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モラルハラスメント・ブログ

モラルハラスメントな夫と壮絶なバトルの末離婚した二児の母のブログ☆モラハラブログリンク集もあります☆

欲しかった愛、もらえなかった愛。続き

2006年03月09日 00時46分50秒 | モラルハラスメント
あの頃、私は、
ただ横たわって、
だらだらと涙を流していた。
どうすればいいのか、何を考えればいいのか。
これからどう歩くのか、どんな人生を生きていくのか。
すべてが朦朧と闇の中だった。
横になってだらだら泣いていると、
自分が無価値なのだと痛感する。
ただ、食事をして、排泄するだけの人間に思えてくる。

そんな時、手を差し伸べくれた友人が居た。
私は今こういう状況ですと、友人に逐一メールをしていたわけではないが
そのような状況に陥っていると彼女は知っていた。

まず、大きな大きな手で傷ついた自分をなでてやること、
最初に彼女はそれを教えてくれた。

そして、
この世にあることすべてに対し、信頼感を持つことの大切さを
色々な例を示して、わかりやすく教えてくれた。
私が自分自身も含めて、この世に存在するすべてのことを
心からは信じていない、彼女はそう知っていた。
さんざん傷ついてきた過程も、この世界に対する信頼感を
私が抱き難いことも十分彼女は知っていて、
それでもこの世界に対する信頼感を持つべきだと話してくれた。

私は、
自分をマインドコントロールするかのように、
静かに静かに、自分を抱きしめ続けた。
そして、一人で、自分に対して
「あなたはそこにいるだけでいい、存在する価値がある。」
そういい続けた。
時には、自分の肩や腕を、優しく撫でた。
眠りにつく時はずっとそうして、
自分で自分をあたためた。
ただ、彼女の言うとおりそうしただけなのに、
言われた事を自分に言い続けただけなのに、
毎日毎日自分が回復して行くのがわかった。
それは回復と言うより、生まれ変わって行くというのに近かった。

「私は、私でいていいんだ。」
「私は、私らしく生きていいんだ。」
「このままで、価値があるなんて、素晴らしい。」
気づくと、・・・1ヶ月はかかったけれど・・・そう思えるようになっていた。

彼女の思想にすがりついたのだろうか。
そうではない。
私は、彼女の指導のもと、自分を信頼する術を
この世の中というものを信頼する術を身につけたのだった。
今までの、どんな人に守ってもらうよりも、
これは安心感があるものだった。
これを、生まれつき持ち合わせている人や、
生育暦によって、当たり前に知っている人たちを
心からうらやましいと思った。
ともかく、40年間ずっと、自己否定を続けてきたまっち~は
あまり顔を出さなくなり、
せっかく生まれてきたのだから、堂々と居ようよ、
一度限りの人生なんだから、自分らしく行こうよと
以前では考えられないような発想ができるような自分になっていた。

もう二度と、報われない、あんな思いはしたくないから、
もう二度と、誰かを信じて裏切られるような
誰かに依存して執着してボロボロになるような経験はしたくないから
一人で立っていられる人になることが大切なのだと思った。
今は辛いけれど、耐えなければと、
ここを乗り切らなければ、同じことの繰り返しなのだと思った。

一人で立っていられるというのは、簡単なようで難しい。
これまで、他人にいかに甘えてきたのか、思い知った。
自分を評価してくれる人が、必要だった。
自分が迷ったとき、導いてくれる人が、必要だった。
愛し愛される存在が、必要だった。求め続けた。
結局そうして、誰かを投影してしか、自分を表現できない自分になっていた。
また、何一つ自分の判断では決められない自分に、なってしまっていた。
弱いのだろうか。
ある意味、とても弱いのだろう。
己の中の、悲しい部分や辛い部分は、必ず友人に問い合わせて
その悲しみとの付き合い方について尋ねていたし、
人生の大きな決断という決断はすべて、直感的に自分でしているようで
いつもうだうだ友人にああでもないこうでもないと状況説明をしては、
的確なアドバイスを貰おうとしていた。

自分で決めるのが怖いのだし、
自分の決断に自信がなかったのだろう。
「私」という人間は、他人にはそのように見せなかったけれど、
そういう弱さをはらんでいた。
だから、モラルハラスメントをする男のように、
「さっさと決断」して、自分の意見をどんどん述べられる人に、
惹かれてしまったのかもしれない。
自分で何一つ決断できないのだから、
「ついてこい」という男と一緒になれば、
これはこんなに楽なことはない。

