モラルハラスメント・ブログ

モラルハラスメントな夫と壮絶なバトルの末離婚した二児の母のブログ☆モラハラブログリンク集もあります☆

蘇る記憶

2005年10月29日 02時37分25秒 | モラルハラスメント
数日前、テレビで、植物状態になったが奇跡的に助かった方の実録報道がされていた。
私は洗い物をしながら、似たシチュエーションが以前にもあったなと思い出していた。
元夫と一緒にテレビを見ていたとき、
同じように事故で植物状態になった方のドラマか何かが映されていて、
元夫は画面を指差しながら、こう言った。
「お前がもし植物人間になったらな、オレはすぐクダ抜いたるからな。」
「そんで、すぐに次探すからな。」
なぜ・・・わざわざそんな人が傷つくようなことを言うのかわからず、
「えっ・・・なんで?私が逆の立場になったら、助かるように願いながら看病すると思うけど・・・」
すると元夫は、全く理解ができない、といった表情で、
「はぁ?そんなもん時間のムダやんけ。クダ抜いたった方がお前のためやし、俺のためやろ。あんなもんいくら金かかるかわからんしなぁ。」
「お前に金使うぐらいなら、「次」においといた方がいいやろ。ずっと前向きや。」

最初の頃は、そんなネタ振りにも、とっぷりと落ち込んでいた私だったが、
数年経って、きっとそういう受け答えをするだろうと思うようになってからは
聞き流すようにしていた。聞き流すようになっていた。
「はあ、またやわ」と思っていた。
けれどやっぱり、苦しかったし、悲しかった。

「お前が死んだら次探す」というフレーズは、日常的に投げつけられていた。
理由は、子供達とオレが困るから、ということだった。

会社の後輩の奥さんが、生まれたばかりの赤ちゃんを残して亡くなった日も、
そのお通夜から帰宅してすぐ、
「あいつと赤ちゃんが気の毒やった。」
「でも、赤ちゃんが小さいし、あいつ若いから、すぐ次探せばええ。」
「オレやったら、すぐ次探す。」
と言っていた。
普通、付き合いが浅いとは言え、知り合いの奥さんが亡くなったら、
すぐに「次」などとは考えないだろうし、言えないはずだと思う。
なのにそんなことを当たり前に言ってしまう人だった。

「普通、そう思っていても本人には言わないほうがいいと思うよ。」
「次の話」をされた私がそう話すと、彼は、
「いや、俺は誠実な人ですからね。やっぱりなんでも正直に事前に言うたらんと。
お前もあの世で、オレと子供達がどうしてるか心配だろうから、オレは前もって言ったってるだけで。
嫁思いやなぁ~オレ。」
「一応、次の嫁探しは、49日まで待ったるからな。その後はすぐに探すから。」
(妙にそういうところはきっちりしていた。)
心の底からそのように思っているかのように、彼はそう話した。

元夫は彼の言葉を、人に投げかけた場合、
他人がどのように受けとめるか、その機能が壊れているため、
もしくは最初からそんな機能がついていないため、
思いついたままもしくは、オレ的論理を当たり前のように人に解説してしまうのだった。
それは、私に対してだけではなく、彼の友人に対しても平然と行われていた。
当然、彼の友人の多くは去っていった。
相手が誰だろうが、どんなバックグランドで成長していようが、
妻である私に紹介する折に、
「コイツはホンマにアホでなぁ。」で始まった。
短い接触の間中、こんな酷いことがあった、あんな酷いことがあったと
相手の欠点をあげつらっては、あざ笑うのだ。
多くの、「コイツはアホやエピソード」を並べ語り、
その合間に、逆にオレはこんなにすごいと、
オレの自慢話を延々と、誰も聞いてはいないのに話続けるのであった。

