~白いぼうし~

2005-04-20 23:15:35 | 物語
「これは、レモンのにおいですか。」
ほりばたで乗せたお客のしんしが、話しかけました。
「いいえ、夏みかんですよ。」
信号が赤なので、ブレーキをかけてから、運転手の松井さんは、にこにこして答えました。
 今日は、六月の初め。
 夏がいきなり始まったような暑い日です。松井さんもお客も、白いワイシャツのそでを、うでまでたくし上げていました。
「ほう、夏みかんてのは、こんなににおうものですか。」
「もぎたてなのです。きのう、いなかのおふくろが、速達で送ってくれました。においまでわたしにとどけたかったのでしょう。」
「ほう、ほう。」
「あまりにうれしかったので、いちばん大きいのを、この車にのせてきたのですよ。」
信号が青に変わると、たくさんの車がいっせいに走り出しました。その大通りを曲がって、細いうら通りに入った所で、しんしはおりていきました。

 アクセルをふもうとしたとき、松井さんは、はっとしました。
「おや、車道のあんなすぐそばに、小さなぼうしが落ちているぞ。風がもうひとふきすれば、車がひいてしまうわい。」
 緑がゆれているやなぎの下に、かわいい白いぼうしが、ちょこんと置いてあります。松井さんは車から出ました。」
 そして、ぼうしをつまみ上げたとたん、ふわっと何かが飛び出しました。
「あれっ。」
 もんしろちょうです。あわててぼうしをふり回しました。そんな松井さんの目の前を、ちょうはひらひら高くまい上がると、なみ木の緑の向こうに見えなくなってしまいました。
「ははあ、わざわざここに置いたんだな。」
 ぼうしのうらに、赤いししゅう糸で、小さくぬい取りがしてあります。
 「たけやまようちえん たけの たけお」
 小さなぼうしをつかんで、ため息をついている松井さんの横を、太ったおまわりさんが、じろじろ見ながら通りすぎました。
「せっかくのえものがいなくなっていたら、この子は、どんなにがっかりするだろう。」
 ちょっとの間、かたをすぼめてつっ立っていた松井さんは、何を思いついたのか、急いで車にもどりました。
 運転席から取り出したのは、あの夏みかんです。まるで、あたたかい日の光をそのままそめ付けたような、見事な色でした。すっぱい、いいにおいが、風で辺りに広がりました。
 松井さんは、その夏みかんに白いぼうしをかぶせると、飛ばないように、石でつばをおさえました。

 車にもどると、おかっぱのかわいい女の子が、ちょこんと後ろのシートにすわっています。
「道にまよったの。行っても行っても、四角い建物ばかりだもん。」
つかれたような声でした。
「ええと、どちらまで。」
「え。―――ええ、あの、あのね、菜の花横町ってあるかしら。」
「菜の花橋のことですね。」
 エンジンをかけたとき、遠くから、元気そうな男の子の声が近づいてきました。
「あのぼうしの下さあ。お母ちゃん、本当だよ。本当のちょうちょがいたんだもん。」
 水色の新しい虫とりあみをかかえた男の子が、エプロンを着けたままのお母さんの手を、ぐいぐい引っぱってきます。
「ぼくが、あのぼうしを開けるよ。だから、お母ちゃんは、このあみでおさえてね。あれっ、石がのせてあらあ。」
 客席の女の子が、後ろから乗り出して、せかせかと言いました。
「早く、おじちゃん。早く行ってちょうだい。」
 松井さんは、あわててアクセルをふみました。やなぎのなみ木が、みるみる後ろに流れていきます。

 「お母さんが、虫とりあみをかまえて、あの子がぼうしをそうっと開けたとき―――。」と、ハンドルを回しながら、松井さんは思います。「あの子は、どんなに目を丸くしただろう。」
 すると、ぽかっと口をOの字に開けている男の子の顔が、見えてきます。
「おどろいただろうな。まほうのみかんと思うかな。なにしろ、ちょうが化けたんだから―――。」
「ふふふっ。」
ひとりでに笑いがこみ上げてきました。でも、次に、
「おや。」
松井さんはあわてました。バックミラーには、だれもうつっていません。ふり返っても、だれもいません。
「おかしいな。」
松井さんは車を止めて、考え考え、まどの外を見ました。
 そこは、小さな団地の前の小さな野原でした。
 白いちょうが、二十も三十も、いえ、もっとたくさん飛んでいました。クローバーが青々と広がり、わた毛と黄色の花の交ざったたんぽぽが、点々のもようになってさいています。その上を、おどるように飛んでいるちょうをぼんやり見ているうち、松井さんには、こんな声が聞こえてきました。
「よかったね。」
 「よかったよ。」
「よかったね。」
 「よかったよ。」
それは、シャボン玉のはじけるような、小さな小さな声でした。
 車の中には、まだかすかに、夏みかんのにおいが残っています。




長女の小学四年生の国語の教科書に載っていたお話です。
作者はあまんきみこさん。どこかで聞いたことのある名前だなと呟くと、すかさず長女が
「ちいちゃんのかげおくり」を書かはった人と教えてくれました。
「ちいちゃんのかげおくり」というのは
夏のはじめのある朝、小さな女の子のいのちが、空にきえました。
--悲惨な戦争の中に幼い命をとじた女の子の姿を、静かに描いた作品です
読んでいても、表現が可愛いらしいだけに内容を考えると切ない話でした。

今回の「白いぼうし」ですが、これは心がフワっとするお話ですね。
娘の前で目で読んでいたのですが、途中、団地の前の小さな野原に
白いちょうがたくさん飛んでいる風景を想像していたとき、
急に「あっ」と声を出してしまいました。
娘は「どうしたん?!」と聞きましたが、この小さな感動を自分で感じて欲しいと思い、
「あっ」の答えは言いませんでした。その後娘に読み聞かせた後、私の「あっ」の意味が
わかったかどうか尋ねましたが、「わからん」とのこと。
女の子の行方を聞くと「降りたんとちがう?」とか「幽霊やな」という答が返ってきました。
幽霊・・・ほんのちょっと私も思ったけどね(笑)

う~ん。わかってくれなかったのね
でも、可愛いお話ですよね

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1 コメント

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すてきな話やね~ (りりあん)
2005-04-22 19:48:39
少し前に読了した

「一月物語」という

平野啓一郎さんの小説がね、

作品世界はぜんぜん違うけど

ちょっぴり似た「ちょう」の

使い方してた。



主人公は若い詩人なんだけど、

竜也さんに脳内変換して

読みました♪
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