モラルハラスメント・ブログ

モラルハラスメントな夫と壮絶なバトルの末離婚した二児の母のブログ☆モラハラブログリンク集もあります☆

戦いの始まり3~内容証明~

2006年05月05日 10時34分21秒 | 新たなる戦い






川崎社長との三者面談から、数週間が経過した。
私は、図書館で離婚関係の本を読み漁り、
大きな本屋さんをはしごした。
離婚サイトを検索しては熟読し、
相手が離婚に応じない場合の対処法について学んだ。
そして、
離婚調停の申し立ての前に、離婚の強い意思を表明する意味の、
内容証明を送付することがあると知った。

突然、裁判所からの呼び出しがあるよりも、
内容証明という形で一度「宣言」しておいたほうが、
相手も受け入れやすく、また、それをきっかけに面倒を起こしたくない相手が
離婚に応じる場合があるらしい。
「ほお」と思った。
あの夫が突然離婚するというとは思えなかったが、
少しでも相手が動く可能性があるなら、
検討に値するだろうと思った。
なんでもやってみなくちゃ、と思った。

その頃の私は、離婚調停を申し立てることに対し、なぜか抵抗があった。
他人に対して、離婚に至った夫の行状を説明するのも嫌だったし、
何より調停=時間がかかるというイメージが強かった。
早くて半年、長くなると1年はかかるという印象があり、
話し合いよりも長引くイメージが強かった。

つい先日の夫の態度を見るに、
「お互いの同意の上」があり得ないと感じていたが、
もしかしたら、離婚の意思は強い、と言う内容の
内容証明を送付すれば、夫も調停前に観念するのではないか、
などと若干淡い期待をした。
内容証明を送ろう、と決意した。
あの手この手という感じになるが、
相手方もそうして私にあの手この手で復縁を迫っていたから、
いいじゃないか、と思った。


「脅し」になってはいけない。
「強い意志」のみ伝えよう、そう思った。
私は、過去に各種契約書の作成をする部署にいたことがあり、
そのような書類の作成には手馴れていた。
また、「内容証明」についても、顧客とのトラブル時に、
何度か代理で発送手続きをしたことがあった。
そんな経験が、こんなときに役立つとは思ってもみなかった。
私はいくつかの案文を作って、一番シンプルなものを選択した。

・私の離婚の意志は固く、動くことはない。
・夫婦関係は既に破綻している。
・関係修復は不可能である。
・離婚届の作成に協力して欲しい。
・離婚協議書の作成に協力して欲しい。
・応じてくれないのであれば、
 今後調停もしくは弁護士を通じての話し合いに移行する。

以上の内容を盛り込み、最後に、
「どうか離婚に応じて下さい。」と結んだ。
離婚調停は不本意であり、あくまでも「今」別れて欲しいと書いた。

内容証明は、字数や用紙の大きさに制限がある。
事前にインターネットで内容証明について調べてあったが、
念のため最寄の郵便局の本局に出向いて、
パソコンで、B5で打ち出すけれども、
こんな内容でいいですか、と事前確認しておいた。
一番上に日付、次に相手方の住所と氏名、
私の住所氏名と、捺印、その下が本文となった。

ざざざっ・・・プリントアウトしながら、
結婚生活が、こんな形で終わるなんて最低だな、と思った。
B5のその用紙を持ち、和室にごろりと横になり、
まっすぐ上にかざしてじっと見つめた。

温かいご飯と、暖かい部屋。
子供達の笑い声と、無垢の木の香り。
庭の金木犀の木や、むせるような芝生の香り、
夜の澄んだ空気と風の匂い。
きれいな町並みと、優しい住人達。
夫の・・・手のぬくもり、熱い胸
稀にしか向けられなかった笑顔。
義父母宅のリビング、食卓、入浴風景、
親戚達にもよく大事にされ愛され、遊びに行ったし、
楽しかったっけ。
ママ友達と、笑い転げて、お茶して、
悩み事をお互いに話しては泣いて、遊んだ思い出。
ランチにもよく出かけたし、ケーキをよく焼いた・・・。

それらがすべて・・・こんな無機質な白黒の紙切れ一枚で、
終わるのかと思った。
どんなに夫との間柄が冷め切り、もう二度と、
二度と一緒に暮らせない、と重々わかっていても、
たやすく諦めきれないほど、割り切れないほど、
あの家での生活にはたくさんの幸せがあった。
暖かさや、冷たさや、いろんな優しい色や、原色の濃い色、
笑い声や泣き声、子供達の走り回る音・・・
それらすべてがこんな二次元の、B5の紙切れで終わるんだ、
そう思うと、むしょうに、
胸をかきむしりたいほど悲しくなった。