結婚相手として、私を彼の親友に紹介されたとき、
「あの、前にも話したことあると思うけど、まっち~さんや。」
と彼が話すと、親友は
「ああ、いつもお噂は聞いてました。すごい仕事できる方ですよね。」
と言ったので、私がいないところでも彼は私の話をしてるのだと嬉しかったものだが、
あとでよくよく聞いてみると、
「そんな人にかわいがられているオレはすごい。」という自慢話のネタにされていただけだった。

元夫はただの、口の悪い人間だったのだろうか。
本当は心の中では優しい人で、照れ隠しにあのような毒舌を吐いていたのだろうか。
いや。そうではない。それは絶対にない。
よく、他人に元夫の話をすると「口が悪い人っているから・・・」と言われたが
けっして美しい心から、汚い言葉が飛び出しているわけではない。
表現が難しいが、
「心が無いから」「心無い言葉が吐ける」というのが一番適切ではないだろうか。

先日長男のカッターシャツにアイロンをあてていて、
古い記憶が蘇った。
元夫の仕事用のカッターシャツにアイロンをあてながら、
「ル・クプル」の「ひだまりの歌」をMDで聴いていたとき、
ふいに涙が溢れ出し、ついに溢れる涙が堪えきれなくなった。
私は嗚咽しながら、アイロンをあてていた。

こんな私のこと心から
あなた愛してくれた すべて包んでくれた まるで陽だまりでした
 
そばに居る夫とはありえない情景だった。
心を通わせようとしても、一つも通じない。
言葉を伝えようとしても、一つも伝わらない。
愛してくれるどころか、優しさのかけらも期待できない。
そんな結婚生活・・・心からイヤだと思った。でも抜け出せない自分が居た。

ソファでテレビを見ていた元夫は、最初気づかないフリをしていたが、
あからさまに不快感をたっぷり込めた大きなため息を何度もついた。
(お陰で今でも他人のため息が苦手である)
そして泣きやまない私に向かって
「お前はホンマ安上がりな女やのぉ。そんな音楽聴いて泣けるなんて。映画監督もプロデューサーも商売上がったりやな。」
とあざ笑い、なお泣きやまない私を置いて、二階に上がっていった。

私は、実は、モラルハラスメントという言葉に出会う前は、
そんな元夫のことを、
「きっと本当は心が弱くて、小さい人なんだ。」と思っていた。
「そして、劣等感が強くて、その裏返しで人を攻撃して、バランスを取っているんだ。」
と思っていた。
私は元夫よりも5歳年上だったし、結婚した時点で、
私の方がいろんなことをわかっていると思っていた。
すべてにおいて、甘かったと思う。
人間には誰しも欠点があり、元夫の欠点がそれであるならば、
攻撃の言葉も態度もすべて柔らかく受け止め、許し、
劣等感と心の弱さは、自分がそんな元夫を評価し、賞賛してあげれば
少しずつ男性として成長するごとに治っていく、
そう固く信じていた。
私を家庭内でなぶり、いじめて、無きもののように扱った男を、
私はこともあろうに賞賛し、何をされても思いやりと温かい心で包もうとした。
結果、どんな態度をとろうが、コイツはオレから離れないと安心し慢心した元夫は
攻撃の度合いや頻度を高めて来た。
もともと無神経な人間が、自信を持ってさらに無神経に私を傷つけるようになったのだった。
これでもか、これでもかと言わんばかりに、
彼は私を傷つけ続けた。

そのあまりに酷い言動に「私は傷ついた」と訴えれば、
「気にしすぎや。被害妄想や。専業主婦はそんな暇があってええのぉ。」とあざ笑われたし、

「もう傷つけるのやめて」と床に手をついて嘆願すれば、
「なんでもモノはとりようや。なんでも悪いように悪いようにとるからそうなるねん。
どこからどう見ても、傷ついたのはそんないいがかりを付けられているオレのほうやぞ。
みんなに集まってもらって、聞いてもらってもええぞ。イヤならあやまれ。」(みんなって誰(^^;)と言われた。

