「郷土料理レストラン・咲恋テラス」が空いてて入ってみた。朝食500円、ドリンクバー付。
オール地元素材。広い厨房でご飯もおかずも丁寧に作られ強烈に美味い、コスパも味も、おいら的に道の駅トップだ。
おら人気グルメは全く興味なし。こーゆー郷土のかーちゃんが作る自然の味が大好きだ。
中で作る弁当も550円、素材良し、アラカルトもナイス、マストです。
駐車場は満車なのだが、みんなショップ目的でレストランに来る人少なし。
ショップもそれはそれで、客多いのに殺気無く、売り物の質も良い。地元の生花が安く新鮮で綺麗、バラを購入。

↓こんな感じで車内に置いてブログかきかき(^^)

そんなわで、ピンコロ地蔵に寄って帰ります。
今夜ホタルいかなければ・・・。

(^^)/

2023ホタル第6夜(飛翔)

2023-05-22 23:32:27 | その他
2023/5/21、20時~23時、現場報告。


飛翔が安定してきました。下記動画をご覧ください。
ここでは養殖等管理ホタルに見る追いかけまわされ逃げる風景がありません。原生ホタル特有の人間を避けない生物の原点があるように感じます。
地元の鑑賞客が映ってますが、どうですか、ホタル君たちと共生している感じがわかりますか。気負わず騒がず当たり前の自然の中で、太古の昔からの生命の恵みを享受する風景。。だからこそ大切にしなければという優しい心が生まれます。

↓昨夜の状況
Sonyα6400、50mm、F1.4、SS1/30秒、ISO20,000

タイムカウント、0分20秒、ホタルの群れのど真ん中に立つおっさんが私です(^^)。今回は滑らかさ重視、シャッタースピードを1/30でヌルヌル感を出してみました。ほぼ眼視に近い映像です。
優雅ですね~。1週間後になるだろう飛翔ピークは、個体数もさらに増え、横に広がり激しく飛び回ります。

飛翔タイミングは山谷があり、10分周期くらい。更に1時間周期くらいで大きな山があります。鑑賞客は、20時~21時くらいがピーク。今年は早いのを知らないのか、まだお客さんは少ないです。
今週後半から一気に満開になると思います。

一昨日は現場からライブ配信を実施。
配信専用機材を本番に備えテスト。問題無く運用できました。

6/3のホタル祭り開催前(5/25~31)くらいに来られるのがおススメです。


ハッピーホタリング(^^♪

(^^)/


2023ホタル第5夜(飛翔)

2023-05-19 23:17:11 | その他
2023/5/18、20時~23時、現場報告。

前回で序章が完。今回から飛翔ステージです。
2日連続気温30度超え、ホタルは一気に離陸モードへ移行しました。

飛翔時間も長くなり、先週は19時~21時、今週は19時~23時まで元気よく飛んでます。水路から周辺の野菜畑や民家へ越境飛行する個体も増え、高度は5m超えるものも、時折撮影カメラや体にもくっついてきます。
昨夜は、22時頃から飛翔スピードが緩やかになり、優雅な風景を撮ることができました。

↓ハイ、こちら
Sonyα6400、50mm、F1.8、SS1/20秒、ISO20,000

4つのシーンをベタで繋げて4K、27分動画。どうぞお部屋を暗くしてご覧ください。
おススメはタイムカウンタの6~7分くらいか、16分~くらいかな。。ま、どこ切っても飛んでます。上級者はホタルに己を投影し一緒に飛んじゃいます。やってみてくださいw

ピーク時は、体感この動画の数十倍の個体数になります。
未だ飛び始めで活性低いですが、点滅の同期化現象が見られました。
ゲンジボタルは活性が上がるとほぼ好き勝手に光りますが、まだみんな秩序をもって協調してるようです。

動画後半シーンは、ホタルの向こうは県道(東松山深谷線)があり、車が頻繁に走行してます。あの光をものともせず、ここのホタルの自己主張力、なんたる強心臓か。


お願い:
鑑賞目的で車でホタルロードへ侵入し、ヘッドライト全開のまま長居する方や、サファリパーク車の如くエリアをライト全開で回る方、が増えて来ました。まるで陸のジョーズ!です。全体が一気に破壊されます。
通り過ぎる車の中でわいわい騒いでるカップルやファミリーを見ると、組成の違う異星人のようです。。どうか我々地球人にお慈悲を、、。

