梛神社

2007-05-20 22:41:59 | KYOTO
ねねちんのお誘いを受け行ってきました。
この神社はねねちんの氏神さまらしいです。
小さい頃はいつもお祭りに行っていたそうです。

今日はかなり肌寒い日でしたが
子供たちは出店を物色し楽しんでおりました。





まずは梛神社について。

素戔嗚尊(スサノオ)を主祭神とし、
宇賀御魂命(ウカノミタマ)・伊弉冉命(イザナミ)
誉田別尊(ホムタワケ=応神天皇)などを配祀する。
平安時代前期876年、京都に疫病が蔓延した時、
播磨国広峰から牛頭天王(スサノオ)を勧請して鎮疫祭を行った。
その時、神輿を梛の林中に置いてお祀りした場所がこの神社の始まりらしい。
後に牛頭天王の神霊を八坂に祀って現在の八坂神社が創建されたとき、
梛の住民が風流傘を立て鉾を振り楽を奏しながら
神輿を八坂に送った事が祇園会の起源であるとしている。
このことからこの神社は「元祇園社」と呼ばれる。(Wikipediaより)


元々はこの神社で行われたことが祇園祭の発祥やったんやね。
へぇ~それはそれは興味深いですな。
剣鉾も出るらしいですわ。
私らは観ることはできませんでした。
維新姿の少年鼓笛隊がありました。
他にも笛や太鼓を持って行列するらしいです。
子供御輿もあり、お稚児行列もあり、馬もありの
なかなか見ごたえのある行列ですよ。
獅子舞もいて子供の頭をガブリとするらしいです。
行列を全部見れなかったのが少し残念でしたね。



 真ん中は御幣鉾




 四条通りで出発を待つ子供御輿

境内にはお社が二つ並んでおりました。


   向かって左が「梛神社」、右が「隼神社」

何で二つなん?
二人お祀りしてるんちゃうの?
ふぅ~ん。そうか。

こういう事は調べないと気がすまない私です(笑)
梛神社の右に並んで建つ隼(はやぶさ)神社は、
大正七年に蛸薬師坊城からこの地に移された、
梛神社と同じ疫病払いの神様。池の魚を守るため、
ハヤブサを神格化したことからこの名前がつきました。
江戸時代には隼は訛って「ハヤクサ」と読まれ、
そこから瘡の平癒に霊験ありとされるようになった


霊験アリって・・・(笑)
読み違いやのにそうなるんやな~凄いわ。
誰かここにお参りして治った人がいるんやろうね。




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