私は和室に寝転んだまま、そのB5の用紙を抱き締めて泣いた。
戻りたい。
戻れない。
どうしても戻りたい。
でも、どうしても戻れない。

困ったときのSさん頼みだった。
私は、まだ迷っている、捨てきれない、
とSさんにメールをした。
泣きながらメールをした。

返事はすぐに返ってきた。

「私が娘の立場なら、いい加減にしろって、
母親の頬をはたきたくなるよ。
せっかく、この生活に慣れ、
自分なりに気持ちに決着を付けて、頑張ってるのに、何?って。
振り回さないで?って。

迷わず、進め。」

そうだ、その通りだと思った。
子供達は、私を信じてついてきてくれている。
脱出当時は、夫との復縁や、
前の家に帰ることを切望していた子供達だったけれど、
今は、「このおうち好き」と言ってくれていた。
広さは半分しかなく、日当たりもよくない、
狭いマンションだった。
以前住んでいた大きな家とは歴然とした差があった。
なのにそのおうちが好き、と子供達は言ってくれていた。
かけがえのない、この子達の気持ちを、守らなきゃ。
私一人なら、戻ろうがまた破綻しようが、どうにでもなる。
けれど、この子達を、
私のそんな迷いに付き合わせるわけにはいかないんだ。

もし、また戻ったところで、どうなる?
前より、夫婦の関係はましになるかもしれない。
私を睨みつけ、無視を続けた夫は、
にこやかに、饒舌になるだろう。
夫は私に出て行かれては困るから、
その緊張感のもと、ずっとサービスモードで、
優しく振舞うかもしれない。
けれど、
夫がその持続する緊張感に耐えられず、爆発したらどうなる?
二度目の惨事が、いつ起きるかわからない生活なんて、
幸せか?
二度目の惨事が、命を落とすような惨事だったら、どうする?

「お前が出て行ったせいで、世間に冷たい目で見られて、
俺らがどんな思いをしているか知っているか?」

私は脱出後に夫によくそんなことを言われた。
突然脱出した私のことは、近所でのうわさになったはずだ。
私が夫に蹴られて顔の骨を骨折したとき、
私の叫び声を聞いて隣の家の人が駆けつけてくれたので、
その奥さんは事件が起きたことを知っていた。
私は子供達も小さいし、いつどんな迷惑をかけたり世話になるかわからないから、
お隣の奥さんとはとても親しくしていた。
先方もとてもいい方だったので、
いつも洗濯物を干していると声を掛けてくれたり、
実家と頻繁に行き来していることも知っていたので、
「大変ねぇ、よくやっているわね。」と誉めてくれたりした。
向かいの家の奥様は、たまたま回覧板を届けに来たときに、
私がプロテクター姿で応対したので、仰天して腰を抜かしそうになった。
向かいの家の奥さんは、どちらかというとかっこいいタイプの奥さんで、
またとても美しく、60歳には全然見えないスタイルの持ち主で、
私にとって「あこがれの奥様」という対象だった。
だからいつも子連れで寄って行っては、誘われてお茶をご馳走になって、
ビジネスの話しや夢の話を延々としていた。
きっと私は、奥様にとってはちょっと毛色の違った隣人だったはずだ。
その私が、夫に蹴られて顔面骨折をして、数日後に出て行った。
隣人であるその二人の奥さんが、そんなめったと起きないスキャンダルを、
黙っているはずはない。
瞬く間に、狭い町内にそのうわさは知れ渡ったはずだ。
そこへまた戻る?
そう考えると、戻ったら、二度と出てくることは困難に思えた。

そうだ。
考えなしに、行ったり来たりしてはいけない。
よおく考えろよ、自分。
幸せだったのは、夫婦関係以外のことだ。
夫婦関係は、ずっと最悪だったじゃないか。
この数年、ずっと悩み苦しんで来たじゃないか。
夫の浪費、浮気、セックスレス、言葉の暴力と、無視。
そのことで、血を吐くほど苦しんできたじゃないか。
泣きながら、友人に電話をしたこともあるし、
泣きながら、夜中に家を飛び出したこともあるし、
泣きながら友人にメールして、
泣きながら眠って、
泣きながら料理して、片づけして・・・
ずっと私は泣いてばかりいたじゃないか。