(^^)/

2023ホタル第4夜(序章)

2023-05-17 02:27:47 | その他
2023/5/16、20時~22時、現場報告。

たぶんこれが序章ファイナルです。
今日から天候回復、気温上昇、しかも新月、絶好コンディションです!
で、ハリキッテ行ってきましたよ。

現場は爆発直前、臨界状態です。

↓ホレ
↓ホレ
↓ホレ
どれも、Sonyα6400、50mmF1.4、SS8秒、ISO500、連続40枚比較明合成。
上の3つ、それぞれ水路の別の場所で撮りました。
比較明合成やりすぎ、アートセンスゼロ、もはやホタルにあらずww
反省:ピントを奥に合わせすぎた。手前がボケてギャング状態。

今年はやっぱ早いです。数も去年の大爆発を超えるかもしれません。
昨日の倍超え、80m範囲で200頭を余裕で超えてました。
もー大丈夫です。埼玉熊谷江南ホタルロードに来られる方、いらっしゃーい、どこでも飛んでます。

明日(今晩)、明後日は、出現序章時としてはコンディション的に最高だと思います。まだ鑑賞客も少なくて良い。
19時半~21時くらいが飛翔が多く優雅に見れます。活性がピークになるのはあと1週間から2週間、こーなると花火状態、深夜まで大飛翔、大騒ぎになっちゃいます。それはそれで楽しいですけどね。

現場情報を再度あげときます。

◆ピーク予測
5/20~25 (50%)
5/25~30 (100%)
6/01~05 (90%)
6/05~10 (70%)
6/10~15 (30%)

◆ほたる祭り日程(2023年6月3日(土)18:30~)

◆鑑賞おススメポイント
(黄色〇→△、大きさ順)

〇の一番でっかいところを目指しましょう。基本ブルーラインは全部見れます。田畑内は私有地ですので入らないように。

青い帽子でカメラもってるおっさんがいたら、おいらです。
声掛けてね。

明日からは動画撮影に入ります。

(^^)/

2023ホタル第3夜(序章)

2023-05-16 02:58:36 | その他
2023/5/15、20時~22時、現場報告。

20時に雨止んだ。
第3夜目にして、同業者に今季初遭遇。2級ポイントにカメラマン1名あり。
反対側の1級ポイントへ向かう。
今年の傾向が大体見えた。下にマップ貼っとくね。

今日ちょっと嬉しい出会いがあった。
保護会の見回りスタッフが増え、大勢が出現数調査をされていた。
すれ違う方皆さんがご挨拶してくれる。インターバル撮影を仕掛けた後、1人の方からお声がけ頂き長話突入。
熊谷市の〇〇〇会副会長兼この地区の会長さんでした。

ここの自生ホタルの歴史、各地へ移植支援してること、遠方から来るホタル泥棒が後を絶たないこと、子供たちへの自然啓蒙活動、等々、、大変参考になりました。
そして、おらのホタルラブを熱弁してたら、、
もしかして、あなた去年映像データ送ってくれた方ですか?xxxのアドレスに、と。
え、なんで知ってんの??
メール返信が無かったので、無駄苦労でスルー処理されたのかと思ってたのです。
そったら、あれねー、すごくいーねー、講演会やプレゼンで使わせてもらってます、と。
おおお、役に立ってたんだ!めちゃ嬉しいっす(^^)。
他にも色々お話させていただき、お名刺も頂戴しました。
ありがとうございます。

そんなわけで、今日の様子です。
着実に個体数が増えてます。
↓生活道路横の水路

↓賑やかなとこをクロップ

80mの範囲に約100頭が確認できました。
毎日倍々ゲームで増えてる感じです。
気温の低さと雨直後もあり、飛翔活性は低かった。

↓ホタル元気マップ(黄色〇→△、大きさ順)

〇の一番でっかいところを目指しましょう。基本ブルーラインは全部見れます。田畑内は私有地ですので入らないように。
上の画像は、二番目の〇で撮りました。

ホタルマニアの間では、優良ポイントを晒すのはNGという暗黙ルールがありますが、ここは公式お祭り会場につき、どうぞ悪しからず。

今年のピーク予測と、ホタル祭り日程は、「第1夜」のブログにあります。

(^^)/

2023ホタル第2夜(序章)

