歴史と旅と少しのグルメ

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川中島探訪

2008年03月01日 | まち歩き

今回で2回目です。

今年の大河ドラマは「篤姫」で昨年の放送はすっかり忘れてしまっているかもしれません。

私も歴史に興味があるので、大河ドラマは欠かさず見るほうですが、5年前になると何だったか怪しくなります。昨年の大河は「風林火山」でした。山本勘助が主人公で、ドラマの出演者の演技力によって人気があったようです。私も勘介を演じた内野聖陽さんが好きで欠かさず見ていました。なんといっても以前同じ「NHK」で放送された藤沢周平原作の「蝉しぐれ」の演技は秀逸でした。結ばれない恋を見事に演じていました。そんなことで、昨年川中島に日帰りで行った時のことをご紹介します。005

信玄、謙信の一騎討像

川中島の合戦は天文22年(1553年)から永禄7年(1564年)まで12年間にわたり5回行われました。この信玄と謙信の直接対決は4回目の対決(1561年)の場面です。妻女山から駆け降りた謙信と川中島の八幡原に布陣した信玄との戦いはもっとも激しいもので、信玄の弟信繁をはじめ、山本勘助も討ち死にしました。勘助の首と胴を合わせて埋葬した胴合橋や千曲川の河川敷にある勘助の墓など約450年前の戦いに思いを馳せることができました。信玄、謙信とも戦国時代では、すぐれた武将ではありましたが、天下統一の夢は破れました。家臣も半農の身分で農閑期の戦が多く、信長のように戦いに特化した家臣を持ち得なかった点では、甲斐、越後と地域性にも恵まれなかったにしても、次世代を切り開く武将としては限界があったのかもしれません。それにしても、その地に赴き、いにしえの戦いに思いを馳せることは、大いに歴史ロマンを膨らませてくれます。

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046 胴合橋・海津城

 妻女山からの眺め(川中島方面)

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勘助の墓


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