それに私は母親だ。
危険な場所に、子供達を連れて行ってはいけない。
あの家は、優しさと暖かさといろいろな色や匂いに溢れていたけれど、
反面、危険極まりない場所ではないか?
思い出せ、自分。
父親が母親を無視したり、つきとばしたり、
大声で罵倒するのを日常的に見せられ、
母親が子供を叱ったり、注意したりすることを禁止され、
庭に迷い込んできた猫を、空気散弾銃で撃ち、
追いまくる父親の姿を見せられ、
あげくの果てに、父親の暴力によって母親が大流血するシーンを見せられて、
子供は思い切り傷ついてきたのではないか?
愛すべきパパと、愛すべきママが、傷つけあうのを見て、
子供達がどれだけ幼い胸を痛めてきたか知れない。
もしくは、幼いが故に、既に、
「何も感じないでいよう。私は傷ついていない。」と、
アダルトチルドレンへの道をたどり始めていたかもしれない。
そんな危険な場所に、私は子供達を連れて戻るというのか?

私は、自分の顔をぴしゃりと叩いた。
「もうこれ以上、子供達を振り回すな!」と言った。

そう、自分のことだけ考えれば、迷う。
「自分さえ我慢すれば」
「自分の幸せを半分諦めれば」
「私には、これぐらいのことは耐えられる」
私には、幼い頃からの訓練で、
夫との間に起きるいろんなことに免疫があった。
だから次々波のように押し寄せる夫からの虐待にも、
目をつむり、耳を塞ぎ、何も感じないようにできた。
だからと言って、いくらそんなふうに自分がアダルトチルドレンで
辛抱強かったとしても、子供達に、
「あなたたちも、我慢しなさいね。」
「あなたたちも、幸せを半分諦めなさいね。」
「あなたたちも、これぐらいのことは耐えられるようになりなさい。」
とは言ってはいけない。
この世で一番大切なのは、自分自身の心と体だ。
それを自分で守れる人に育って欲しい。
間違っても、少しずつ自分を削って差し出して、愛を乞うたり、
金儲けをするような人になって欲しくない。

ありのままの自分を愛し、認め、信じ、守り、
それが当たり前に備わった状態で、
まわりの人を愛し、信じられる人になって欲しい。
間違っても、私のような、
ありのままの自分を愛せず、信じられず、守れないから、
相手に愛して欲しくて、信じて欲しくて、守って欲しくて、
必要以上の、譲ってはいけないものを差し出すような、
みじめで愚かな人間になってほしくない。
そんな人間には、
自分を投げ打ってでも相手に尽くすような人間には、
奪えるだけ奪い、搾取するだけ搾取して、
何も与えなくても平気な非道な人間が、
引き寄せ吸い寄せられるように寄って来るように、
世の中はできているのだから。


ともかく、
またたっぷりと涙を流して、私は決断した。
もう迷わない。
もう泣かない。
そう何度決意し、心に誓っただろうか。
けれど、また迷い、泣いて、決断して、
ここまでたどり着いた。

ここからまた、迷うかもしれない。
けれど、迷って泣いて、悩んで、
でもきっと決断する。
「迷わず、進め。」
そう言ってもらったけど、
きっと迷うし悩むんだ。
けれど、最後には私は、進もう。
一歩でもいいから、進もう。


涙を拭い、
内容証明を3部ずつ作成した。
一部は、局の控え、一部は自分用、一部は相手に届くものだった。
ノースリーブとGパンに着替えて、
車のキーを持ち、印鑑を持ち、
私は郵便局へ走った。
局員は手馴れていて、親切に、ちゃっちゃと済ませてくれた。
「これで、いいのだ。」
と思った。
これしか仕方なかった。と思った。


その5日後、
子供と公園から帰ってきてポストを覗くと、
夫からの手紙が届いていた。
離婚に応じる内容でありますように、と思いつつ、
封を切った。


↓みなさんのおかげで、gooでも40位台キープしています☆





↓離婚、調停、訴訟、もう二度~としたくありましぇん。

マンガでわかる離婚知識から手続きまで 離婚届・親権・慰謝料・養育費・姓・調停離婚・離婚訴訟・公的扶助

インデックス・コミュニケーションズ

このアイテムの詳細を見る


↓ええっ、そんな本あったん☆

再婚の達人―今度は必ずうまくいく!