「どうしたら、優しくしてくれる?」と聞けば、
「オレ優しいやんけ。オヤジと比べたら100倍優しいぞ。お前、オヤジの嫁さんにはなられへんなぁ。おふくろでもガマンしたんやから、お前もガマンできるはずやぞ。」
「ガマンできへんのやったら、宗教入れ。」と言われた。

「子供達には優しいけど、私を突き飛ばすのはなんで?」と聞くと、
「お前はホンマにアホや。正真正銘のアホや。どこの世界に、子供と同じように嫁さんに抱きついたりする父親がおるねん。おるならつれて来い。ここに連れて来て、仲良くしてる姿見せてみぃ。」
「夫婦でも、仲良くしてるとこいくらでもあるよ。」というと
「うちのおふくろとオヤジは違うし、お前んとこのおやじさんとおふくろさんもちゃうやろ。
アイツのとこもちゃうし、どこもちゃうで。だから、誰がそう仲良ししてるか言うてみろよ。」

「じゃ、仲良くしなくてもいいから、冷たくするのは、やめて欲しいねん。教育上悪いし。」
すると元夫は、
「オレは冷たくなんかしてへんぞ。目つきが悪いのは生まれつきやし、おふくろに文句言ってくれ。言葉遣いが悪いのはオヤジゆずりやから、オヤジに言うてくれ。態度悪いとまで言うなら、お前がなんぼの人間やとオレは言いたいけど、どっか間違ってるか?」
と、オレ的論理で完全に畳み掛けてきた。
・・・というか、ねじ伏せてきた。

どこを、改めれば、愛してくれますか?
私の何を変えれば、優しくしてくれますか?
どんな言葉になら、返事してくれますか?
どこまで自分を変えれば・・・
同じことをぐるぐるぐるぐる考え続けながら、
私は堕ちて行った。

過日妹の結婚式だった。
遠い記憶の、元夫との結婚式を思い出しつつ、
父と、誇らしげにバージンロードを歩いてくる妹を見て胸が熱くなった。

神父さんが、少し長めの話をした。
「「愛している」ということと、「好き」ということは違う」という話だった。
恋愛の初期は、この人のこういうところが好き、で始まると。
それは裏を返せば、こういうところは嫌いということでもあると。
「愛している」というのは、欠点も含めて愛することである、と。
好きな部分も嫌いな部分も含めて全てを受け入れることを、愛するというのだと。
結婚は、好き嫌いではいけない。相手を心から愛することだと、話してくださった。

私は、元夫を愛していたが、
元夫は、私を愛していなかったのだろう。
そもそも、そういう人間関係を築くことができない相手を、愛してしまい、結婚してしまった。
「愛する能力」を誰もが持っていると、私は過信していたように思う。
そもそも愛されるために努力することは美しいことなのだろうけれど
鼻先に、「これを頑張れば愛してやってもいい」などとぶら下げられて
ニンジン馬のように頑張るものではないと思う。
晴れの場で妹と妹の夫がキスしているときに、
ぼうっとニンジン馬の図を思って吹き出した私は、苦笑いして我にかえった。

元夫の、心無い言葉や態度で
どつきまわされ、めった打ちにされ、蹴られて飛び出した私は、
もう、たまにしか思い出さないほどに回復した。
今も、どこかに、心無い夫のそばで、心無い言葉や態度で
傷つき続けている妻が居るかと思うと、胸が痛い。
一人でも多くの方に、モラルハラスメントという言葉を知って欲しい。
そして、
どんなに頑張っても、その危険な男からは、傷つくばかりで、
何も引き出せない場合が多いということを、知って欲しい。






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3 コメント

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同感 (アイリ)
2005-10-30 23:18:26
モラハラっていう言葉を知ると、「あーこんな仕打ちを受けている私に原因があるんじゃないんだ」ってわかります。

