三沢厚彦氏は、
>(動物をモチーフにすることについて)自分のアイデアを出す余地のないところがおもしろい ~対談の中で~
>「ここはもっとゆったり」とか「ここはもっとしぼれ」というふうに作品のほうから私を動かしてくれる。 ~展覧会ガイドより~
と、語っていらっしゃいます。
確かに、神が作られたものかどうかは知らないけれど、自然界のもののかたちは、みな訳あってそれぞれの形をしているので、それを動かすということは完成形を壊すことになるのかもしれない。
それでも、なにかにつき動かされ、いつしか共通の、独特の雰囲気をもった動物たちが姿を現す。
何につき動かされるのか。
多分、ご自身の持って生まれた形に対するセンス、でしょう。うらやましい話です。
今後、三沢氏がどんな声を聞いて、どのように変化していくか。
生きている作家は、これからどう変わるかを見る事ができるので、そこがまた楽しい。
もちろん、対談の相手の舟越桂氏も。
今回の対談で、舟越氏は
>アート(の種類)に限りがあるのなら、アルタミラだかなんだかの洞窟壁画以来、2万年くらいの年月が経っているのだから、とっくに品切れになっている。
それでも次々と新しいものが生まれてくるのは、一人一人の人間が、この世で初めての存在だからだ。
初めての存在なのだから、そこから初めてのアートが生まれる。
と、おっしゃいました。
アートの才能の多い少ないはあるにしても、試してみる価値はありそうです。
よし、また写真撮りにいこう。