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満月倶楽部

大阪発のハープとアコーディオンのデュオです。

多摩川(写真なし)

2012年04月23日 | おさんぽ
午後一時くらいには下北沢に着いて、どのお芝居を観ようか、と吟味している予定だったのですが、昨夜はちと飲み過ぎました。起きては寝て、起きては寝て、を繰り返した挙げ句、ホテルを出たのが午後一時半過ぎという体たらく。

いつもの店でカレーでも、と思ったのですが、なんとはなしに前を通り過ぎてしまい、渋谷駅に向かいます。

そしてまたなんとはなしに東横線に乗って、多摩川を目指します。


僕が東京にいた頃は、目蒲線というのがあって、文字通り目黒と蒲田を結んでいたのですが、最近はなんだかややこしい事になっています。目黒から田園調布までが目黒戦なのかな?電車は基本、日吉あたりから出ているものが多いようで、そのまま、都営三田線と東京メトロ南北線につながっています。もとから日比谷線とはつながってますから、三方向へ乗り換えなしで行けるようになったわけですね。

そして、一駅となりの多摩川という駅から蒲田までが多摩川線。7駅からなる超ローカル線のおもむきです。切り捨てられた感ありありです。


僕が物心ついた頃は、「多摩川園前」という駅でした。駅をおりると直ぐに、多摩川園という遊園地があったのです。蒲田に住んでいた頃には、家から一番近い遊園地だったので、時には目蒲線で、時には父の運転する車で、よく遊びに行ったものでした。
まあそれは小さな遊園地で、今思い出してみると、京都にあった、八瀬遊園くらいの規模だったのではないでしょうか。

その多摩川園も、僕が中学か高校の頃、ついに営業を終了し、跡地はテニスコートやらなんやらになってしまいました。
多分、時を同じくして、駅名が「多摩川園」になったのではないかと思います。
そして、気がつくと、「多摩川」。


その「多摩川」駅で降りて、近辺を歩きます。
土手沿いの道から、駅へ向かう通りがあるんですが、昔は、多摩川園へのエントランスロードとして、両側に食事処やら土産物屋やらが立ち並び、それはにぎやかなものだったのですが、今は見る影もありません。所々開いている店もありますが、昔の栄華が痛々しい感じすらします。こんなん何故だか大好きなんだよなあ。

その中に、ぽつぽつと、当時はなかったアメリカンなカフェなんかがありまして、すぐ横には雄大な多摩川が広がってまして、坂をあがれば多摩川台公園。数十年前とほとんど変わらぬ風景とアメリカンなカフェのレトロ感が妙にマッチしていました。

多摩川台公園は、元々、付近に水を供給するための貯水池やら浄水場などがあったところだそうです。おまけに、5世紀だかに作られた前方後円墳まであります。その昔何度かきたけれど、そんな事はすっかり忘れていました。
高台から川をのぞみます。けっこう雄大です。向こうは川崎市。写真とれよな、俺。


高台から駅の方に降りてくると、超高級住宅街が広がっています。日本で有数の超高級住宅街です。お城のような個人の邸宅を眺めながら、「多摩川」駅に戻ってまいりました。

(多分)続く。
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とうもりこやて

2012年04月05日 | おさんぽ


普段はスナック菓子など食べないのですが、酔った勢いで買う事もあります。量も少なめでカロリーも低めだし、と自分に言い訳をするくらいの分別はまだ備えている、そんな程度の酔い加減の時に買ってしまったのがこれ。

トウモロコシの自然な甘さがおいしいです。皮が歯にはさからないのもgood。
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英吉利西屋

2011年07月10日 | おさんぽ
昨日、初日を観て、変更を抱えて大阪に戻ってきました。
結局名古屋は1泊だけ。名古屋らしいものは何一つ食べる機会が無かったのですが、名古屋の役者さんに連れて行っていただいた、英吉利西屋(えげれすや)はレトロでオーセンティックでしかもカジュアルというステキなお店でした。



お酒もフードも充実しております。
御園座のすぐ北隣でもあり、多分、舞台がはねたあとこの店を訪れる役者さん達も多い事でしょう。ロンドンのウェストエンドの劇場隣にあるパブを思い出します。

そこで、三林京子さんにおごっていただきました。ご馳走様でした。

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南海電鉄天王寺支線跡めぐり1

2011年05月20日 | おさんぽ
そんなわけで、突如始まりました。廃線跡をたどる旅でございます。今回は、大阪で最もディープな場所、西成にある、多分家から一番近い廃線跡。