2023-05-14 03:44:23 | その他
2023/5/13、20時~22時、現場報告。

ホタルバカ、光もの大好きな宿命。
昨日に続き突撃してきました。雨なのに。
同業者おらず。
ホタルちゃん順調に増えてます。今日は50頭ほど確認。雨の中飛翔する意識高い系やる気満々もいた。

ホレ↓
ホレ↓
↓ホレ

生体発光って神秘的で時間忘れるんですよねー。
今日も雨の中2時間居ましたw。

今年は第何夜までいくだべなあ。あと1週間は序章が続くかと思います。
ピーク予測は、前ブログにあります。

(^^)/

2023ホタル第1夜(序章)

2023-05-13 11:27:41 | その他
関東のホタル、始まりましたよー!
未だ関東での出現報告がネットにないので、おらがいち早くアップっす。
出現が5/6、優雅に飛び始めたのが5/10、そして夕べ5/12、もはや絵になる鑑賞モードに入りました。
今年は早いです。皆さん出遅れないように。
ここは、埼玉県熊谷市江南地区、ゲンジボタルが自生する場所。昨年の大量爆発に味を占め、今年もガッツリいっちゃいます。

昨夜、小雨の中、頑張って撮ってきました。
↓ハイコレ

5秒シャッター、連続10枚の比較明合成です。
未だ開幕戦なのでホタル数は20mの範囲に15頭程。気温も低く飛翔もマイルドです。
別のポイントでは40頭程確認、雨が強くなりカメラびしょ濡れで撤収しました。
未だカメラマンは居ません。NPO保護会の方、様子を見に来た地元のマダムとお会いし、この調子だと今年のほたる祭りはコロナ開けでエライことなるなあ、と嵐を予言。落ち着いて鑑賞するならお祭り日は避けたほうが良いそうです。

で、今年のほたる祭り日程が公示されました。

↓ハイコレ(2023年6月3日(土)18:30~)

駐車場も多くあるのでお車でも安心です。念のため早めに来てね。
ここのホタルロードは全て車の乗り入れが可能ですが、祭り日は規制がありエリアの中には入れません。祭り以外の日にヘッドライト全開でホタルロードを亀走行、さらに居座る無神経車両もいて大迷惑になっています。どうぞご注意を。駐車場から歩きましょう。

そして今年1回目の予言いっときます。
5/20~25 (50%)
5/25~30 (100%)
6/01~05 (90%)
6/05~10 (70%)
6/10~15 (30%)
今の勢い的には、これより数日前倒しになる可能性もあり。随時更新します。

◆昨年の記録(熊谷江南ゲンジボタル)は以下です。

第4夜以降は、秩父のヒメホタルになってます。

ハッピー・ホタリング(^^♪

(^^)/

ホタルきたー!

2023-05-11 00:20:39 | その他
キタキタキター!
2023、ホタル飛翔始まりました!

昨年より一週間以上早いです。
未だはえーーだべなあ、、と下見がてらダメ元で現場へ。
すると駐車場に怪しげな影が数人、、同業者だ。
無視して昨年のベストポイントへ向かう。数百m歩くと、、出たー!
1頭めっけ、2頭めっけ、、おいおいいるぞいるぞ、なんだかんだで20頭程がゆらーるゆらーり。既に絵になります。
カメラマンはだれもいない。
NPO保護会のおっちゃんが1人いるだけ。個体数のカウントをしている。
おっちゃんに聞いてみた。「いるねーおっちゃん、今年ははえーよなーこれ、いつから出たんだい?」すると、先週5月6日よ!今年は記録的に早い!と。
5/15から個体数のWeb公開を始めるとのこと。

↓これ昨年の動画
ここは、一周約2kmのホタルロードがあり、幾つか優良ポイントを廻って見た。結果、全ポイントに飛翔確認。
スイッチ入りました!明日から撮影態勢に入ります。
あーー楽しみーーー(^^)/

昨年もいろんな場所巡りましたが、ここはゲンジボタル天国です。鑑賞環境も素晴らしく、他の場所のように場所の取り合いや、マニアたちの怖い視線がありません。広大なので緊張が無く、ピーク時は360度ホタルに包まれます。
近所にこんな場所があって、おらめっちゃ幸せっす。

