夢民―ゆめたみ―

現実逃避といわれようと、
日々の生活の中に
心地よきことや楽しきことを探し
記録してみるカナ。

祖母。

2007-04-03 21:28:05 | おもいで話。
私の母の母。
その、私にとっての母方の祖母が
寝ついてしまい、日々弱っていく・・・
昨年の始まりはそんな状況でした。

1月から子供達や孫達が交互にかけつけ
勿論母も、東京にいる弟さえも
お見舞いや励ましに岩手まで行っては祖母の様子を伝えてくれた。

なのに私はなかなか行けず
やっと父と2人でかけつけたのは
3月も中頃。
祖母はもう起き上がる事も出来なかった・・・

『こっちは雪が多いから、冬は来ないで夏に遊びにおいで』
『冬は雪ばっかりでつまんないから、夏に涼みにおいで』
と、よく言っていた祖母。

その祖母が最後を迎えようとしている時
私は数十年ぶりに冬の岩手へ行く事になった訳である。

(2006.3.19 岩手山)

祖母の入院している古く暗い町立病院は
他に誰もいないかの様に静まりかえり
階段を上り病室を探す私達からたつ音だけが響いていく。

もう食べる事も出来なくなった祖母は
寝ているか
交替で付き添う娘達に痛みを訴えるか
回診の先生に強がって痛みを見せないようにするか
それが精一杯との事だった。

その祖母が
「おたふくちゃんが来たよ~
の叔母の声に目を開け
自分の力で上半身を起こし
「遠いところよく来たね~、ありがとうございます」
「私は頑張って待っているから、夏にまた来なね」
「必ず頑張って待っているから」
と握手をした。

年を重ねるたびに小さくなっていく祖母が
入院して以来あってみると
二まわりも三まわりも小さくなり
目だけが大きく見え
かかえたら持ち上げることが容易な印象さえ受けた。

1週間ぶりに起き上がり
私としっかり対面し
私の懇願でまた横になり目を閉じる。

祖母の言葉
「夏にまた来て」

それは、お盆にお墓参りに来てね・・・
という意趣返しのような気がした。
後で母に聞いたら、母も同じ思いをしていた。

きっと祖母に会うのは今日が最後だろう。
祖母は精一杯の気力を振り絞って
ずっと来たくて来れなかった孫の私に
精一杯のお別れをしてくれたのを感じた。

もう、私の知っているいつもの祖母ではなかった。

その鬼気迫る様子は目に焼きついているのに
言葉にするのは難しい。

そして、鬼気迫る様子とは裏腹に
もう自由に動かすのが困難になってきたその手は
静かで軽く何の感慨も与えてくれなかった。

でも祖母は、全身全霊をかけて私に挨拶をしてくれた。
それだけは
目でなく胸の奥がズキッと痛んだくらい
心に直接激しく伝道した。



私が見たことがないくらい
古く暗い病院。

休日とはいえ、私達の他は誰もいないような静けさ。

母が言う
「おたふく、ここで生まれたんだよ」
「あの時は病院出来たばかりだった」

(病院って30年でこんなに時代から取り残され傷んでいくのかぁ)
(私も実はそうなっているの
(私が生まれた場所で祖母は消えていくのか・・・)

(雪の白樺自然林)

冬の岩手は地球温暖化の影響か
年々雪が少なくなり
思ったよりスムーズに行けた。

それでも福島の浜通りでは見れないほど
雪のある冬
というものを十分実感させてくれた。


雪は、夏にしか見たことのない景色を
すべてを包み隠して
全く別の風景を見せてくれる。

また冬に来たい
そう思わせてくれる。

帰路には雪の景色をずうっと目にうつしながらも
『祖母に会う』という待ち望んだ一つの事を済ませた安堵感と
最後になるかもしれない祖母の姿とが
心や頭や胸・・・体の中で入り混じり
自分の体が音の無い世界にピッタリと接触してしまったようだった。

そして、祖母という点と私という点が
日本という小さな国の中ながら
どんどんと離れていって
会いたくてもすぐに会えない距離がつくられていく淋しさがつのる。

(子供だったら泣いてしまうだろうなぁ)
(仕方がないんだよなぁって思って居られるって
      ちょっとは大人になっているんだよなぁ)
なんて事も思ったりした。