廣済堂出版

このアイテムの詳細を見る


ただいま夏に向け、まっち~ダイエット中。

おからクッキーこんなの使う裏技もありかな。

昨日は百貨店で、夫の化粧品買いました。
男も基礎化粧品する時代ですね~

今一番売れているコスメって?クチコミもチェック★

最新の画像もっと見る

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (かみや)
2006-05-05 15:15:47
私はパートナーからモラハラを受けたことはありません(職場ではあるけれど…)。なのでコメントをつけられる立場ではない、と、ただドキドキしながら読むだけでしたが、何だか今回の最後のほうのほのぼのとした一言(夫さん用の基礎化粧品の話とか)にとってもホッとさせられました。まだお話は戦いの途中ですが、今が幸せそうで本当に本当に良かったです!
返信する
 (sakurazaka)
2006-05-05 17:35:42
はじめまして、まっちーさん。
返信する
まっちーさんは幸せになる義務がある (初夏)
2006-05-05 18:04:52
はじめまして。タイトルの「幸せになる義務がある」は、マドンナの言葉をパクリました。

私は、モラ父、モラ母、モラ姉の中に、乳児の時から叩き込まれ、小さい子は泣く、という常識から隔絶された、毎日緊張の抜けない中に育ちました。

「ねえ、○ちゃん、パパのこと、大好きだよねー?」と、父からいわれ頷こうものなら母から「へえー、そんなわけー。わかったから、パパが好きならあっちへいきなさいよ。こっち来ないでよ。」と、日常的に言われました。なにぶん、小さいですからねえ、自分に非があるのだと思ってしまいます。ごめんなさいごめんなさいとおろおろしました。今思い出してもあれで当事者(父と母)は、なにが面白かったんでしょうねー。ま、いまさらいいですが、必死に誤る子供(わが子ってかんじではない)。

まっちーさんがえらいとおもうのは、そんな遺伝子を継いでるのにがんばって育てていることです。私には無理です。本当に、すごい。

返信する
迷い (夫の浮気にサクッと対応かなちゃん)
2006-05-05 22:19:29
素敵なGWをお過ごしでしょうか。

迷って、悩んで、つらくても決断して・・・

そんな繰り返しの結果が今のまっち~さんを

形成しているんですね。



そしてその結果の一つが、夫の基礎化粧品選びという幸せなシーン。



諦めないことの大切さを感じました。
返信する
初めまして (さくら)
2006-05-06 03:29:53
初めまして、ブログを拝見したのは今日が初めてだったのですが、一気に読んでいく自分がいました。

というのも、モラルハラスメントが他でもなく自分にも関係のあることではないかと思ったのです。



以前の恋人が、きっと弱モラ男です。

彼は私にひどいことを言うとき、いつもニコニコしていました。

私が怒っているのを見るのが楽しいと言っていた。私は彼の価値観がわからなくて、それなのに彼の一番の理解者になりたくて必死でした。いつも彼の負担にならないように気をつけていました。

ひどい経験がたくさんあったのに、別れた今ですら私は彼に未練がある状態でした。でも、このブログを読んでいくうちに改めて彼に対して怒りがわき、同時に自分がいかに馬鹿だったかを痛感しました。自分を粗末にしていたことが、本当に悔やまれます。読みながら泣いてしまいました。

返信する
以前の同居人 (S本)
2006-05-06 04:53:21
はじめまして。まっちーさんのブログ、すごく参考になります。

以前同居していた人が、モラ+DVでした。

30分間ほど馬乗りになって私を殴り続けて、自分の拳のじん帯を損傷していましたが、仲直りした後にあれはひどかったよねと言うと、爬虫類のような目で睨まれて「約束を破ったあんたの責任だ」といわれました。約束は、私の友達と断りなしにあったことなんですが。



無視が1週間くらい続くのは当たり前でしたが、こちらが携帯をチェックし忘れでもすれば「無視するのも暴力だ!」と大騒ぎしていました。



今は、結婚していますが、現在のパートナーは、最初のころ以前の同居人のことをほめていたのがいやだったと言われて。なんかおかしいなと思っていろいろインターネットを探しているうちに”モラハラ”という言葉にたどり着き、このブログを呼んでモラの人たちの恐ろしいばかりの共通性にびっくりしました。

このブログで紹介されている”良心を持たない人たち”も最近読んで、”最高の復讐は自分が幸せになることである”という言葉を見たときには涙が出そうになりました。

だんだんと洗脳から解けていく最中ですが、これから幸せになりたいと思います。

とりとめもない内容ですいませんが、最近の気持ちをここでこっそりと打ち明けさせてもらいます。
返信する

コメントを投稿