まず最初に、今から書く事は、手術前の方にはショッキングな内容である。
しかし、自分の場合は極々まれなケースであるという事と、医師や看護師にしても経験上、首をかしげるケースだという事を念を押しておきたい。
そして一通り書いた後にこの事象を解説するので最後まで見てもらいたい。
それは、手術当日の夜から始まった…らしい…
らしいというのは、時間の感覚がないので後から医師や看護師、身内に聞いたので後に時間的背景が判明したのだ。
まず、これは自分的にショッキングな事が起こった。
手術後間もない時にベッドに主治医がきて、
「部分的にゲロタ筋膜を越えて腸と癒着してた。一部ステージ4」
俺「やばいやん…俺、やばいやん…」
主治医「大丈夫!大丈夫!」
そう言いながら俺の肩をポンポンと叩いて病室を出ていった。
ただ、その時、全身麻酔の影響もあって思考がしっかりしていない。
「俺、長くないな…」
それだけは思った記憶がある。
その時は、家族も側にいなかった為、
医師が発した言葉は未だ謎だ。
先の記事にも書いたが、
主治医に「入院中は何も言わないでくれ!今は病状を受け止めれる精神力はないよ!」
と言ったのだ。全くデリカシーがない。
そもそも「一部ステージ4」とはどういう意味合いがあるのか?
これは退院後に、がん相談支援センターの看護師が主治医に聞いてくれると言ってくれたが、本日現在センターからは連絡はまだない。
病理結果報告の9月4日の外来まで何の連絡もないんじゃないかと思うようになっている。
さてさて、話しは手術当日の夜だ。
実は術後しばらくしてからずっと胸辺りに違和感を感じていたのかも知れない。(当日撮ってもらった写真は、どれも胸に手を置いている)
突然、胸に物凄い激痛が起こった!
強烈な痛さでマトモに息が出来ない。
ナースコールを押しまくっていたに違いない。
看護師がきて何やらやってる。しかし…
血圧正常。
酸素濃度正常。
看護師が出来る事は、
点滴からの鎮痛剤、ボルタレン座薬、硬膜外麻酔のポンプ注入。
当番医師はこない。なんでだ?
痛み止めは全く効かない。絶望感が自分を襲う。
「痛い!痛い!死ぬって!」
まるで胸に矢が刺さっていて、さらにその矢を手でグリグリ掻き回されてる様な激痛なので叫び声があがる。
一晩中喚き散らしていた…らしい…
二日目の朝を迎えるが痛みはマックス100のまま。
自分が思うに、お腹に入ってるドレーンの先が、
心臓と肺にズコズコ刺さってるんじゃないのか?
それを看護師に訴えるが、
そんな事があるはずもなく看護師も俺をなだめるしかない。
朝の回診で主治医登場。
もう、痛くて苦しくて、ほとんど何を主治医に言ったか覚えてない。覚えてる事は、
痛みの原因じゃないないか?と思ってる腹部ドレーンはまだ抜く事は出来ないのは知っている。
ヘタに知っているものだから、それが言えない。
ならせめて尿道カテーテルを抜く事は出来ないか?
主治医に懇願する。すると名前も知らない看護師が、
「カテーテル抜いたら歩いてトイレに行かなくてはいけませんよ?」
それは無理だ。この看護師の言い方に腹がたったが、怒る気力なんかない。
しかし主治医が、
「歩けなくても尿瓶で用をたしてもいいから」
すかさず言ってくれた。
この腹がたつ看護師の話しは次以降も度々出てくるかも知れない。
たが美人で若い子なんだ。いつか泣かしてやろうと復讐を考えている(笑) だがまた泌尿器科病棟に入院する事になったら、更に仕返しされる。仲良くするしかないか…
結局尿道カテーテルを抜いてもらった。
これで激痛から解放されるのか?
いや、全く収まらなかった。
いつまで続くかもわからない、この痛み。
痛み止めも一切効かない。
目を開けても見えるのは幻覚。
なんだか覚えてないが、おかしなモノが見えてた。
だが、今思い出すと、ずっと痛みマックス100ではなかったみたいだ。
こんなに痛みで叫びまくっているのに、
術後二日目の午後という事で水分がOkになった。
家族にはかなり八つ当たりをしたらしく、冷たいお茶では満足出来なくて、氷を入れてくれとしつこく頼む。
後に聞いたが、わざわざ病院内のレストランに行き無理を言ってたった3つの氷を貰ってきてくれたらしい。
ごめんよ…
まだ水分500ミリリットル制限なので気を付けて飲んだが、100ミリリットルも飲めてなかったらしい。
凄く冷たくて美味しかった。
しかし、また発作的痛みが襲う。
家族が居ない時にポータブルレントゲンがきた。
噂には聞いていたが痛み苦しんでるのにマジか!?