以前、
「譲る」「許す」などの行為によって、
対人関係に於いて、自分は常に楽をしていたと書いたが、
同じように、元夫との間柄の中で、
決断を任せるという部分については、自分はいつも責任回避をして
「楽」をしてきたように思う。
今となってはすべてが幻想なのだけれど、
一見何事もちゃっちゃと即断できる、「デキル男」であり、
実のところは「俺についてこいタイプ」の暴君タイプの人間に、
被害者は惹かれてしまう、というのがあると思う。

だからこそ、私は、もう誰かに依存したくないと思った。
依存したくないなら、一人で立っている必要があった。
もう誰かにもたれ掛かって、はしごを外されたり、
裏切られたり、傷つけられたりは真っ平なのだから、
もう、最終手段として、自分で自分を育て、満たし、愛し、
許し、律していける、
凛とした女性になるしか道は残されていないのだった。

「夫をまだ愛している」と
その頃私は思っていた。「だけど、離れなければならない」と
そう思っていた。
けれど、どうして自分を傷つけ続ける相手を「愛している」と思うのだろう。
「愛」って何かわかっていないんじゃないか。
自分で自分に突っ込むようになった。
岩月教授の本を読み漁った。
「愛」しているのではなく、執着していただけだと、気づいた。
母からもらえなかったものを、夫からもらいたかったから、執着した。
それだけのことだと・・・

ひとつひとつの感情や出来事を、できる限り噛み砕いてブレイクダウンして、
自分なりに決着を付けていった。
その作業は、
「ニュートラルな自分」の基礎を形成するのに役立ったように思う。
これまでの自分の歪みを、本気で矯正したいと思ったから、
客観的に自分を見つめ続けて、探し続けた。

結果的に、
とても楽になった。
人に頼って依存してもたれかかって、
相手が思うように動いてくれなくて悲しんだり
ストレスを感じたり、我慢をしたり、傷ついて泣くよりも、
答えは自分で出せばよいし、一人で居ればいい。
一人で居られて、自分を満たすことができるのなら、
それに越したことはないのだと初めて気づいたのだった。

ようやく、大人になれた気がした。
それまでの、依存的な自分に卒業して、大人になろうと
心から願ったからそうなれたのだと思う。
それでもずっと前から大人な女性からしてみれば、
私など子供っぽいのかも知れないけれど、
自分としては大きな進歩だったし、脱皮だったし、飛躍だった。

欲しかった愛、もらえなかった愛・・・
これによってずいぶん寄り道や迷い道をしてしまった。
私は、この欲しかった愛、もらえなかった愛のために、
とてつもない徒労をしてきたように思う。
欲しかった愛は、今この手の中にある。
もらえなかった愛は、今この手の中にある。
なんと、自分で自分を愛することができるようになったから、
誰かからもらう必要が無くなったのだ。
ずっと誰かに、くださいくださいと、乞うてきたように思う。
「本物の愛」「無償の愛」をくださいと、探し続けてきた。
誰か私に、それをくれませんかと、
どこかで見ませんでしたかと、思い続けてきた。
けれど、愛はとっても身近なところに、調達できるところにあった。
簡単なようで、難しかったが、
自分で自分のことを認めて、愛してあげられるようになったら、
いいとこあるじゃんと、いいところは褒め、
こんな欠点も、ありじゃんと、やわらかく認めてあげられるようになったら、
体の中からほんわかと暖かくなり、
エネルギーが沸いてくるようになった。
見るもの全てが、疑わしくなくなった。
結局自分を信じていなかったから、何も信じられなかったのだろう。

「自己愛」の欠如した自分が、
病的に「自己愛」たっぷりの男に惹かれた。
それは必然であり、当然のことだったのだろう。
傷つき疲れ果てた末に、自分を愛する術を覚えた私は、
「自己愛」たっぷりの男を全く必要としなくなった。

今まさに傷つき、迷い、うちのめされて
本来ならば愛し愛されるはずの夫から、精神的虐待を受け続けているあなたにとっては
自分を信じることなんて、本当に難しいことだと思う。
彼らの、「自己愛」の反動である「排他」攻撃は、
あなたが自分を責め続ける行動と同時にあなたの自我を責め続けてきた。
これでもか、これでもかと、
相手と一緒になって自分を、傷つけ続けてきたことだろうと思う。