地図の左下から右上に向けて斜めに横切っている空き地、おわかりになりますでしょうか。このように、地図にもくっきりと跡を残しています。
手元の資料、宮脇俊三編著「鉄道廃線跡を歩くV」によると、1900年に開通したこの支線、営業を終了したのが1993年、つまり18年前という事になります。当時はまだJRに新今宮駅もなく(1966年新設だそうです。俺より若い)、もちろん地下鉄堺筋線もありませんでしたので、それなりに存在価値があったわけでしょう。



午後一時過ぎ、地下鉄で天下茶屋駅着。むっちゃ晴れ。
ここ天下茶屋は南海天王寺支線の始発駅でもありました。初めて降りたのですが、案外大きな駅です。
天王寺支線は、少しの間南海本線と並行して北へ向かったあと、右へとそれていきます。本線と別れたあたりは、駐車場になっていました。
A地点からの写真。



中に入る事は出来ません。
大通を横切り、やや右に曲がりながら電車はすすみます。

B地点。



なんと中は畑になっていました。畑の様子を見に来たおばちゃんに聞きますと20年ほど前まで電車が走っていたそうです。実際には18年前なので、おばちゃんの記憶はけっこう正しい事になります。それにしても、土地の所有権はどうなっているのでしょうか。

そして、C地点。



遠くに滑り台や鉄棒などが見えます。と言うことは、子供達が遊ぶ場所なのでしょう。しかし、中に入る事は出来ませんでした。右側に広がる空き地は、おそらく駅の跡ではないかと思いますが、どうなんでしょう。

ここから北東すぐの所に三角公園があります。三角公園といっても、アメ村のそれとはだいぶ違います。ここはホームレスジョブレスピープルの聖地。昼から地べたに座り込んでカップ酒を飲む人たち、一日千円以下のホテル、300円からの古着屋、激安の惣菜屋。そういったものが混沌として街を形作っています。ちょっとカメラを向けるのもはばかられるような雰囲気です。
廃線跡地は、緑豊かでとても快適そうな場所が多いのですが、立ち入り禁止にしないと、あっという間に彼らに占拠されてしまうのでしょう。(そしてまたつづく)
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鉄道廃線跡を歩く

2011年05月19日 | おさんぽ
えと、白状します。鉄です。
世には様々な鉄がいるようですが、自分は、既存のカテゴリに当てはめるならば、「乗り鉄」、更に、自分の傾き具合としては、敢えて言えば「地図鉄」です。
もう少し詳しく言うと、ただただ宮脇俊三を神とあがめております。他の人は全く知りません。

大学に入りたての頃、国鉄全線完乗というのを企てました。
ところが、次々と廃線になるわ、挙げ句の果てに分割民営化になるわで、野望はしゅんとしぼんでしまったのでした。


いやしかし。

鉄道が廃線になっても、また新しい楽しみ方があるわけです。
宮脇俊三編著「鉄道廃線跡を歩く」

何冊か出てます。四冊持ってます。

そんなわけで、晴れた五月のある日、廃線跡歩いてきました。(つづく)
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通天閣より

2011年04月30日 | おさんぽ
そんなDominicはphotographerです。
ちょっと彼のマネをして写真を。



タイトルは、"beyond the gravity" です。



もう一枚。



タイトルは、"7 p.m."
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昨夜帰国しました

2011年04月08日 | おさんぽ
昨日は一日移動。
シドニーから成田、成田から羽田、羽田から関空。移動疲れです。

結局Martinboroghでは、わずか一時間余りカゴを洗浄しただけ。
それっぽっちの労働に対しては過分の報酬を頂きました。



浩之さん玲子さんお世話になった皆様。ありがとうございました。
来年は行けないかなあ。


今年で三回目のMartinboroughですが、毎年考えさせられます。
地に足の着いた浩之さんの生き方を見ていると、自分もしっかりせなあ、と思わずにはいられません。自分はどう生きていきたいのか、その為にはどうすればいいのか、もう少し真剣に考えなきゃあ、と思います。

今年こそ、何とか実際の行動に結びつけていきたいものです。
テーマは「自己肯定」。自分に一番足りないものです。
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Pain & Kershaw