この時、担当看護師のTちゃんが側にいて、
「患者さん、今こんな状態やしドクターの許可も下りてないのに無理です!絶対ダメですから!」
と追い返したのだ(笑)
この担当看護師のTちゃん、すごく優しく、時には厳しい事も言うのだか、まるで子供を諭すかの様に自分をなだめてくれた。
下手したら自分の娘でもおかしくない年頃なのに。
Tちゃん、君は素晴らしい指導看護師になれるよ。医学知識も豊富だし、まだ三年目なのに看護主任並の頼もしさだったよ。本当にありがとう。
二日目の夜になろうとしている。
が、しかし、地獄の痛みは まだまだつづく…
この後(2)を書いた後、痛みの原因と仕組みを解説します。
しかし、自分の場合は極々まれなケースであるという事と、医師や看護師にしても経験上、首をかしげるケースだという事を念を押しておきたい。
そして一通り書いた後にこの事象を解説するので最後まで見てもらいたい。
それは、手術当日の夜から始まった…らしい…
らしいというのは、時間の感覚がないので後から医師や看護師、身内に聞いたので後に時間的背景が判明したのだ。
まず、これは自分的にショッキングな事が起こった。
手術後間もない時にベッドに主治医がきて、
「部分的にゲロタ筋膜を越えて腸と癒着してた。一部ステージ4」
俺「やばいやん…俺、やばいやん…」
主治医「大丈夫!大丈夫!」
そう言いながら俺の肩をポンポンと叩いて病室を出ていった。
ただ、その時、全身麻酔の影響もあって思考がしっかりしていない。
「俺、長くないな…」
それだけは思った記憶がある。
その時は、家族も側にいなかった為、
医師が発した言葉は未だ謎だ。
先の記事にも書いたが、
主治医に「入院中は何も言わないでくれ!今は病状を受け止めれる精神力はないよ!」
と言ったのだ。全くデリカシーがない。
そもそも「一部ステージ4」とはどういう意味合いがあるのか?
これは退院後に、がん相談支援センターの看護師が主治医に聞いてくれると言ってくれたが、本日現在センターからは連絡はまだない。
病理結果報告の9月4日の外来まで何の連絡もないんじゃないかと思うようになっている。
さてさて、話しは手術当日の夜だ。
実は術後しばらくしてからずっと胸辺りに違和感を感じていたのかも知れない。(当日撮ってもらった写真は、どれも胸に手を置いている)
突然、胸に物凄い激痛が起こった!
強烈な痛さでマトモに息が出来ない。
ナースコールを押しまくっていたに違いない。
看護師がきて何やらやってる。しかし…
血圧正常。
酸素濃度正常。
看護師が出来る事は、
点滴からの鎮痛剤、ボルタレン座薬、硬膜外麻酔のポンプ注入。
当番医師はこない。なんでだ?
痛み止めは全く効かない。絶望感が自分を襲う。
「痛い!痛い!死ぬって!」
まるで胸に矢が刺さっていて、さらにその矢を手でグリグリ掻き回されてる様な激痛なので叫び声があがる。
一晩中喚き散らしていた…らしい…
二日目の朝を迎えるが痛みはマックス100のまま。
自分が思うに、お腹に入ってるドレーンの先が、
心臓と肺にズコズコ刺さってるんじゃないのか?
それを看護師に訴えるが、
そんな事があるはずもなく看護師も俺をなだめるしかない。
朝の回診で主治医登場。
もう、痛くて苦しくて、ほとんど何を主治医に言ったか覚えてない。覚えてる事は、
痛みの原因じゃないないか?と思ってる腹部ドレーンはまだ抜く事は出来ないのは知っている。
ヘタに知っているものだから、それが言えない。
ならせめて尿道カテーテルを抜く事は出来ないか?
主治医に懇願する。すると名前も知らない看護師が、
「カテーテル抜いたら歩いてトイレに行かなくてはいけませんよ?」
それは無理だ。この看護師の言い方に腹がたったが、怒る気力なんかない。
しかし主治医が、
「歩けなくても尿瓶で用をたしてもいいから」
すかさず言ってくれた。
この腹がたつ看護師の話しは次以降も度々出てくるかも知れない。
たが美人で若い子なんだ。いつか泣かしてやろうと復讐を考えている(笑) だがまた泌尿器科病棟に入院する事になったら、更に仕返しされる。仲良くするしかないか…
結局尿道カテーテルを抜いてもらった。
これで激痛から解放されるのか?
いや、全く収まらなかった。
いつまで続くかもわからない、この痛み。
痛み止めも一切効かない。
目を開けても見えるのは幻覚。
なんだか覚えてないが、おかしなモノが見えてた。
だが、今思い出すと、ずっと痛みマックス100ではなかったみたいだ。
こんなに痛みで叫びまくっているのに、
術後二日目の午後という事で水分がOkになった。
家族にはかなり八つ当たりをしたらしく、冷たいお茶では満足出来なくて、氷を入れてくれとしつこく頼む。
後に聞いたが、わざわざ病院内のレストランに行き無理を言ってたった3つの氷を貰ってきてくれたらしい。
ごめんよ…
まだ水分500ミリリットル制限なので気を付けて飲んだが、100ミリリットルも飲めてなかったらしい。
凄く冷たくて美味しかった。
しかし、また発作的痛みが襲う。
家族が居ない時にポータブルレントゲンがきた。
噂には聞いていたが痛み苦しんでるのにマジか!?
この時、担当看護師のTちゃんが側にいて、
「患者さん、今こんな状態やしドクターの許可も下りてないのに無理です!絶対ダメですから!」
と追い返したのだ(笑)
この担当看護師のTちゃん、すごく優しく、時には厳しい事も言うのだか、まるで子供を諭すかの様に自分をなだめてくれた。
下手したら自分の娘でもおかしくない年頃なのに。
Tちゃん、君は素晴らしい指導看護師になれるよ。医学知識も豊富だし、まだ三年目なのに看護主任並の頼もしさだったよ。本当にありがとう。
二日目の夜になろうとしている。
が、しかし、地獄の痛みは まだまだつづく…
この後(2)を書いた後、痛みの原因と仕組みを解説します。