私がこうしたのだから、こうして欲しいわけではないけれど、
どうか、気づいて欲しい。
どんな理由があったにせよ、傷つけていい心なんて、この世のどこにもない。
苛めていい相手なんて、この世のどこにもいない。
相手にされていることを、客観的に見つめて、
正しいことなのか、間違ったことなのか、判断して欲しい。
相手がモラかどうかも、自分が傷ついているかどうかも、
誰も判断してくれない。全ては自分が自分を見つめる力に掛かっている。
自分が自分を見つめる力、それがかろうじて残っている人こそが、
檻の中から飛び立てる羽根が残っている人なのだろうと思う。


・・・この記事は、少し書くのに勇気が要りました。
自分が最も辛かった頃のことだったし、また、
自分の心の深層部分を照らすことになるので、
読む方にとって理解し難く、自分語りになってしまうかもと思ったし。
けれど、最近、迷っている方々のコメントを拝見し、
こういう経緯があって立ち上がったのだと、
書きたかったのでそうしました。

自分探しは骨の折れる作業でしたが、
私にとって必要な作業でした。
避けて通れるものでしょうが、敢えて避けませんでした。
また同じ道を辿るのが、いやだったからです。
振り返ると・・・あの頃のどん底があるからこそ、
今笑って生活できているのだと思います。

モラルハラスメントな生活から離れて、
2年が経過しました。
引っ越して広くなった部屋を、少しずつですが片付けています。
毎日忙しいのですが、本当に穏やかに緩やかに過ぎていきます。
心が傷つけられない生活が、
心が守られている生活が、何より大切なのだと、
痛感しています。まさに戦中と、戦後という感じだと思います。

今日は久しぶりに、あの頃、
ボロボロになっていた私を
見捨てずに助けてくれた友人に
心からありがとうが言いたいです。
「ありがとう。あなたのおかげで、私は幸せです。」


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9 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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たどり着きました。 (みんみ)
2013-02-24 00:18:37
はじめまして。
Yahooでブログやってます
みんみと申します。
この春、モラ夫の夫から離れるつもりでいます。

まっち~さんのブログに
モラハラで検索したらヒットしまして
たくさんの記事
少しずつ読ませていただいてます。
残して下さって
本当にありがとうございます。

ワタシもアダルトチルドレンです。
自分の中のもやもやして
上手く表せないていた
心の奥深くにあるキモチ。。。
代弁してくれてるかのようなこの記事。
涙が出ました。

すぐにではないですが
リンク貼らせて頂いてよろしいでしょうか?
よろしくお願いします。
返信する
ありがとう。 (aki)
2006-03-12 07:35:40
今回の内容は、とてもとても、道しるべになります。



わたしは、何度も自分を愛する事をやってみようとしてきたけれども、まっち~さんのような決意が足りず、何度も失敗してきました。



「愛してください。」



と、また夫以外の他人でやってしまっていました。

いつまでも、ループから、抜け出せなかったのです。

子どもの頃の願いを、叶えてあげたかったのです。



まっち~さんの今回の日記で、やろうとして逃げていた自分を直視せざるを得ないと思ったのと同時に、

やはり、自分のことは、自分で抱き締める他ないのだと改めて知ったような気がします。

あのやり方で合っていたんだと。



今親のように慕っていた方ともめていて、どうしようもないすれ違いが生じています。わたしは、そこをなんとかしたいな・・・と思う。

でも、、、。無理なものは無理、と諦め、やはり自分自身で立つしかないのでしょうね。

勇気をもたなくては!!