全国では様々なホタル祭りが開催されますが、観賞用に仕立てたエリアを厳しい規制の下で、管理ボタルを見せる。ってのが多い。
自然のままの場所、手を加えない場所を、そのままどうぞ自由に見てくださいってのは実は希少なのだ。
前者の代表的なのは、日本一のほたるの里を名乗る、信州辰野のほたる祭り。
昨年は、コロナを盾に辰野宿泊者のみ鑑賞許可というトンデモ町興しに執着、管理ボタルの末路を見た。
今年は繁忙期は三脚、一脚の使用も禁止し、更に商業化やる気満々。
鑑賞は有料500円、協賛金3000円以上。
環境整備や秩序維持にコストがかかるのは分かるが、他に策があるだろうと思う。やなら来るな!の強気が余計に気に障る。
更に、業界では辰野のホタルのルーツ問題が静かに炎上している。昭和初期、辰野のホタルはほぼ絶滅し、西日本より大量の個体を移植し増やした経緯がある。これが西日本、東日本のホタル種の分布に影響を与えた。科学的検証を基に研究者が指摘するのだが、辰野は文脈破壊を嫌い地元原生種だと言い張る。その看板の裏には大人の都合が隠れているのだ。

おっとヤベ、敵が増えるw

ってなわけで、明日から戦闘開始します。
ホタルのために北海道行きを遅らせてました。ゲンジとヒメを堪能し、6月末北海道に入る予定です。
で、あっちでは7月、8月がホタル、、懲りない予感w

あ、今年はご希望の方あれば、現地をご案内しようかと思ってます。
ピーク時期を見定めてスケジュール立てます。最寄り駅は東上線森林公園駅、現地まで15分。キャンカーで送迎します。もちろん無料。
本ブログのメッセージメニューで、どうぞお気軽にご連絡ください。

(^^)/

吉原ソープ嬢・紅子ちゃんに会う

2023-05-07 14:35:20 | その他
みなさん、GWいかがでしたか。天気良かったですよね。
おら丁度一週間、栃木県那須を5日、都内各所を2日放浪してました。
どっちも前記事の延長取材です。

都心は、キャンカー駐車場が無く苦労しました。
広くてゲート通れるところもありますが、それに限って従量課金、2日も置くととんでもない額になります。探し出したのが、葛飾荒川の河川敷運動公園駐車場、1日500円、都内じゃ奇跡です。ここをベースにバスで回遊(電車だと目的場所近くに駅が無い)。今、都バス以外にコミュニティバス(ちぃバス)ってのがあって100円すよ。名所旧跡を網目の様に周回してます。20分毎だし、麻布、広尾、高輪、六本木、目黒の江戸旧跡を廻るのに超快適でした。
那須では高尾太夫の取材で、郷土史研究家や語り部の方達多くと出会え、非公開の重要資料なども出して頂き大変参考になりました。
美人人妻さまともご縁が生まれましたw
夜はライブ配信、心霊界の某大御所と遭遇、一緒にパワースポットの深夜配信なんぞしておりました。おっかなかったわーw
燃料、高速、飯、温泉、施設代等含めオールで2万円程。安いっしょ!

さて、本題。

昨日、吉原で人気ソープ嬢として活躍された紅子ちゃんに会ってきました。
日本三大高級ソープランド吉原ピカソ(他は、雄琴の「フォーナイン」、熊本の「ブルーシャトー」)で働き、 引退後しばらく経ち、Youtube配信を始め、その体験を赤裸々に告白、日本中の赤線や色街を訪ね、ご自分で撮った写真を個展で紹介されています。
当初より縁があり(客ではないよ)、お祝いを兼ね、吉原にある会場のカストリ書房を訪ねました。

また、紅子ちゃん、写真集発刊費用のクラウドファンディング中で、早々目標額達成、どこまでいくやら支援額は日増しに伸びています。

彼女の人生は実に愉快!(失礼w)
Wikiに詳細があるので是非ご一読願いたい。
正に性の伝道師!彼女の透明で爛漫な生き方が大好きです。
色商売に変な偏見や固定観念をお持ちの方が多いと思いますが、実は彼女のように天使の如く豊かな精神を持つプロも結構多くいるのです。ジェンダーは違えどたぶんおいらも同じDNAを持っているんだな。一緒に居るととても居心地が良いです。