高速に乗って平行な景色が壁だけになり
ふと目を上げると
そこには意外なほど青い空と
眩しい位の白い雲があって
ちょっとくやしいけど
少し心が軽くなった。



続く

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8 コメント

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そういう感情 (電話番)
2007-04-03 22:52:33
ある意味羨ましい。
私は、親戚と疎遠なので、祖母や祖父が他界した時、
ちょっと知ってる芸能人の訃報と同じ感覚でしたもの。
そういう、感覚になったことがない。
寂しいヤツです
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似すぎ・・・ (おたふく)
2007-04-03 23:18:39
そう、血を分けたといっても
どこまでが身内かとかどこまでが親戚かとか
それはもう、人それぞれですよね・・・

ウチは父が母子家庭だったので
昔から近くも遠くも
たくさんの人が気にかけてくれて助けてくれたみたい
その結果
元々そういう付き合いの濃い田舎の中でも
家は特に親戚付き合いが多いし濃い方なのだと思いますよ

そしてこの母方の祖母にとって
私は初孫ですし
外孫としては唯一、長期滞在で子守に来たり
体型や顔や性格歩き方まで似てたりで
お互い親近感が強かったかもしれないですね
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老いゆくものを見送る (きつねのるーと)
2007-04-04 00:45:17
これは、一時的には辛いかも知れないけど…出来うるのなら生きて意識のしっかりとしている内にお逢いしたいもの。
おいらの場合、近年は気がつくと訃報になってしまうという事ばかり続いています。もしくは体は元気なんだけれども、認知障害を発症させてしまっていたり…。だから、訃報になる前に、意識がしっかりしている内に挨拶が出来る幸せは、羨ましいです。

ところで、この時期の岩手山は風情が有ってよろしいですね。何となく、盛岡の北側の町から見た眺めに似ているように見えるのですが…(おいらの母親の実家が盛岡なので岩手山には馴染みがあるのですよ)
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こんばんは☆ (りんご)
2007-04-04 22:48:24
 おひさしぶりです
 おたふくさんからのコメントがうれしくて来ちゃいました再開されていてうれしいです
 おたふくさんのお話を読んでいたら、祖母に会いたくなりました
 電話ではときどき話すんだけど、最近全然実家にも帰れてなくて
 次祖母に会えるのは、6月に教育実習で帰ったときか、夏休みか‥
 おばあちゃん孝行したいです
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ブログの更新嬉しいです! (ひなたけ)
2007-04-05 19:00:36
ご訪問ありがとうございました。
私もコメントが嬉しくてこちらに来ちゃいました

昨年の冬はおたふくさんにとって切ない冬だったんですね。
突然倒れた祖父の事を思い出して、私も切なくなりました。その時の想いがあるので、祖母には元気な内に出来るだけいろんな事をしてあげたいと思ってます(なかなか面と向かうと素直になれなかったりするのだけど)。
最後に泣かなかったおたふくさんは大人の女性だと思いました。
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きつねのるーとさんへ (おたふく)
2007-04-10 21:32:01
そうですね、私もそう思います。

やはり相手に愛情を感じているからこそ
意識のあるうち
それが無理なら
息をひきとる前には付き添って
最後の時を見守りたいですね・・・。

ちゃんとしたご挨拶をもらって
私も感謝しています。

どんな時でも
あの時を思えば背筋が伸び
祖母の気力を見習って
頑張らねば!という気力が出てきます


岩手山、ご明察です
母の実家へは東北道でいうと
『盛岡』を少し通り越し
『滝沢』まで北へ行ってから国道へ降ります
その後、いつも一度車を止め岩手山を望みます
おそらく渋民村あたりかな
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りんごちゃんへ (おたふく)
2007-04-10 21:37:41
お久しぶりです
早速遊びに来てくれて嬉しいです・・・
それなのに
イキナリ暗い話だったのが申し訳ないデス

お祖母さん、ご健在なのですね
きっと、りんごちゃんが時々帰るのを
とっても首を長くして待っているのでしょうね~

りんごちゃんが元気でいるのが
一番の家族孝行だと思いますよ
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ひなたけさんへ (おたふく)
2007-04-10 21:47:24
早速遊びに来てくれてありがとう
私もとっても嬉しいです

お祖父さんは突然倒れてしまったのですね・・・
何事も突然っていうのは
まわりが現実を受け入れるのに時間がかかりますよね・・・
お祖母さんは御健在のようなので
(面と向かうと素直になれないっていうとカナリ御元気?)
助手席に乗せ
女同士おしゃべりに花を咲かせて
一緒に出かけたりするのもいいかもしれませんね

私が大人かどうか・・・う~ん、この時には
「なんとかもう一度
    祖母が生きているウチに来たい」
「多分無理だろうけど
    最後の最後には一緒にいたい」
という先の事への気持ちが次から次へと湧いてきて
悲しみを感じる余裕が無かったのかもしれません
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