わたしは、弁護士都合で離婚訴訟が中々始まらなかったのですが、5ヶ月待ち、ようやく動き出しそうな気配です。

強くならなくては、乗り越えられないでしょうから、自分のために頑張ろうと思う。
返信する
共感 (うさこ)
2006-03-12 00:23:25
まっち~さん。初めまして。



ブログ拝見させて頂きました。

とても共感が出来ました。



今現在、私は、夫とのこれからに悩んでいます。

今までは、「自分が傷ついている」私の場合では「怖い」「目に見えない緊張感」などの傷ついている自分に見向きもしませんでした。

そうしないと前を、向けなかったのかもしれません。



ここ半年の間に、私事ですが人間関係で、傷つく事があり、かなり凹んだ状態になり、多分自分の中の容量越えを、してしまったのでしょう。



本当は、精神的に夫に支えて欲しかった。

でも、私自身上手に甘える人でもないので、なんてかわいくない人間なんだろ・・自分で思ってました。



それから自問自答で、

なんで素直に甘えられないのだろう・・・。

夫に対してどうして、こんな状態なのに私を責めてくるのだろう・・・。

それとずっと頭の中にあった

「対等に喧嘩がしたい」という願望にも目を向けて・・。



実際の自分は、甘えられないのではなくて、出来る大人なのではなくて、とても甘えたい子供の様な人間なんだと・・。



まっち~さんのブログを、拝見して、自分の生い立ちにも、目を向けてみました。

客観的にみて、私の父は、母に精神的な苛めを、していました。今もです。

項目は、すべて当たるといっても過言ではないです。



そんな家庭環境に育ち、自分を主張する事もなく、依存し、対立するなら自分の意見は、闇に葬り去るという人格形成が、出来だと思います。



実際母を見て、自分の意見って有るのかな?なんて幼心に考えた事もあります。

どうして我慢しているか?とも。



そんな母みたいになりたくない自分がいました。



実際は同じ道をたどって居るのかも・・・。

そんな今の状態が、とても嫌になりました。



ブログを拝見して、今のまっち~さんの幸せは、計り知れないものだと思いました。



夫に癒されてる・・・。

ゆっくり流れる時間・・。

あせらないでいい自分・・。



今の私が自分の幸せ探しを、してもいいのか?なんて疑問に苛まれます。



子供も居ますし、実際子供は、夫に懐いています。

夫も、私の気持ちの変化に気付いています。(多分)



自分から離れようとしてる、私に気付き、攻撃を、してくると思います。



でも今の私の未来予想図には、夫は居ません。



自分の事ばっかりでごめんなさい。

素直に、今のまっち~さんの状態、理想です。



返信する
同志 (どきんちゃん)
2006-03-10 12:32:05
まっち~さん



ずっと読ませて頂いていたのに、書き込む勇気すらなくて今日まできてしまいました。今日の記事を読んで、非常に共感し、どうしてもお礼が言いたくて書き込みさせていただきました。実は現在アメリカで暮らしています。こちらへ来てから夫のモラハラがひどくなり、相談できる人もいなく暗澹たる日々の中でこのサイトに出会いました。

夫に隠れてこのサイトを読んで、何度涙したかわかりません。小さい子供がおり、離婚するふんぎりがつかず、ずるずると過ごしてしまいました。依存という言葉にはっとしました。私も誰かに愛をもらう、誰かに幸せにしてもらうことばかり考えていたのかもしれません。これからは一人で立って、自分で自分を幸せにしてあげたいと思います。

この週末に夫と離婚の相談をします。勇気をくれてありがとうございます。遠いアメリカからですが、まっち~さんの益々の幸せをお祈りしています。
返信する
同じ想いです。 (ケロッケ)
2006-03-10 00:33:38
はじめまして。



結婚して20年、子供がひとりいます。

夫との関係に疲れ果て、数ヶ月前より、モラハラを知り、今まで(現在もですが)私は何故こんな状況から抜け出せないのだろうという答えを探す思いで、毎日読ませていただいています。



今回の記事は、まるで私?と思うほどの共感を覚えました。



私の場合は、父からの承認が欲しかったのだと思っていたのですが、母からの無償の愛を無意識に求めていたのかもしれないと感じてきてきるところです。



そして、たくさんの勇気を頂いています。

女性センターへ相談をするというところまで、やっとたどり着きました。



今まで自分の身に起こっている事を自分以外の人に話すということをしたことがなかったので、支離滅裂な状態でしたが、否定も肯定もせず、話を聞いてくれただけで、自分自身が少し落ち着いてきたのが分かりました。