なんつったって、紅子ちゃん、初体験はネギですからね!w
公言してます。少女の頃から性のロマンに目覚め、あたしネギで女になりましたと!ww
↓こっちもネギもってるw


許可を頂き、展示写真のいくつかを撮らせていただきました。(過激なのは撮禁)
↓室内ライトが反射してm(__)m
↓シブイねえ
↓昼間と夜は大違いなんだよねえ
↓時代にしたる紅子さま
↓とある赤線、遊女の寝床、不潔と思うなかれ、なぜ生きるを問おう
↓遊郭の柱に印された遊女、繁栄と哀愁を思ふ

↓紅子ちゃんとまろ(^^)
↓あ、セルフ撮影ですからね!


ひっきりなしにお客さんが来ます。大人気です。
業界の重鎮や、吉原の老舗の方も。できればみんなで宴会やりたい。
今回第一回の写真展は本日で終了ですが、紅子ちゃんやっといろんなメディアが取り上げるようになりました。
キュートで人当たりが良く、とっても素直で品のある等身大の女性です。2回目もあると思うので是非みなさんもフォローしてあげてください。

(^^)/

花の散る場所(高尾太夫)その1

2023-05-04 22:46:48 | その他
花魁シリーズ第4弾:

第2回 生まれては苦海 死しては浄閑寺(花魁若紫の悲劇)
第3回 純愛とは何か(花魁小紫の場合)
第4回 花の散る場所(高尾太夫)その1  ←今回

高尾太夫、11代続いた(諸説あり)といわれる三浦屋の名妓の中で、今回は最も有名な2代目高尾大夫にフォーカスします。

数回に分けアップしますが、今回の初回は基礎編です。

全貌を知るべく既に取材に2ヵ月費し、未だ進行中です。
立体的な情報収集により、人間高尾の憂いと心情に迫ろうと思います。
約360年後の今、高尾をどこまで蘇らせることができるか、それがテーマです。
どうか、懲りずにお付き合い頂ければ幸いなり。

高尾は没後、その高名ゆえ、後世の名だたる文芸者たちの興味を引き「高尾考」なるジャンルを生みました。しかしその研究は全て迷路へと結ぶことになります。正に、触るな危険!アンタッチャブルなヒロイン、それが三浦屋2代目高尾太夫です。
気づくのが遅かった、とんでもないものに手を付けてしまった。沼にはまって抜けらません。
江戸時代・萬治年間に生きたため萬治高尾ともいう。(仙台藩主との関わりで仙台高尾、出身地塩原との関わりで塩原高尾ともいう)
↑いろは紅葉の文様が2代目高尾の紋所。
故郷、塩原の紅葉を愛し、打ちかけや身辺道具にも文様が多く残ります。

一般に世間に知られる逸話は以下の通り。

◆高尾の逸話:

=====
吉原絶世の美女とうたわれた高尾。陸奥仙台藩領主、伊達綱宗に側室目的で3000両で身請けされるも、本命の想い人への心が離れず、激高した綱宗に隅田川の船上で吊るし斬りにされた。
遺体が北新堀河岸に漂着し、日本橋箱崎の高尾稲荷に祀られ、その頭蓋骨は今でも祭神として宝物となっている。
2代目高尾が有名なのは、この凄惨な運命からです。
また、綱宗が身請けまでに使う祝儀や揚代を含めると、総費用は約6000両、現在の5億円を超えたと言われています。
=====

でも、調べ始めて直ぐわかった。
これはフィクション混じりの妄説なのだ。
高尾の死因は、吊るし斬りなどでなく、持病の肺病によるものです。

高尾は、その人気ゆえ、墓と称するものが複数あり、其々の伝説を残す。
供養塔なら縁ある場所に複数あっても良いが、亡骸を埋葬した墓が幾つもあるのは尋常ではない。
歴史家の解釈や能書きを鵜吞みにせず、彼女が生き、散った場所を巡り、当時の情景を想い浮かべながら、自分の肌身で感じれば、きっと何かが見えてくるだろう。

高尾を探す旅は、東京、埼玉、栃木、宮城に及んだ。
(宮城は10/21、北海道からの帰路仙台に寄り仙台高尾を取材しました)