2011年04月06日 | おさんぽ
Martinborouの中心にある1873年からあるスーパーマーケットです。
1905年の写真。


アメリカ西部の開拓時代を彷彿とさせます。まあ、少し遅れて似たようなものだったのでしょう。
で、これが現在。


周囲の雰囲気もさほど変わっていません。当時から比べると、おそらく街は外に広がっていっているのでしょう。上には広がりません。土地余ってますから。


ところで。

ニュージーランドでは、マオリ語の地名がたくさんあります。Martinboroughというのは明らかに英国風の地名ですが、Martinboroughを含む更に広いエリアをWairarapaといいます。以前も書いたように、Waiというのは「水」の意で、あちこちで見かける事ができます。
Wellingtonからこちらに向かう途中には、Korokoro、Kaitokeなどという地名もありました。いずれにしても、日本語のように、子音と母音を一つずつ組み合わせて発音するのが基本です。

地名だけでなく、普通名詞でもある程度マオリ語がそのまま使われている時もあり、ローマ字風の文字の並びを見ると、マオリの言葉かな、と思うようになってきます。


そんなとき、スーパーの棚で発見しました。


TAMARI



醤油じゃん。
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気がつくとあと一日

2011年04月05日 | おさんぽ
昨日の午後、僕の滞在中に収穫はない事が決定いたしました。

夕べから雨が降ったりやんだりしています。僕がMartinboroughで経験する最大の雨量です。
この雨でブドウは水分をたっぷり吸ってしまい、糖度が下がってしまいます。それが落ち着くには、二日以上の晴天が必要、という感じのようです。もちろん、クローンや畑やらによって差はあるようですが。
毎日ブドウジュースを絞って、香りを嗅いだり飲んだり糖度を測ったりフェノール類の成熟度を測ったり、そして天気とにらめっこしながら、収穫するかしないかの決断をしていきます。
あるいは、皮の厚みが、次の雨に耐えられるか、なども考慮に入れる必要があります。耐えられそうもないと判断すれば、熟成を待たずに収穫した方がマシ、という結論になることもあります。

今年は、もし僕らが収穫出来るとしたら、ワインメーカーがそういうある意味不本意な決断をした場合でした。ですので、収穫が伸びたことは、ワインそれ自身にとっては、喜ぶべき事と言えるのだと思います。

一方、後二日ほどすると、人手ががくんと減る、という別の問題も立ち現れてきます。


一年間手をかけて育ててきたブドウでも、最後の段階で間違えれば今までの苦労は水の泡。ワインメーカーにとっては、毎日胃の痛むような日々だと推察いたします。


そんなわけで昨日もする事がないので、部屋でぼやぼやしていました。ランチに誘われましたが、遅い朝食をとった後だったので、パス。
働かないのに、一日三食あるいは四食しっかり食べられません。

夜は、Greytownの素敵なフレンチ。


おいしゅうございました。飲んだワインは、


こんな感じでございます。
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ちょっとだけ労働

2011年04月04日 | おさんぽ
NZでは、今日から冬時間。前夜にそんな話をしていたにもかかわらず、いきなり朝1時間間違えました。


昨日はブドウ収穫用のかごを洗浄。1時間余りですが、一応労働しました。

その後、北島の南端Cape Palliserに向かいます。
アザラシ(だよね)がたくさん居ました。動物園以外でアザラシを見るのは生まれて初めてだと思います。

波打ち際の岩の上で昼寝をしています。少しずつ近づいていくと、ずーっと首をこっちに向けて危機管理をしているのですが、ある程度の距離になると、めんどくさそうに海に逃げて行ってしまいます。


夜はご近所のChris&Cathのところにお邪魔して、ディナー。Chrisは3年前までAlana Estateでワインを作っていた人、Cathは今度Wellingtonに出来るCordon BleuのCEOになる人だそうです。素敵なおうち。


ワイヘキ産の牡蠣、旨かったです。

写真一番手前のボトルは、Ritzlingという、彼の開発した炭酸入りリースリングです。コロナの様にライムをきゅっとねじ込んでカジュアルに飲みましょう。


たくさんワインも飲みました。その中で一本。

2004Giacondaです。まず手に入れることの出来ないようなカルトワインだそうです。
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無事Martinborough到着

2011年04月02日 | おさんぽ
マレーシアから参加のIさんを無事ウェリントン空港で拾って、スズキアルトでいざMartinboroughへ。

例年のごとく、Regional Winesで生ビールを仕入れて、Upper HuttとFeatherstonで買い物をして、午後六時前にMartinboroughに到着。
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シドニー

