歴史と旅と少しのグルメ

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上野歴史散策(旧岩崎邸など)

2011年07月31日 | まち歩き

最近さぼっていたので、昨日に引き続き書き込みます。

先日、久しぶりに東京に行ったので、上野界隈を散策しました。まず向かったのは、昨年の大河ドラマ「龍馬伝」でも登場した岩崎弥太郎ゆかりの旧岩崎邸です。ドラマのなかの弥太郎は、時代の変革期に身分の壁を乗り越え、実力主義でのし上がっていく生き様に感動しましたが、この岩崎邸は長男の久弥が1896年(明治29年)に三菱創設者・岩崎家本邸として建てたものです。英国人ジョサイア・コンドルが設計し、現存するのは洋館・撞球室(ビリヤード室)・和館(修理中)の3棟です。木造2階建・地下室付きの洋館は、近代日本住宅を代表する西洋木造建築で国の重要文化財にも指定されています。正面玄関部分は四角形の塔屋となっており、反対側の南面は1階、2階とも列柱のある大きなベランダを設け、当時の建物としては、珍しい形式だったそうです。この建物に明治の近代化の一翼を担った三菱の本社機能があり、多くの人が訪れたシンボルが残されているのを見て、時の流れを忘れて、この時代に一瞬迷い込んだような感覚になりました。この後、散策しながら、不忍池に行きました。ここはかつて池を周回する競馬場があったということで散策道にその面影が残っています。忍不池から少し高台に上がると寛永寺の清水堂があります。この寛永寺は徳川家康はじめ、15代将軍慶喜まで手厚く保護された寺であり、江戸の末には、現在の国立博物館や動物園などすべて寛永寺の敷地でした。清水堂は京都の清水寺をイメージして造られ、当時は見物客でにぎわったそうです。しかしながら、寛永寺は1868年の戊辰戦争により大半の建物が焼けました。当時は大仏もあり、現在はその顔の部分が保存されています。明治とそれにさかのぼる江戸末期の遺産は私たちに様々な歴史を語りかけてくれますね。

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正面玄関。四角い塔屋が印象的です。

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南側のバルコニー。100年以上前でこの開放的な様式はなかったでしょうね。

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寛永寺清水堂。この舞台部分は清水寺を模して創られました。

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寛永寺の大仏。関東大震災で顔が落ち、胴体は戦時下で供出したので残っていない。

昭和47年にこの地に安置されました。