本朝徒然噺

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国立劇場初春歌舞伎

2005年01月03日 | 歌舞伎
正月3日目。
国立劇場初春歌舞伎の初日。

以前にもこのブログで書いたが、開演前に「仕初式(しぞめしき)」が行われ、事前の抽選でこの「仕初式」に参加できることが決まっていた。
われわれは、一体どんなことをするんだろう……と緊張しながら、指定された時間に劇場へ行った。

「和服での参加」が条件だったので、着物を着て行ったのだが、前々から悩んでいたのは「どの着物を着て行こうか」ということ。
結局、いろいろと考えたあげく、色無地にすることに決め、数日前にたんすから出して準備しておいた。
色無地に決めた理由はただ一つ。
ほかの人がどんな着物を着て来ても、バランスがとれるから。

以前の記事でも書いたが、着物は、洋服と同様、種類によってフォーマル度が異なる。
私の持っている色無地(母からのお下がり)は、一つ紋がついているのだが、紋のついた色無地は略礼装として着られる。
もしも、ほかの人が色留袖(未婚・既婚女性の準礼装)を着て来たとしても、私だけラフな格好になることはない。
また、反対に、もしも色留袖を着ている人がまったくいなかった場合も、一人だけフォーマル度が高くなりすぎて浮いてしまうようなことがない。
色無地は便利。

母が若いころに着ていたものなので、色も淡いピンクでちょうどよい。
京洗い(着物のクリーニングのようなもの)もしていたので、たんすから出してみたら意外にきれいな状態だった。
年をとって色が派手になってしまったり、汚れてきたりしたら、別の色に染め直せる。これも、色無地の便利なところ。

色無地を略礼装として着る場合は、格調ある柄の袋帯を合わせる必要がある。
お正月のおめでたい席なので、七宝模様の袋帯を合わせた。

ピンクの色無地に七宝模様の袋帯

この帯は、私のお気に入りの一本。七宝模様の部分がパステルカラーになっているので、仰々しくなりすぎず、さまざまな場面で締められる。また、いろんな色が入っているので、どんな地色の着物にも合わせやすい。
式なので帯に扇子も差した。

会場へ着いてみると、すでに集まっている人が何人かいた。
みなさんの着物を見てみると、色留袖、振袖、色無地、紋付の訪問着、紋なしの訪問着とさまざまだった。大柄の小紋を着ている人も何人かいた。
ほかの人とのバランスを考えると、紋付の色無地にしておいて正解だった。

受け付けをすませ、荷物を預けると、係の人に誘導されて楽屋口から舞台袖へ。
舞台袖に用意された椅子に座って待っていると、近くでは大道具さんがいろいろな準備をしていた。
開演前のあわただしさと緊張感が感じられる。

時間が近づくと、係の人が段取りを説明してくださった。
われわれ一般参加者は、とにかく舞台に座って、役者さんがお辞儀をするのにあわせて頭を下げ、最後に客席も含めて全員で一本締めをし、幕が閉まるまでまた役者さんにあわせて頭を下げればよいらしい。
そうは言っても、やっぱり舞台に上がるのは緊張するなあ……。ドキドキ。

そして係の人に誘導され、舞台へ。
舞台の両脇に敷かれている赤い毛せんの上に正座して待つ。
するとまもなく、支度を終えた中村雀右衛門丈が、「おはようございます」のあいさつとともに舞台に入って来られた。続々とほかの役者さんも来られて、「おはようございます」のあいさつが交わされる。
中村富十郎さんや中村梅玉さんも入って来られ、われわれ一般参加者にまで丁寧にあいさつをしてくださったので、驚くとともにうれしかった。こちらも皆で丁重にあいさつを返した。

客席から見ると、舞台はとても広く感じるのだが、実際に舞台の中に入ってみると、意外とせまく感じた。
ふだん広く感じるのは、やはり役者さんや大道具さんの力量のなせるわざだろうか。

いよいよ幕があく。
役者さんとともに頭を下げたままの姿勢で待つ。

役者さんにあわせて頭を上げ(私たちの位置からは役者さんの様子がよく見えなかったので、タイミングがずれていたかも……)、役者さんが口上を述べるあいだ、じっと待っている。
ライトはあたるし、緊張するしで、顔が赤くなっているのが自分でもわかった。恥ずかしいなあ……。

役者さんの口上が終わったら、次は、三方にのせられた巻き紙が運ばれてきた。
これには、本日のお芝居の演目と、出演する役者の名前が書かれているらしい。
「とざいとーざい」の声にあわせてそれが読み上げられる。
役者さんの名前が呼ばれると、大向こうから屋号の掛け声がかかる。