まず、高尾の歴史を見ておこう。

1641年 栃木県塩原湯本村に生まれる。幼名:アキ
1646年 アキ5歳、塩原の塩釜地区へ移る
1649年 アキ8歳、宿泊客に石(化石)を売りに来ている子どもだった。
    アキの家は貧しく、明賀屋の主人と妙雲寺住職の計らいで、
    明賀屋に湯治に来ていた三浦屋が養女として引き取る事になる。
    ー詳細ー
    湯治のため塩の湯の明賀屋に吉原三浦屋夫婦が宿泊。
    アキが天心天女の再来かと疑われるほどであることに気づく。
    夫婦はアキを部屋に招いて石を買う。
    その後も石を買い続け、学問と遊芸を身につければ、
    小野小町や楊貴妃に匹敵、いやそれ以上になるだろうと確信。
    親との交渉はすんなりまとまり、やがて江戸に連れ帰る。 
    身売り代金7両。アキの親は病身でこれを薬代とし命をつなぐ。
1655年 道哲、西方寺(旧浅草聖天町)にて念仏開始
1657年 1月、明暦大火で三浦屋含め旧吉原全焼(日本橋人形町)
1657年 6月、新吉原へ移転完了(旧浅草日本堤、現在の千束)
1657年 アキ16歳、三浦屋を再興するため自ら遊女となり二代目高尾を襲名
1659年 高尾、陸奥仙台藩主・伊達綱宗と馴染みになる。
    客の島田権三郎(江戸北町奉行島田忠正の5男)と相思相愛となる。
    権三郎は四代将軍家綱に仕え親衛隊に相当する御小姓を勤めていた。
    高尾は西方寺近く三浦屋別邸にて道哲の念仏を知る。
    道哲の仏心に触れ自分の死の際は道哲に送ってもらいたいと願う。
    肺病を患い三浦屋別邸にて病床に伏す。
1659年 12月、高尾没説(春慶院に墓)
1660年 2月、高尾没説(永源寺に墓)
1660年 6月綱宗、出府
1660年 7月綱宗、隠居
1660年 12月、高尾19歳で病没(西方寺に墓)、同12月道哲没
ーーーーー
1683年 道哲没説
1718年 高尾1660年落籍後、仏門に入り77歳で没説

上記の通り高尾の晩年には諸説あるが、有力なのが以下の2つだ。

【西方寺伝説】
西方寺は元々吉原遊郭の近く旧浅草聖天町にあり、浄閑寺に次ぐ、遊女の投げ込み寺として有名。遊郭が日本橋から浅草の新吉原に移転する1657年までは、道哲は小塚原刑場(現在の千住駅周辺)で絶命する罪人達を念仏で弔っていた。新吉原開始後、道哲は、土手沿いに運ばれ、寺に捨てられた遊女たちを無縁仏として哀れみ、昼夜問わずひたすら念仏を上げたことから「土手の道哲」の異名を得る。高尾も道哲の熱心な仏心を知るに至り、遊女苦海の最期の希望として、自身の死のよりどころとする。1926年、豊島区巣鴨へ移寺す際、道哲の墓を掘ると骨壺が2つあり、一つは道哲、一つは高尾だった。またこの時、高尾の持仏(4cm程の木彫り襟かけ地蔵)と銅鏡も同時に発見された。
【永源寺伝説】
島田権三郎に想いを寄せる高尾は、綱宗の金と権力で身請けを迫る手から逃れ、二人は島田家領地の坂戸へ逃げ延びるも、病の身であった高尾は萬治3年(1660年)2月生涯を閉じ、坂戸の永源寺に葬られた。
高尾の死後、権三郎は自らを道哲と名乗った仏僧となり、高尾の菩提を弔って一生を過ごしたという。

さあ困った。まるで二律相反だ。
  • 高尾は、いつ、どこで亡くなったのだ?
  • 西方寺の道哲は、いつ亡くなったのだ?だれが高尾と道哲を同葬した?
  • 永源寺の権三郎は、何故道哲を名乗ったのだ?
◆謎の1660年:

1659年までは、高尾の伝説は一貫している。
それは、身請け先として伊達綱宗と島田権三郎が競った結果、大金を積んだ綱宗を見切り、相思相愛の権三郎を選んだこと。同時に、道哲に寄せる心は、持仏(襟かけ地蔵)を形見のように大事にしていたことから、仏に求める慈悲を道哲に被せていたこと。ここまでは、異説は見当たらない。

