幼い頃直撃したスーパーカーブーム。
何も分かっていない子どもにはとにかく数字がデカい方がエラく、ポルシェ911より930ターボ、フェラーリ365BBより512BB、ランボルギーニカウンタックはLP400よりLP500Sの方が人気が高く、それに加えてエアロパーツゴテゴテに武装した方がよりカッコ良く見えたものです。
いま大人になって改めて見てみるとLP400の方が断然美しく、LP500Sのオーバーフェンダーやリアウィングはカウンタックのデザインを崩してしまっているとさえ見えてしまいます。
※「LP500S」は当時子どもが見るようなTVや本等での呼称であって実際には……という話は無視しています。 ってか「イオタ」と「ミウラSVJ」とかランボルギーニはややこしい」
そんなガキンチョだったころ、母親に連れられ父の会社に行った時、隣のビル1階に入居していたいすゞのショールームに飾られていた1台の車が目に飛び込んできたのです。
いすゞ「ピアッツァ」です。
いすゞは今は国内では乗用車を生産してはおらずトラック・バスメーカーとして認知されていますが、当時はいくつかの車種を販売しており街のあちこちににもディーラーやショールームが存在していました。
そのいすゞの乗用車ラインナップの中でもフラッグシップ的存在のこのピアッツァは名車117クーぺの後継車として引き続きジウジアーロ大先生がデザインしたとにかく美しい車でした。
フェンダーの膨らみやエアロパーツなど分かり易い速さのアイコンは一切廃しており、素直でプレーンな佇まいながらよく見ると細かなディテールから淡い色気が漂ってきます。
エアロパーツモリモリカッチョいー!な子どもゴコロに衝撃というよりなんだかくすぐったいようなの心と体がモゾモゾするような……
友だちの家に遊びに行くとそこのお姉ちゃんがおしゃれな服を着てきっと彼氏とのデートにいくのであろうところですれ違う一瞬に微かに感じた女性の香り。
当時はそのモゾモゾが何か分からなかったけど、今言葉にするならこういった表現になるでしょうか。
そんな初めて感じた大人の色気をこのいすゞピアッツァから受けたのです。
いすゞはトヨタや日産のような大メーカーのように4年周期でモデルチェンジを繰り返すわけにはいかず10年もの長い間この初代タイプを売り続けていたのですが、それだけに何度もマイナーチェンジを繰り返し、どんどん高性能化していき見た目も変化していきました。
登場当時はドアミラーが非認可であった為に着けられたフェンダーミラーも無くなり、半開きのリトラクタブルライトも固定式となり角目4灯と、同じジウジアーロ作品のデロリアンDMC12風な顔つきになりました。
そして後ろ姿もテールライト間にあったクリアー部品も無くなり車名ロゴが大きく彫られているその頃のピアッツァが一番美しい。
でもその後イルムシャーやハンドリングbyロータスなど海外チューナーによる手が入ったバリエーションも増え、性能が上がる引き換えとしてリアウイングやピアッツァらしく無いデザインのホイールなどの装着でその美しさに曇りが出てきてしまったのが残念です。
そして北米での販売の為にGMとの共用車をベースにモデルチェンジした2代目ピアッツァは初代の美しさは見る影も無く、実際売れ行きも芳しく無かったのか4年後にはピアッツァの歴史に終止符が打たれることとなりました。
ぼくが運転免許を取った時にはまだ初代が販売されていたのですが、その頃は屋根が外れる車が絶対条件でトヨタスープラ(エアロトップ)後期型を買ってしまったので憧れのピアッツァを所有する事は無く、勝手に師匠と崇めていながらジウジアーロ大先生デザインの車とはいまだ縁を持つ事はできないままでいます。
さすがに今欲しい!とはなりませんが、オーナークラブの方々のツイートやブログを度々見ては「やっぱピアッツァはいいなぁー」とため息をついたりしています。