本朝徒然噺

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国立劇場九月文楽公演

2005年09月25日 | 伝統文化あれこれ
新橋演舞場での新派公演を観た後、今度は国立劇場へ。
文楽(人形浄瑠璃)の公演を観るためである。
(「かけもち」は控えようと決意したばかりだというのに……)

文楽は、ここ数年で非常に人気が高くなっているようで、国立劇場での公演もチケットがなかなかとれない状態。
今回は幸い、先行抽選販売で千秋楽のチケットを手に入れることができた。

新派の公演の余韻もさめやらぬまま、文楽が始まるのを楽しみにしていたのだが……。

いざ公演が始まってみると……、眠い。非常に眠い。
これまで文楽を観ていてこんなに眠くなることはなかったし、前の晩もわりとよく寝たし、風邪薬や鎮痛薬も飲んでいないし、新派の公演の時はちっとも眠くならなかったというのに……。

演目は「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」の「寺入りの段」「寺子屋の段」と、「女殺油地獄(おんなごろしあぶらのじごく)」。
「寺子屋」も「女殺油地獄」もよく知っている話だし、見せ場も多い。太夫、人形遣いともに人間国宝も出演する。
それなのに、やけに眠かった。ぱっちりと目が覚めている幕もあるのだが、次の幕になるとまた眠気が襲ってきたりする。

思うにその原因の一つは、興行のあり方なのではないかと思う。正直言って、マンネリ化している感は否めない。
文楽は歌舞伎に比べて演目が少ないので、同じ話がかわるがわる上演されることが多い。
江戸時代には、歌舞伎の話が人形浄瑠璃に取り入れられたり、その逆があったりした。しかし今は、文楽の世界ではそういったことがほとんどない。
もう少し積極的に新しい芝居を作ってもよいのではないかと思う。

文楽の公演は、現在、東京の国立劇場と大阪の国立文楽劇場で主に行われている。いくらお国の施設でやるからと言っても、観客から入場料をとる以上「興行」なのだから、観客を喜ばせるような工夫をしていかないと、ただの「化石」になってしまうよ。
国立劇場の運営母体である日本芸術文化振興会も、ただ漫然と公演予定を組んでいるだけではいけないと思う。

あとはやっぱり、太夫と人形遣いの腕がモノを言うのだろうなあ……(当たり前だけど)。特に人形は遣い手によって、まるで命を吹き込まれたように見える時とそうでない時との差が歴然としている。吉田蓑助さんは、女性の人形を遣うことが多いのだが、いつも人形が命を持っているように見えてすごい。
研修生制度の浸透により、文楽界にはせっかく若手の人も増えているのだから、そういった人たちが力をつけていけるよう、もっと興行を頻繁にやったほうがいいのではないかと思う。それも、民間の興行会社がやっているように、きちんと採算を考えて。

開演前、入口の近くに「余った券買います」という札を持って立っていたオジサマがいたのだけれど(チケットがとれなくて、でもどうしても観たかったんだろうなあ……)、そのオジサマにチケットを売って、木挽町(歌舞伎座のこと)へ行ったほうがよかったなあ……とちょっと思った。


<本日のキモノ>

単の御召に博多織の八寸名古屋帯

9月17日と同じ単の御召で、帯を塩瀬の名古屋帯に変えました。
白の塩瀬地に、文机と本や巻き物などが描かれています。季節を問わない柄ですが、「読書の秋」には特にぴったりかなと思い、締めてみました(写真は家に帰ってから撮ったので、お太鼓のタレがしわになっています……)。

塩瀬の帯は、真夏以外の3シーズンで締められるので便利です(絽塩瀬は真夏に締めます)。おしゃれ着用なので礼装には適しませんが、上品な絵柄であれば、色無地にあわせて軽いお茶席くらいまで締められます。
紬などのカジュアルな織りの着物にも合わせられるので、重宝します。

曇り空だったので、念のため雨ゴートを持っていきましたが、降らずにすんでよかったです。



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