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ぐんまの歴史探訪2011(高崎市山名古墳群)

2011年01月23日 | まち歩き

1月は寒い日が続いていますね。インフルエンザの人も増えています。乾燥していますから体調管理には気をつけたいものです。さて、昨年高崎市の山の上古墳をご紹介しましたが、今回はその麓の鏑川北岸の台地にある山名古墳群をご紹介します。この古墳群は、古墳時代後期から終末期(6~7世紀)に築造された群集墳で構成され現在19基が残っています。この時代は、古墳時代全盛期の大型の前方後円墳などは姿を消し、方墳や円墳など小規模なものに変化してきた時代でした。地域の首長の権威を示すために造られた大型墳は必要とされず、ある意味中央集権国家体制が進んできたことも原因であると思います。さて、この古墳群の中で埋葬者を納めた石室の構造を知るのに良い古墳があります。その古墳は山名原口2号墳で、直径16mの円墳で両袖型の横穴式石室を持っています。発掘時すでに天井石は失われていましたが、その石室の構造をよく知ることができます。現在は覆屋を架けて保存されています。石室は周りの壁を石積で作った後、上に天井石を渡していることがよくわかります。古墳内部の構造を知る上で貴重な古墳であると思います。

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山名原口2号墳両袖型の横穴式石室、入口、本来この石室の周りには盛土がありました。

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石室奥から見る、手前が両方が奥より広がっていますね。このため両袖型石室といいます。この石室上には大きな天井石がありました。しかし、壁は大小の石をきれいに積んでいますね。