私と娘がマラソン大会の会場についたとき、結構な人がいた。受付をどうするのだろうとウロウロしていたら安佐北区スポーツセンターの横のほうに「受付」があって、名前を言って、たすきのようなゼッケンを受取る。手作りのマラソン大会だから、多くの市民マラソン大会が引換券とナンバーカードを交換すると言うなんて高度なことはない。ただ、そこがいい点でもある。私の関心事は速そうなランナーがいるかとかそんなことではなく、中国電力の佐藤敦之選手が来ているかどうかと言うことだった。3/11の東北の大地震で福島県出身の佐藤選手は来てないだろうと思っていたが、奥さんが来ていたので佐藤選手も来ているな・・・と感じた。奥さんは知る人ぞ知るアスリートで、福島に本拠を置く「ナチュリル」に所属をしていた杉森美保さんだ。
そうこうしているうちに開会式が始まる。大会役員が勢揃いしているところに佐藤選手も立っていた。大会役員の挨拶もそこそこに佐藤選手の挨拶が始まった。
「今日はすべての部に参加します。私に勝ったら自慢できると思うので選手の皆さんはがんばってください。」みたいな話だった。
娘の3kmを一緒に走ったときに佐藤選手はトップ選手を引っ張る感じで走っていた。とにかく、軽やか~って印象だ。新聞記事に出ているファミリー2kmの部の時には多くのファミリーと接していたようで、そのあと川土手のコースで1人ダッシュをかけていたのを私は目撃した。あれがkm2分50秒の走りだ。
3km一般の部でも佐藤選手は走っていた。私は携帯をもって、佐藤選手の走っている姿を撮影したが、あまりにも速すぎて、速めにシャッターを切ったつもりが佐藤選手の後ろの選手が写っていたので、ここではアップできない。
折り返したときに私の順位は多分7~8番だった。6位以内だと表彰されるということを知人から聞いていたのでもしかしたら抜けるかもということで、あまり無理をせずに流していると前の2人がどんどん近づいてきたのでこれはいけるかもということで残り距離も少なかったので頑張ってみた。。すると、ゴール後わかったことだが、11分10秒で5位だった。なんか相当久しぶりの入賞だった。1994年にトライアスロン中島大会で入賞した以来か?なんといっても参加者が40人もいないのだからそんな自慢にもならないが・・
5kmの部では3kmで頑張りすぎたのでもう無理だった。10位で21分もかかってしまった。だめだな・・
競技終了後、表彰がはじまるまでキョロキョロしていたら佐藤選手を発見。すでに数人に取り囲まれて握手やら、サインなど求められていた。わたしもこのときばかりはその列に加わった。
私の直前の人は佐藤選手にサインをお願いしていたが、佐藤選手は実に丁寧に色紙に名前を書いていた。とても実直でさわやかな人だった。本当に人に好かれるタイプの人柄だととよくわかった。
私は一緒に写真を撮ってもらえるようにお願いしたところ快く応じてくれた。。かけていたメガネを外して写真に納まってくれた。その後、握手。そのときに今後の予定を聞いてみた。すると2011.12の福岡国際マラソンにエントリー予定ということだった。。今シーズンは故障がちだったそうだ。。。
閉会式で挨拶した佐藤選手は以下のように言った。
目標は2012ロンドン五輪(佐藤選手本人はロンドンマラソンといっていたが・・・・)
5kmの部を走っているときにアキレス腱を痛めてリタイヤしたといっていた。。(こんなローカル大会で脚をいためないで!!・・)
小学生は中学に上がっても、中学生は高校に上がっても陸上競技を続けて欲しい。また、それぞれの目標に向かって頑張って・・・
何度も言うが本当にさわやかな人だった。ロンドンにいけるように是非応援したい。。
広島には日本のスポーツ界のトップ選手がたくさんいるのだから、物怖じせず、サインを求めたり、どんどん話しかけてみたりしたほうがよいと思った。。、広島の人間はとてもおっとりし過ぎだ。もったいない。話しかけてみたらかならず応えてくれるはず・・・
本当に充実した一日だった。(写真勝手に載せてごめん佐藤選手!!)