モラと一緒にいると、こっちが性格が悪いから、人並みの事ができないバカだから、

愛される女じゃないんだ、なんて

自分を責めていってしまいます。

根本的に人間の情の伝わらない、相手の気持ちを汲むことができない人間が存在する

ことだけでも知ると楽になります。
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、、、。 (ばなな)
2005-10-31 11:30:35
まっちーさん、ココにもコメントもさせてもらいます、、、。



なんていうか、痛いほど、共感します。

波線だらけになってしまいそうな感じです。



無神経な人が妙な自信をつけた時、手におえなくなりますね。保身から投げてくる暴言に更に攻撃性が加わるというか、自分の投げた言葉が他人がどう受け取るかを判断する部分がない。まさに、そうですよね。



モラハラの言葉に出会うまで、、、

私自身、元夫が劣等感を抱くような人間でもないこともあり、元夫が、劣等感にだけ妙にすこぶる敏感なことも『元夫のキャパの小ささ』くらいに捉えていました。



神父さんのお話じゃないですけど、実際元夫とこんなことがありました。



『好きだと思っていた、ばななの良いところが今はうとましく感じる』と。



『俺はそんなふうに思っちゃだめだって、(←私のせいだというのです)自分に言い聞かせ、そんなお前でも愛さなくてはと努力したんやでこの思いやりをどう思ってるねん、随分苦しみ悩んだんやで、、、でも、俺がこんなに苦しんでるのにお前はそんなことも知らず、俺にそう思わせて平気な人間なんやな、知らなかったからな、結婚してみなわからんもんや』と溜息をつき、被害妄想はエスカレートし、『俺だけしかわからないばななの姿』だ云々、、、。

うろたえる私に、

『そうやって俺に意味がわからないとか酷いとか言う、、、自分が思うとおりの言葉が返ってこないと俺を責めるんやな。どこまで子供やねん、心の安らがない家庭は俺の望んだものではない』云々、、、。



自分の放っている言葉がどれだけのものかには感覚が『無』で

被害妄想へと繋げる思考回路と、自分を正当化し同時に私を非難することには長けていて、当時の私はすっかり堕ちました。



心が通じない。

言葉が通じない。

愛することができない。⇔(愛されたことがない)



ん~~、、、この言葉につきますね。



言葉や文字にすると意外と『あっさり』としちゃいかねないこの言葉の持つ『本当~の重さ』は

モラに出会い、この背景を体験しなければ、想像つきにくいかもしれないですね。

自分がそうであったように、、、。





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ぶら下げられた人参 (aki)
2005-11-02 14:11:13
>鼻先に、「これを頑張れば愛してやってもいい」などとぶら下げられて

>ニンジン馬のように頑張るものではないと思う。



同感です。



今まで、「仕事を辞めたら(別居解消してもいい)」や、「(俺が引き取って俺の母親と育てている)子ども達と会えているのだから、何が困る?俺は困ってないから今の状況で(離婚しなくても)いいじゃないか。」と言われ、何も言えずに、戦うのが怖く、また自分の自信の無さから夫に依存して言うなりになっていた。



まさに、大切な2人の「子ども」という「人参」を目の前にぶら下げられて。



その胸の痛みを思い出しました。



離婚訴訟に進む準備中です。

子ども達、友だちに「うちはね、離婚直前みたいなようなものなんだ」と微妙な状態を説明するとき、少し顔が歪んでいる。

あの顔をさせているのは私であり、夫である。



どうあがいても、子どもたちを傷つけた事は間違いが無く、今も傷ついている。(夫はその子ども達の顔に気付いていないのだろうな。だから平気で「今のままでも困らない」と言い切るのだろう)

戸籍上の母ではなくなるけれども、母である事は変わらない。

だから、離れていても愛情を注ぎ続けられるよう、でも、合わない夫とはケリをつけ、子ども達の環境もちゃんと整えてあげたいと思う。

これ以上あの子達を傷つけないのは、ケジメを付けて生活を安定させてあげるのは、大人である親である私の仕事だから。
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