1660年、綱宗は幕命により御茶ノ水の開墾作業の監督として仙台から江戸新橋の仙台藩上屋敷(旧新橋停車場、現在の日テレタワー辺)に入る。しかし綱宗の遊興放蕩三昧は幕府の知るところとなり、「無作法の儀が上聞に達したため、逼塞を命じる」 と、同年7月18日、僅か21歳で強制隠居させられてしまう。(綱宗は天皇と従兄弟の関係だったため幕府が朝廷の政治干渉を恐れ失脚させたという説もあり)高尾に端を発したいわれるこの隠居事件は、有名な江戸の三大お家騒動の一つ「仙台騒動」の原因にもなった。
つまり、高尾はこの年まで存命していたわけで、上記タイムライン春慶院の1659年12月5日没説は消える。はずなのだが、江戸後期に記された「山東京伝」高尾考によれば、それを正とする。問題は墓石の刻印が戦火混乱により一部崩れ落ちており戒名の体をなしてないことである(後述)。
また、江戸の花街・鳶魚江戸文庫13 によれば、綱宗が落籍(身請け)したのは高尾ではなく、京町高島屋の「かおる」としている。
更に綱宗には側室が7人居たと伝わり(正室はおらず)、その内、側室筆頭で同郷仙台の陸奥三沢氏出の「三沢初子」を実質正室として待遇するほか、江戸屋敷にはもう一人の側室が居た。綱宗に侍女として仕えた「椙原品=すぎはらしな」(通称お品)である。綱宗はこの2人のどちらかを高尾と呼んだとする高尾複数説がある。仙台藩下屋敷のあった麻布と綱宗が幽閉された品川大井にも高尾を印した旧跡が存在するのは、当時一世を風靡した三浦屋高尾に比し、初子、またはお品の容姿端麗・天性聡明性を、リアル高尾に掛けたものと見られる。
もはや高尾は個人ではなく、才色兼備のブランド名と化していたのだろう。
当時の仙台藩は62万石。後に徳川より100万石を約束され隆盛を極めていた時だ。豊富な財力は皆の知るところ。地元仙台に伝わる高尾話は、綱宗が側室に上げたお品であるとする。大金で身請けし吊るし切り説を生んだ三浦屋のリアル高尾は、綱宗の財力と遊行が生んだ世情の華話なのである。
お品は綱宗死後、仙台に戻り尼となり綱宗を弔いながら生涯を閉じた。
これは、上記タイムラインの最後、仏門に入り77歳で没説を裏付ける。
つまり、綱宗の中には2人の高尾が居た。リアル高尾は遊郭で深い交流は有ったものの1660年に病没し、別人である綱宗の高尾は長命であったということだ。

◆高尾の墓はどこにあるのか?

晩年とされる1660年を基に、3つの説(春慶院、西方寺、永源寺)が生まれる。それぞれ見てゆこう。
  1. 浅草春慶院に、高尾の墓と伝わる四面塔があり、高尾の紋所「いろは紅葉」と遺詠と共に没日が萬治2年(1659年)12月5日と刻まれている。しかしこれには戒名が確認できず供養塔と考えるのが世の習い。一方で、何を根拠にしたか「西方寺の地蔵の石碑は、高尾追善のために建てたる碑なるが如し。真の転誉妙身の碑は、春慶院の四面塔の碑こそ、埋骨の碑」と、春慶院こそ墳墓とする説があり。この石碑は、後に綱宗の内命により建立されたと云われ没日が1年早いのは、精度の問題なのか、2人の間の深意なのか事知れず。
  2. 西方寺の墓石には、没日が萬治3年(1660年)12月25日、戒名が轉誉妙身信女と刻まれ、横には道哲の墓とされる道哲座像があり。前述の通り西方寺移転の際掘り起こした墓から、2つの骨壺が発見され、一つは道哲道人、一つは高尾のものだった。但しこれは科学的解析の結果ではなく、高尾の銅鏡と持仏が一緒に発掘されたことによるもの。
  3. 永源寺の墓石には、没日が萬治3年(1660年)2月27日、戒名が月桂円心大姉と刻まれている。高尾は、綱宗の強引な身請けの手を逃れ、病身であったことから権三郎が浅草常福寺で看病にあたるが、ここで生涯を閉じる。権三郎は一族の菩提寺である埼玉坂戸の永源寺に高尾を手厚く葬り、自らは道哲と名乗って仏僧となり、西方寺の前身である道哲庵を建て、高尾の菩提を弔って一生を過ごしたと云われている。(永源寺サイトより)
はてはて困った。これを一体どう解する。