私の話を聞いてくれる人がいる。という初めての経験をしました。



40年もかかってしまったけど、気づけた今、自分が何を求めているのか、どうしたいのかを少しずつ考え、行動していこうと思っています。



まっち~さん、本当にいつも勇気を頂いています。



あ~、やっとコメントできました。どう書いていいのか分からず、うまい文章も浮かばず、でも、勇気をもらったこと、共感して涙していることをどうしても伝えたかった・・・





ありがとうございます。

返信する
感動しました。 (ゆ。)
2006-03-09 23:13:15
まっち~さん本当によかったです。

自分を愛すること、自分ひとりで立てるようになったこと、すばらしいです。感動しました。



普通なら当たり前のことかもしれないけれど、同じように自分に自信がもてない、自分で自分を愛せない(現在進行形なのが情けないのですが・・)そういう悩みを抱えているわたしにとっては、脱皮した、っていうのがわかります。



心の中にあるもやもや、いやなこと、いつも言葉にできないんです。ああ、自分ってなんて表現力がないんだろう、ってまた自己嫌悪になってしまうところでもあるんですが、まっち~さんはそれを言葉にしてくれました。



モラルハラスメントという言葉を知って、わたしは少し変わりました。また、この記事を読んで、少し変わりました。生活は何一つ変わっていないのだけれど、自分がもっと毅然としていられるようになった、いや、毅然としていていいんだ、と思えるようになりました。



旦那以外の人に対しても、嫌われたくない、争いはいやだ、っていつのまにか媚びるくせがついていたんだな、って思います。



自分に自信を持とう、強くなろう、って思いました。

ありがとうございます。
返信する
Unknown (morako)
2006-03-09 10:03:38
>「自己愛」の欠如した自分が、

病的に「自己愛」たっぷりの男に惹かれた。

それは必然であり、当然のことだったのだろう。



ほんとうに、まっちーさんのブログを見ては

「うんうん」とうなづいて、涙が出ます。

その次の瞬間には、自分の足で立って

仕事やいろいろなことに向かえます。

離婚までもうすぐのところまで来ました。

離婚届も相手に渡せましたし、弁護士にも

頼みました。

モラ夫は「会社には言わないで」とそればっかりです。

最初は、モラ夫を醜いと思うたびに、そんな見にくい人と結婚した自分が

もっと醜いと思って落ち込んでいたのですが

そのたびに、まっちーさんのブログを思い出しては

私は悪くない、私は価値のある人間だと言い聞かせています。

先日、脱出する前に会ったきりの親友にあって「元気そうで良かった」と

言われました。彼女は、私がもっとズタボロになっているのでは?

と心配してくれていました。「前を向いたら前に行く、後ろを向いたら後ろにしか行かないのよ!」

という心にしみ入る言葉をかけてくれました。

いい友人にも支えられて、とにかく前向きに離婚に向かっています。
返信する
欲しかった家庭 (蝉ころん)
2006-03-09 08:33:15
初めまして。

長いことコメントも書かずに読ませて頂いてます。

私は現在モラな夫と暮らしていますが、毎回、感じることが多いです。



特に今回、ちょうど私が気付き始めた幼少時の問題とかぶるところがあって、とても共感しました。

2・3年前からやっと社会の中で自分を制御しつつ自己主張することを学び出しています。夫との関係の異常性に気付きだしたのもこの頃で、今考えると自分に自信がついて来たから気付くことができたのかも、と思います。

結局この冬に問題が大きくなり、身体症状が出始めたのでカウンセリングに通っています。そこで子供の頃の問題に付いて話が出たんですが、自分の口から出る言葉に自分自身で驚くことがいっぱいでした。

今は、夫になるべく接触しないように生活しつつ、自分を見つめ直しています。いつか、私にとっても子供にとっても夫にとっても一番いい落としどころを見つけたいです。



まっちーさんのように自分を取り戻せることを信じて、一歩ずつ、先に進みます。毎回、力をくれて本当にありがとうございます。
返信する
共感しました (ねこ)
2006-03-09 01:15:32
この記事を書いてくださってありがとうございます。



>「自己愛」の欠如した自分が、

病的に「自己愛」たっぷりの男に惹かれた。

それは必然であり、当然のことだったのだろう。



まさに私もそうだったのかもしれません。

まっちーさんの今の幸せな生活が、私にとって大きな励みになっています。

そんな幸せな生活の中で、あえてこの記事を書かれたこと、私の心の中を、上手く文章にしてくださった、そんな思いでいっぱいです。



私もまっちーさんのようになれる日が来るかもしれない。

明るい希望を持って歩いていきます。
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