良い子、悪い子、こまりん子

幼児教育20余年。多くの子ども達を育て、ママ達の悩みに耳を傾けてきました。辛口アドバイスも含め、子育ママ達にエールを!

知って、どうする??

2007-11-13 17:36:14 | つぶやき
 テレビの週間視聴率ランキングを見ていると、常にトップにきているのがNHKの朝の連続テレビ小説
 辛口のコメントをすれば、笑いがベタだったり、次のストーリーが読めたり・・・と、苦笑するものではありますが、実家の両親が、お決まりの場面で大笑いをしたり、感動して涙を流したりしているのを見ると、やはり、絶対に「年長者に優しい番組」は必要だなあ、と実感します

 以前は、何となく「見なければ、何かをし忘れた気分になるもの」という感があり、それが好きであろうとなかろうと見ていたあの15分番組でしたが、ここ4,5年はすっかり遠のいていました
 その大きな理由のひとつは、NHK大阪局制作の作品を見るたび、気分の悪い?しっくりいかない思い?をするからでした。
 年をとってきたせいでしょうか、それがどんなにくだらないことでも、我慢する許容範囲が狭まってきているのです・・・
 要するに、ドラマの中の言葉が、単なる「セリフ」だとわかっていても、俳優さん、女優さんが話す大阪弁、関西弁が不自然だったりすると、朝から耳障りで、気分が悪くなるわけです
 「おおきにー」とか「そんなこと、わたし、言うてへんでえ」みたいな短い言葉でも、その場面で非常に重要なセリフの場合がありますよね。そのアクセントやイントネーションがほんの少しでも変だったりすると、ものすごーく残念だし、違和感があるし・・・そして腹が立ちます

 「もっと大阪弁、上手な人、使いや こんなド下手クソ(こうして文字に書いてみると、とんでもなく下品な言葉なのですねえ)な俳優さん、つこてしもて(使ってしまって)。なんで、こんな人、使うねん」と・・・
 これに関しては、主人も同じように感じるらしく、一緒に見ることの多い二人がこうなってしまうと、ドラマのストーリーを追うよりも、その人が出てくるシーンになるたびに寡黙になってしまい・・・まるで腹を立てるために朝の連ドラを見ているような節があり・・・そのことに気づいて、お互いの馬鹿さ加減に苦笑し、見る習慣を止めたのでした

 ところが、今回の連ドラ「ちりとてちん」は、なかなかおもしろいです スタート直後、主人公が高校生の頃は、福井県小浜市が舞台でしたが、今では、すっかり大阪に移り、それ以来、主人も私も、いつ「下手クソな大阪弁を話す人が登場するか」とドキドキではありますが、今のところはみなさんお上手

 じつは・・・私は気づいたのです
ドラマの舞台が若狭だった頃、当然、俳優さん達は「若狭弁?小浜弁?」を話されます。
 聞いていると、とてもおもしろい言い回しがありました
 「ほーけー(そうなのねえ)」のように「け」がつく言葉があるかと思えば、時々、「○○こ」と、とっても滑稽な音が最後にくる言い回しもありました

 そこで、ある日、主人と私は顔を見合わせて言ったのでした。
「NHK大阪局の制作でも、大阪弁が出てけーへんかったら、私達二人とも、ものすごく安心して毎日見られるねえ・・・」と。
 
 そうなんですよね。
私達には、福井県の方言はわかりません。実際に、福井県小浜市で話されている言葉を聞いたことがないのです。ですから、主人公やその家族が話すセリフは、私達が耳にする「初めての若狭の言葉」ですから、間違っているのか、時々イントネーションがおかしいのか、音として不自然なのか・・・全くわからないのです
 そう、そうなると、私達はイライラすることもなく、聞き慣れない言葉を「かわいらしい言葉ねえ」と、とってもほのぼのとした気分で見ていられる・・・

 完全にわからないからこその幸せ・・・あると思いますよ

 たとえば、我が子のこと。
ご両親の中には、こと細かく、我が子のことを知っていたい、という方がいらっしゃいます。お気持ちはよくよくわかります
 私も我が子が幼い頃は、自分の目の届かない幼稚園での生活、小学校での生活で、息子や娘がどんなふうに先生に接し、どんなことをお友達と話し、どんな雰囲気を持ってその中で存在しているのか?それを知りたいなあ、と感じたものです
 そして、「今日はどんなことがあったの?」とか「今日は何したの?」などと、子どもの帰宅を待ちかまえて尋ね、詳しく話してくれる娘には安心し、ほとんど語らない息子を不満に思ったものです。
 しかし、子どもの成長とともに実感したことは・・・
子ども達が親に話すことは「話しても問題ないこと」だけであり「親に話してやったら喜ぶようなこと」だったり、「安心するであろうこと」だったりで、実際、彼らが困ったり、悲しかったり、不都合だったりするようなことは、だんだんと成長とともに、普通は自発的には語られないもの、なのです

 また、ここからが一番私の言いたいポイントですが・・・
『親が、すべて知っていたから、と言って、それが何になるのでしょう?』ということなんですね。
 親が、我が子のすべてを知り得たとして・・・それが何?それで?

 結局は、プラスもマイナスも、すべてのことを知ることで、親は心配をしなければいけなかったり(その心配ごとは、ほとんど、親の力をしても、解決することはないものです。所詮は、子どもの世界の中での出来事ですからね・・・)、もっともっと知ったことによって不安になったり、子どもに根掘り葉掘り尋ねることで、結果的には子どもをもっと追い込んでしまったり、一層悲しませたり・・・

 親が、すべてを知っているということは、決して、親にとっても、子どもにとっても、幸せなこと、ではありません

 そうです・・・「完全にわからないからこその幸せ」そう思いませんか?


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