各種古文書や資料から得られる、断片的な史実がどれにも一様に含まれているため、正に諸説なり、決定打が得られません。
道哲は元々仏僧ではなく、道心(仏道に帰依する仁義礼智の人)であったことから、道哲の正体は、権三郎だったのか!?
と考えたいところですが、道哲庵が建てられたのは新吉原開始2年前の1655年であり、権三郎が道哲と名乗ったのは高尾を永源寺に葬った1660年以降になるため整合しない。
更に、高尾の没日は各資料の多数決的に12月が有力なのですが、もし、永源寺説の通り2月に亡くなったのだとすれば、後に分骨でもして、道哲が亡くなった12月に合わせ、西方寺に墓標が建てられた、のか?
はたまた、権三郎は、高尾が道哲に信心していることは承知、西方寺の道哲亡き後、その名を借り永源寺で弔い続けたのか?
道哲は更に20年程生き延びたという説もあり、迷宮に輪を掛けます。

◆亡骸はどこで焼かれ誰が葬った:

当時、江戸には浄土真宗(旧一向宗)が広がり庶民にも火葬が増える時代でした。
江戸の焼場は刑場にあり、北は小塚原、南は鈴ヶ森、西は八王子でした。浅草には19カ所の焼場があったと云われ、それを集結したのが小塚原。高尾も道哲も在居近くの小塚原で焼かれたはずです。そして、その遺骨を受け取った誰かがいるはずです。
道哲道心は仏道の身、高尾は俗世の遊女、この間に色恋ロマンスなどありえないとする当時の記録があります。ならば2人の死後、その関係を憂う何者かが、両者の遺骨を個々に回収し西方寺に同葬又は分骨納した可能性も強く、個人的には三浦屋あたりの隠れた配慮があったのではと思うところです。

◆三浦屋の立場:

女性が妓楼に売られる際は、それを仲介する専業者(女衒=ぜげんという)が居るのが常でした。女衒は女を安く仕入れ、経費利益を上乗せして妓楼に売ります。
妓楼の買い取り相場は、慶長小判で5両から50両程(現在の約50万から500万円)、容姿はもとより適齢の即戦力なのか、養育に年数が必要なのか等で変わります。
文化13年の「世事見聞録」にはこうあります。「女はみな親の艱難によって出るなり。国々のうちにも越中・越後・出羽辺りより多く出るなり。わずか3両や5両の金子に詰まりて売るという」。仕入れ値は30から50万円。これを妓楼に売る際は最大10倍近く跳ね上がるのです。
貧しい地方では、女衒が村を巡り5人まとめて10両などという売買も行われていました。
高尾(アキ)は8歳の時、7両で身売りされましたが、女衒仲介による妓楼落としではなく、湯治中の三浦屋主人が直接見初めて「養女」として引き取ったわけで、他の少女たちとは別の未来を考えていたのかもしれません。高尾はその恩義から焼失再建後の三浦屋再興のためにと、16歳で自ら遊女を志願したと云われています。
主人からすれば縁ある自分の娘、他の遊女同様、寺に投げ込み無縁仏とするなど到底できるわけもなく、想い人があれば結ばれることを祝福するだろうし、死すればできる限りの礼を尽すでしょう。
高尾の遺品が三浦屋から塩原の身内へ送られたのも、当時の遊女の扱いとしてはありえず、養女として受けた主人の想いの証左だと思います。
高尾の墓に三浦屋がどう関わったのか、記録は見つかりません。

こうなるともはや全てを受け入れ、当時を想い各所を巡るしかありません。
長いシリーズになるかもしれませんが、「その1」はこれで終わりです。
ここまでお読みいただいた方、無限の光とも思える高尾の愛徳とは何か?に興味ある方、「その2」切符ゲットです(^^)
暇人の執念、現場取材進行中、次回からは画像てんこ盛りで彼女の真実に迫って行きます。

高尾の生地、那須塩原本湯にて記す。

次回はこちら↓

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