最後に、中村梅玉さんの音頭で一本締めをし、幕が下りた。
ちなみに「一本締め」は「シャシャシャン、シャシャシャン、シャシャシャン、シャン」これを1回やること。これを3回やるのが「三本締め」。たまに、一本締めは「シャン」だけだとかんちがいしている人がいるが、それは正しい一本締めではないので要注意。

所要時間は15分くらいだったのだが、緊張していたのであっというまに終わった感じだった。

幕が閉まると、舞台転換の都合があるので、急いで舞台を離れた。
パンフレットなどのおみやげが入った袋を渡され、ロビーに戻った。
しかしこの間、舞台では「三番叟(さんばそう)」というめでたい舞が披露されていた。それが見られなかったのがちょっと残念。
ロビーでは、開演前の時間を利用して、鏡開きが行われた。酒樽のふたを開き、役者のサインの入った升に順次お酒が注がれていく。
長蛇の列ができていたので残念ながらお酒はもらわなかったが、お囃子で来ていた人たちが、寄席ではおなじみの「太神楽曲芸協会(だいかぐらきょくげいきょうかい)」のみなさんだったので、うれしかった。休憩時間には、ロビーで太神楽曲芸が披露されたり、舞台や花道で獅子舞が披露されたりしていた。
私も、獅子舞にご祝儀を渡して、頭の上で「カチカチ」とやってもらった。こいつぁ春から縁起がいい。

メインのお芝居の演目は、「ごひいき勧進帳」。
いわゆる「勧進帳」とは異なる話で、3幕構成のオムニバス形式のお芝居。

1幕目は「女暫(おんなしばらく)」。

女暫

「歌舞伎十八番」のなかに「暫」という話があるのだが、これの主人公が女性に置き換えられたもの。
「暫」は「荒事(あらごと)」といって、江戸歌舞伎ならではの大きな所作や派手な衣装が特徴。
悪役が幅をきかせているところへ、幕内から「し~ば~ら~く~、し~ば~ら~く~、しばらくしばらくしばらくしばらく、し~ば~ら~く~」という声が聞こえ、正義の味方の主人公が悪を成敗しにやってくる。
その後、アドリブをまじえながら主人公と悪役が台詞の応酬をし、最後は正義が勝ってめでたしめでたし、というストーリーである。
アドリブをまじえた台詞の応酬、荒事ならではの所作や衣装や、強さのなかに女形ならではのかわいらしさを表現するところが見どころ。
何はともあれ、大役に挑んだ雀右衛門丈に拍手を送りたい。

2幕目は、清元の舞踊劇「花雪恋手鑑」。

3幕目は、中村富十郎丈による「芋洗い勧進帳」。

芋洗い勧進帳

安宅の関で、義経を無事に逃がした弁慶が、関所の番人に捕らえられ、木に縛り付けられてしまう。
しかし、義経一行が無事に逃げたのを見届けた後、弁慶が大暴れ。
関所の役人の首をとり、それを大きな樽のなかに入れて芋のように洗う。
これもまた、豪快なストーリーと立ち回りが見どころの芝居といったところ。

全体的には……正直に言ってちょっと眠くなる芝居だった。
たしかに、雀右衛門丈や富十郎丈が大役に挑む様子は見ごたえがあったのだが、欲を言えば、中堅以下の役者さんたちにもっとがんばってもらいたいところ。
やはり、芝居は「立役者」だけでは成り立たないということだろうか。
脇を固める役者がそろってはじめていい芝居ができるのだと思う。
役者に限らず、後見や黒子も、みながそれぞれの役目を精一杯全うすることで、芝居ができあがるのだ。
最近、幼稚園などで、平等主義を唱える保護者の声に押されて「みんなが主役の劇」なんぞをやっているようだが、「みんなが主役」なんてありえません。脇を固めることの重要性と誇りを、子どものころからもっときちんと教えるべきです。

話が少しそれたが、現在の歌舞伎界の仕組みにも問題があるのだと思う。
家柄によって、もらえる役が決まってしまうため、いわゆる「名門」と言われる人以外にはなかなか大きな役がつかず、実力を伸ばしていくことが困難なのではないだろうか。
江戸時代の芝居では、大部屋から抜てきされて大看板になった役者がたくさんいた。
落語でも有名な中村仲蔵や、沢村淀五郎などである。
ここらで改革を進めないと、昨今の歌舞伎ブームが去ってしまった時に目も当てられないことになってしまうのではないかと、危惧してしまう。