旅してマドモアゼル

Heart of Yogaを人生のコンパスに
ときどき旅、いつでも変わらぬジャニーズ愛

短編集「Loving YOU~虜~」

2011-06-22 | 管理人著・短編集(旧・妄想劇場)

 その美しい青色を目にした時、昔訪れた岩手県の鍾乳洞の地底湖を思い出した。透明度は高いのに、洞内に満ちた水源は深い青色に輝いていた。いつまでも見つめていると、その無限とも言える青の世界に永遠に引きずり込まれてしまうような気がして、私は畏怖を覚えながら同時に、目がくらむような陶酔をも感じていた。

 福岡での4日間の出張を終えて、午後のフライトで東京に戻り、会社には立ち寄らず地元の駅に着いた時には、夕暮れが色濃くせまっていた。駅から続く商店街を、ガラガラと音を響かせてキャリアーを引きながら、私は早足で家に向かっていた。その時、目の端にその鮮やかな青が止まったのだ。
 私は、花屋の店先に並んだ紫陽花の鉢植えに近づいた。
 淡いピンクやブルー、白といった優しい色あいの紫陽花の中で、その青は小ぶりながら一際目立っていた。濃い青色の萼が、小さな薄紫色の花の固まりを、まるで自分たちが主役であるかのように鮮やかな色彩で縁取っている。
 実家の庭に咲く薄藍色の山紫陽花を思い出しながら、私はしばらくその花に魅せられていた。
 「おまけしましょうか」
 不意に声をかけられて、私はビクッと顔を上げた。
 閉店の時間なのかもしれない。店の表に置いてあった鉢植えを手にした花屋の店員が、にこやかに私を見ている。
 「いいんですか?」
 「山紫陽花はこれが最後の1つですし、もうシーズンも半ばですから、おまけしますよ」
 自宅用だからと簡単に包んでもらった鉢を片手で抱え、もう片方の手でお土産の入った手提げ袋を持ちながらキャリアーを引いて、私はシャッターが下り始めた商店街を後にした。

 彼から電話があったのは、出張3日目の夜、ちょうどホテルのベッドにもぐり込んだ時だった。
 ― 明日、何時に帰ってくるん?
 イベントは今日で終わっていたが、明日はクライアントへの挨拶と、別のイベント会場の下見と打ち合わせがある。午後の早い時間に終わるはずだが、時間に余裕を見て、夕方の便を取っていた。その時間を彼に伝えてから言った。
 「会社に戻る予定はないから、うちに着くのは7時頃かな」
 ― 7時。夜の。
 うん、と答えながら思わず吹き出しそうになった。朝の7時までに、どうやって福岡から帰ってくると言うんだろう。
 ― なあ、そしたら明日、夕飯デリバリー頼まへん?
 「私、作るよ」
 ― 出張から帰ってから作るとか疲れるやろ。ピザとか頼も。
 私は彼の申し出をありがたく受けることにした。ピザのオーダーは任せるね、と言いながら、明日はうちに泊まっていくのかな?と期待が胸を過ぎる。
 彼とはもう10日以上会っていない。時々、電話で話すことはあったし、テレビで彼の姿を見ているからか寂しさは感じない。けれど、一人眠りにつく夜が長く続くと、ふと恋しさが募り、胸がいっぱいになって息苦しくなることがある。
 明日の夜には久しぶりに彼に会える。
 受話器越しに彼の声を聞きながら、体の内側から熱くなっていくのを止められなかった。明日、彼を目の前にしたら私はどうなってしまうんだろう。

 鉢植えとキャリアーと手提げ袋を両手にドアを開けるのは、ちょっと難儀だった。彼がもう来ているといいんだけど、と思いながらインターホンを押した。期待は裏切られることなく、中で気配がしてドアが開いた。
 「おかえり」
 パジャマ姿で出てきた彼の笑顔が私を出迎える。
 こういう時、なぜアイドルの彼が当たり前のように私の前にいるんだろうと、時々不思議な気分に包まれる。
 「ただいま」
 笑顔で返した私に、彼は私が抱えている紫陽花の鉢植えを指差した。
 「どしたんそれ?博多で買ったん?」
 「なんで博多で紫陽花?博多のお土産いったら明太子に決まってるでしょ」
 と、私は手提げ袋を掲げた。
 「えっ明太子?うっわ、ピザなんか頼むんじゃなかったあ」
 後悔を口にした後は、熱々の白いご飯で明太子食べたいわあ、なんでそれ先に言わんの?と文句を言いながらも、鉢植えとキャリアーとお土産までも中へ運んでくれた。
 途中、あっそうやと、彼はバスルームのドアの前で立ち止まる。
 「お風呂、沸いてるから入ったら。疲れ取れるで」
 「あ……ありがと」
 「着替えも置いてあるから、良かったらどうぞ」
 と言いながら、彼はバスルームのドアを開けて私を促した。
 「着替え?」
 「適当に選んだだけやけど……どうぞ」
 気づくと私はバスルームに押し込まれていた。着替えを入れるバスケットの中には、たしかにお気に入りのパジャマが入っている。私はどことなく奇妙な違和感を覚えながら、それでもせっかくの好意に甘えて、お風呂に入ることにした。

