1984年、ゲフィン・レコードはサミー・ヘイガーをニール・ショーンと組ませることにより、一躍トップ・アーティストとして大ブレイクを狙います!
そのプロジェクトが「HSAS」です!
「HSAS」とは。
・サミー・ヘイガー
・ニール・ショーン(ジャーニー)
・ケニー・アーロンソン(ビリー・スクワイアー・バンド)
・マイケル・シュリーヴ(サンタナ)
というメンバーからなるスーパーユニットがHSAS(ヘイガー・ショーン・アーロンソン、シュリーヴ)です!
特にニール・ショーンとサミー・ヘイガーの組合せは私にとって新鮮でした。
しかし、前述の通りキャピトル時代も「デンジャー・ゾーン(バイオレンスの逆襲)」というアルバムの中で共演をしているのです。
当初はドラムスにモントローズのオリジナルメンバーであるデニー・カーマッシの名前も挙がり期待していたのですが、最終的にはこのメンバーに落ち着いたようです。
このプロジェクトはジャーニーが休止している1年間でライヴからアルバム制作までをこなすという超ハードスケジュールでありましたが、この4人はやってのけました。
ほぼライヴ・アルバムといってもいいような「スルー・ザ・ファイアー炎の饗宴」は久々に心待ちにしていたアルバムでした。
これは私的にはなかなかよかったと思うのですが、なぜかビッグヒットにはなりませんでした。
曲的に「青い影」(プロコル・ハルムのカバー)などもありましたが、骨太のハード・へヴィなロックが多く一般受けしなかったからだと思います。
1984年の「HSAS」までの間。なぜかサントラが多いのもこの頃のサミーの特色です。
1981年の「HEAVYMETAL」のテーマソング「Heavy Metal」、82年「初体験リッジモント・ハイ」のテーマソング、84年「FOOTLOOSE」で「危険なガール」というハードなナンバーを1発!洗練されたロック・ポップス・アルバムの中で1曲だけ荒削りでヘヴィーなナンバーでした。
さらに、映画「OVER THE TOP」の主題歌「Winner Take It All」もやってましたね!
それにしてもサミーとショーンのバンドは非常に魅力的で、HSAS以降も続けて欲しかったと思ったのは私だけではないと思います。確かにセールス的にはよくなかったことは事実ですが、縁がなかったのでしょうか。。。
左から、ヘイガー、シュリーヴ、ショーン、アーロンソン
そのプロジェクトが「HSAS」です!
「HSAS」とは。
・サミー・ヘイガー
・ニール・ショーン(ジャーニー)
・ケニー・アーロンソン(ビリー・スクワイアー・バンド)
・マイケル・シュリーヴ(サンタナ)
というメンバーからなるスーパーユニットがHSAS(ヘイガー・ショーン・アーロンソン、シュリーヴ)です!
特にニール・ショーンとサミー・ヘイガーの組合せは私にとって新鮮でした。
しかし、前述の通りキャピトル時代も「デンジャー・ゾーン(バイオレンスの逆襲)」というアルバムの中で共演をしているのです。
当初はドラムスにモントローズのオリジナルメンバーであるデニー・カーマッシの名前も挙がり期待していたのですが、最終的にはこのメンバーに落ち着いたようです。
このプロジェクトはジャーニーが休止している1年間でライヴからアルバム制作までをこなすという超ハードスケジュールでありましたが、この4人はやってのけました。
ほぼライヴ・アルバムといってもいいような「スルー・ザ・ファイアー炎の饗宴」は久々に心待ちにしていたアルバムでした。
これは私的にはなかなかよかったと思うのですが、なぜかビッグヒットにはなりませんでした。
曲的に「青い影」(プロコル・ハルムのカバー)などもありましたが、骨太のハード・へヴィなロックが多く一般受けしなかったからだと思います。
1984年の「HSAS」までの間。なぜかサントラが多いのもこの頃のサミーの特色です。
1981年の「HEAVYMETAL」のテーマソング「Heavy Metal」、82年「初体験リッジモント・ハイ」のテーマソング、84年「FOOTLOOSE」で「危険なガール」というハードなナンバーを1発!洗練されたロック・ポップス・アルバムの中で1曲だけ荒削りでヘヴィーなナンバーでした。
さらに、映画「OVER THE TOP」の主題歌「Winner Take It All」もやってましたね!
それにしてもサミーとショーンのバンドは非常に魅力的で、HSAS以降も続けて欲しかったと思ったのは私だけではないと思います。確かにセールス的にはよくなかったことは事実ですが、縁がなかったのでしょうか。。。
左から、ヘイガー、シュリーヴ、ショーン、アーロンソン