94年のトライアスロン中島大会は広島から参加することになった。この年の春に勤めていた会社から辞令がくだり、松山から広島へ移動になったからだ。
この年はとても調子がよく、ワールドトライアスロンイン広島に出場して確か30位の成績を出したので、中島大会では10位以内を目指しての出場であった。
顔ぶれを見ると、自分より早い人が何人かいるので大体の順位予想はできる。10位くらいか・・・あれこれ考えてもはじまらない。もう何も考えずにスタート地点の立つ。そしてスタート・・・
水泳は松山でTコーチをはじめいろんな人から教わった。なのでついていくだけだ。。前に出ることなんて考えられない。スイムでは泳いでいるときは自分の順位がわからない。トップか若しくはその付近だと大体の順位はわかるが、さっぱりわからない。スイム1.5kmが終わった時点で自分の周りには何人かいた。自転車のトランジットでも、よく見かける顔もあった。7~8番だ。順位は自転車の最初の折り返しでわかる。。自転車を乗り始めてすぐ女性を抜いた。。折り返しでの順位は???確か6番だったように記憶している。この時期のトライアスロンのバイクは危険防止のため、ドラフティングが反則となっていた。この位置では周りに人がいないので大体一人旅なんだが・・・このときのバイクは本当に気持ちがよかった。。
(←皆生トライアスロンでのMAVIC3G)
ホイールがMAVIC3G(スリースポーク)が気持ちよく作動し、自分では結構走れた感だった(Tさんメカの調整ありがとうございました。)。。ひとつギアを重くしても踏めるそんな感じで回せば回すほど回ってくれる。。そんなホイールです。ギアチェンジするとき、コン!っと音がしてとても爽快な気分になれた。タイムはそんなによくないが・・・・
自転車を走り終えたとき、私の順位は8位だった。。あと2人追い越せば、表彰台だ。あとからおってくる選手のことなど考えなかった。とにかく、前へ前へ。
スタートしてしばらくして、Tコーチを発見。Tコーチが目下のところ7位だ。今でもよく覚えているが、Tコーチに追いついたとき、今流行のチューブ式のゼリーを差し出したら、いらないっていったこと。。かなり疲れていた模様だ。Tコーチをぬいて7位に浮上。前に2人いる。この二人はランが強い人だ。今は押さえているようだったので、がんばって追いついても、あとで引き離されるのが目に見えていたので、自重する。
そろそろ折り返し、というところで、先頭の選手がやってくる。そして2番手は私の師であるKさん。順位を教えてくれる。折り返し地点に到達。あと残り5km。
後続がどんどん現れてくる。残り2Km地点くらいで6番手の選手を発見。見る見る近づいてくる。これは抜けると確信した。6位に浮上。その先は誰もいない。最後の坂を上りきり、くだりに入る。下りきったところ当たりではじめて後ろを見た。結構後に1人選手の姿が見えた。。だが、もうゴールまで500mもない。。ゴール地点がどんどん近くなってくる。当時の中島のゴールはバイクトランジットエリアの周りを半周したらゴールだった。あと半周の地点に、かしまレーシングチームのKさんのおかあさんがチームの旗を手渡してくれた。チームの旗を振りかざして6位でゴール。この大会ではじめて入賞を果たした。。年代別3位のおまけつきだ。実は5位の選手以外、1~4位まで顔見知りの人だったので練習会をしているようなそんな感じの大会だった。。
その後、Tコーチも無事にゴール。徐々にチームのメンバーも帰ってくた。祝福のお言葉もたくさん頂いた。ほんとにいい思い出がいっぱいのトライアスロン中島大会。
それからというものロングの大会に出たりして、日程が合わなかったり、私が転職してトライアスロンの練習ができなくなったということで、一度も出場していないが、機会があればまたぜひ参加してみたい大会。
それがトライアスロン中島大会である。