 紫陽花の鉢植えは窓の近くに置いてあった。その手前で、彼がピザの箱を開けている。お風呂から上がったばかりの私は彼に、ねえと声をかけた。
 「ん?」
 「……下着が入ってなかったんだけど……」
 彼は表情を変えずに、私を上から下まで見て言った。
 「着てないなんて、わからんからええやん」
 「そういうことじゃないでしょ!」
 「だって、下着とか探すん恥ずかしいもん」
 「もう、半端に用意するくらいならしなきゃいいのに」
 と、下着を取りに寝室に向かおうとした私の手を、彼が慌てて掴んだ。
 「ええやろ。どうせ後ですぐに脱ぐんやから」
 言ってから、自分の言葉に照れた彼の白い顔がみるみる赤くなる。あからさまに言われた私の方が、赤面どころではなかったけれど。
 「覚めてまうから、先にピザ食わへんか」
 彼が私の手を引いて、自分の隣に座らせた。湯あたりしたわけでも、酔ってるわけでもないのに、今の彼の言葉の意味に頭の中がボーっとしてしまって、美味しそうなピザを目の前に、食欲さえどこかへ消えている。
 おつかれ、という彼の声が耳元でして、たまらなくなった私は、次の瞬間、彼にキスをした。彼の唇から離れた時、窓辺の青い紫陽花が目に入った。
 「なんやいきなり。食べる方を間違っとるで」
 彼が真面目な顔で言う。
 「そっちが悪いんだから」
 「何が」と彼はピザを口に運ぶ。
 「言わんでもいいこと言って」
 「俺、なんも言うてないで」
 「ふうん、じゃあ、あれは空耳だったのかな」
 「そうやろ。腹減って幻聴が聞こえたんちゃうか」
 わんぱく小僧みたいに、ピザをモグモグ美味しそうに食べながら、ビールを飲んでいる。そんな彼を見ていたら、私も食欲が出てきて、ピザに手を伸ばした。
 「明太子、冷蔵庫に入れといたから」
 「ありがと」
 「明日、午後から仕事やから、朝ご飯食うてくわ」
 「わかった」
 当たり前のように応えてから、あまりにも所帯じみた会話に可笑しくなった。つい数分前まで、私たちの間に漂っていたはずの、あの甘い雰囲気はいったいどこに行ってしまったのやら。
 その後、私たちは話しもせず、黙々とピザを食べ、ビールを飲んだ。ピザが残り2枚になって、暗黙のうちにそれぞれ1枚ずつ手にした時、彼がようやく言葉を発した。
 「俺な……」
 「うん」
 「今より、もちょっと忙しくなる」
 「仕事?」
 「おまえ、仕事以外で俺の何が忙しくなるねん」
 「そっか」
 「しばらく、会えんくなるかも」
 私は彼に顔を向けた。
 「仕事?」
 私の二度の同じ質問に彼が口をとがらせた。
 「だから仕事以外に何があるっちゅうねん」
 「間違えた。新しいお仕事?」
 「おん」
 「何の?」
 「それは内緒」
 そう言ってニッコリ笑う。仕事に関しては、彼は本当に口が堅い。もちろん、彼のそういう律儀な所が好きなのだけれど。
 だけど、会えなくなるって、どれくらいの間なんだろう。2週間くらい?1ヵ月?2ヵ月?それともそれ以上?
 まだ彼が目の前にいるというのに、不意に喪失感が漣のように胸に押し寄せ、息が詰まりそうになった。でも、努めて何気ない風を装って、なんとか言葉を口に出す。
 「そっか。じゃあ公式発表があるまで楽しみにする。頑張ってね」
 喉元まで出かかっていた「今度はいつ会えるの?」という言葉を、最後のピザと一緒に飲み込んだ。
 忙しいのはお互い様だ。それに仕事をしている時の彼は、どんな時より活き活きとして輝いて見える。それに満足出来なければ、彼とは付き合いきれない。
 空になったピザの箱を捨てようと立ち上がろうとした時に、彼がまた私の手を掴んだ。
 「そんなん明日でええよ。時間もったいないやろ」
 彼は私の手を握ったまま立ち上がった。
 「あのな、今から連れて行きたいとこがあんねん」
 「え?今から?」
 「ちょっ目えつぶって」
 その時、自分がパジャマの下に何も着ていないことを思い出した。
 「え、どこ行くの?こんな……こんな無防備な格好じゃ私、ヤダよ」
 「大丈夫やから。ほら早よ目つぶって」
 大丈夫ということは、外に行くわけではなさそうだ。まあ、彼もパジャマ姿なわけだし、普通に考えれば外に出るはずがない。目をつぶった私に彼が言う。
 「薄目とかしてへんか」
 「してないよ」