2011年03月31日 | おさんぽ
飛行機は朝7時半頃シドニーに到着。
天気はあいにく曇り時々小雨。それでも、大阪よりもだいぶ暖かいので、トイレで上下一枚ずつ脱いでスーツケースにに詰め込んで、さあ一日が始まります。

朝6時半に起きたとして、それは日本ではまだ朝の4時半です。睡眠時間が全然足りてないのですが、とにかくあれこれ手続きを済ませて街へ。今夜宿泊するホテルに着いたのが、午前9時。荷物を預かってもらおうと思って立ち寄ったのですが、チェックインさせてくれました。向こうとしても、準備の出来ている部屋があるなら、そっちの方が楽でしょうし。
受付では、カルロスゴーン似のアラブ系のおっちゃんが一人で客の応対にてんやわんやしていましたし。

これ幸いと睡眠時間を確保。2時間ほど寝てから、街に繰り出します。
なんとホテルの隣は劇場。しかも



きゃー。僕が今まで観た中で、三本指に入るミュージカルです。
多分オーストラリアのカンパニーなので、Londonよりは少し落ちるかもしれないけれど、日本で東宝とか四季とかがやるものとは比べものにならないのは明らかです。
早速ボックスオフィスに行って、今夜観たいんだがというと、まだ始まっていないとのこと。来月からスタートするらしいです。そう都合良くはいきません。

さて、何をしようかどこへ行こうか。いつものごとく、全く下調べをしていません。今回は特に直前までバタバタしていたので仕方のないところです。

シドニーと言えばオペラハウスです。去年来たときは、夜着いて朝早く出発したので観光らしい観光をしていませんし、もちろんオペラハウスも観ていません。てわけで、まずはCircular Quayまで歩く事にします。

で、オペラハウス。


水族館。


ちょっと早いディナー。


でした。明日は早起きして空港に向かわなければなりません。明日からが本番です。
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四天王寺の亀

2011年01月21日 | おさんぽ
今日は、特にする事がないので、ふらっとお散歩。


フリマをひやかしつつ、池に到着。亀ほとんどいません。
そういえば、四天王寺の亀受難のニュースを最近どこかで目にしたような気がしてまいりました。
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京都で結婚パーティ

2010年11月24日 | おさんぽ
昨日は二度飲み。
昨日の二度目は、京都で友人の結婚パーティでした。


幸せそうな二人。
新郎に会うのは初めてだったのですが、彼は、学生時代にずっと京都でお芝居をしていたという事で、案外自分と共通するものがあったのでした。で、今はシナリオを書いて暮らしているそうなので、お芝居をしていた事が、ちゃんと食うことにつながっているのだから大したものです。

僕は、芝居をやっている知り合いがそれこそ何百人もいますが、それ関係で食えている人は多分1-2%くらいです。

若い友人達数人と飲みました。若い仲間に混ぜてもらうと、自分も若返ります。いつもありがとう。
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同窓会

2010年11月14日 | おさんぽ
中学高校と6年間通った学校の同窓会に約30年振りに出かけてきました。
すぐ近所に、有栖川宮記念公園という公園があります。32年くらい前に東洋英和の女の子とデートしたときに座ったベンチ。



当時は若かった恩師たち。



130人ほどの一次会は学校の地下食堂にて。卒業と共に関西に来てしまった自分にとってはほとんどが約30年振りの連中。自分も含め、みな体重は増えているし、中には頭髪のイメージが変わってしまった人もいたけれど、みんな案外変わってないな、と思いました。まあ、あの中で一番人間的に成長してたのは俺やな。
医者と金融関係者が異常に多い会でした。

二次会は麻布十番のバルにて、多分70人くらいいた。
三次会は同じく麻布十番の居酒屋、7名。
うち2人が学者さん。大脳生理学とか遺伝子とかの話を肴に焼酎を飲むという、目眩がする様な体験。


当たり前だけど、みんなちゃんとしてて、自分の様なヤクザな人間はほとんど居ません。
正直、引け目を感じていた部分もあるのですが、その「ちゃんとしている」人たちにとって、自分の様なヤクザな暮らしをしている人間が同級生にいるという事が、何か、うれしかったりするようなのです。少しわかる気もします。

みんなそれぞれいろいろあって、それで今があるんだ、っていう当たり前の事に気づかされたような気がします。


もう少し、胸を張って生きていこう、と思いました。
わざわざ大阪から出かけてきて良かった。
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