 「じゃあ、こっち」
 私の手を握る彼の手の温度を心地良く感じながら、彼に促されて歩き出す。歩いてすぐに、ドアがカチリと開く音がした。目的地は寝室か。
 「まだ目開けたらアカンで」
 視覚以外の感覚が鋭くなっているのか、中に入る前に部屋から漂ってきた香りに気がついた。この香りは知っている。バリ島のホテルやヴィラで、フレグランス代わりに使われているイランイランの花の香りだ。アロマか香でも焚いてるのかしら。
 彼が私の手を放しながら、まだやでと声をかける。私の後ろでドアが閉じられた。
 「なんかドキドキするんだけど」
 「もうすぐやから、ちょっと待って」
 彼の声が少し離れた所から聞こえてきた。同時に、暗かった部屋に電気を点けたのか、部屋がほんのりと明るくなったのが、目を閉じていてもわかった。
 「開けてええよ」
 ゆっくりと目を開けた私は、自分の目を疑った。私がよく知っているはずの寝室の様子が一変していた。まず、今まで使っていたシングルベッドからダブルベッドに変わっていた。が、変わっていたのは大きさだけではない。ベッドの周りに巡らされた白い蚊帳が、間接照明の灯りに照らされて、柔らかい光を反射している。
 蚊帳伝いに天井に目を向けると、そこにあった照明器具の代わりに、木製のシーリングファンがゆっくりと回っている。次いで、部屋全体を見回すと、東南アジアを思わせる置物が、本棚やローチェストやライティングデスクの上に置かれていて、これも間接照明や蝋燭の灯りでライトアップされている。
 「すごいやろ」
 いつの間にか隣にきていた彼の声に頷いて言った。「素敵」
 「コンセプトはバリ島のビラやな」
 それを言うなら、ビラではなくヴィラだと訂正する気はまったくなかった。彼がこれをビラだと言うなら間違いなくビラなのだ。
 「いつの間に……」
 「おまえがおらんかった間、自由にやらさせてもろた」
 でも、こんなこと、たかだか3、4日の思いつきで出来ることじゃない。彼のことだからサプライズのプランは、たぶんもっと前から準備をしていたはず。
 ベッドに近づいて、蚊帳に触れてみる。その決して安物ではない手触りの良さに、彼のセンスが表れていた。ベッドリネンも一見しただけで質のいいものだと分かる。忙しい中、これだけのものを探す時間と労力を割きながら、本人はいたって平然としている。まるで、こんなことは指一本動かせば魔法みたいに出来るとでも言うように。
 彼が反対側からベッドに入って寝転がったのを見て、私も蚊帳をくぐって彼と並んで横になった。
 「ベッド、広いね」
 「あらためて2人で並ぶとそうやな。余裕あるな」
 私の手に彼の手が触れて、トントンと叩く。
 「なあ、バリ島に旅してる気分になれるやろ?」
 「うん。私の部屋じゃないみたい」
 「そしたら」彼が私の手をきゅっと優しく握りしめた。「ひとりん時でも一人旅してる気分になれるよな」
 首をまわして彼を見た。
 これは、彼流の気まぐれなサプライズだとばかり思っていたのに、本当に、なんて繊細で、他人の気持ちに敏感な人なんだろう。こみ上げてきた愛しさに、胸がきゅうと締めつけられた。
 私の視線に気づいたのか、端正なその横顔がこっちを向いた。そして、黙って、私を抱き寄せた彼の肩口に頬を押しつけながら、私はまた、あの鍾乳洞の深く青い地底湖を思い出す。
 彼の不在を怖れるようになるほど、私は深みにはまってしまっているのかもしれない。彼の世界に魅せられ、繋ぎ留められ、虜になって。どこまでも辿り着くことのない、終わりの見えない不安を凌駕するほど、私を甘く優しく包み込む世界の虜に。

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いやあ、今日もめちゃめちゃ暑かったですね
うっかり日傘とサングラスを忘れてきて、田端周辺を歩きながら、このまま足から溶けてしまうのではないかと思いましたていうか日焼けがコワイですね~
でも、なんだかんだ言うても、明るい陽射しの下、歩くのは嫌いじゃないです。だって、もともと夏の太陽が大好きですからー

さて、今回の作品は前回の短編からの続き、という流れになってます。
久しぶりに二人だけの世界で書いてみましたが、いかがでしたでしょうか。
前回、書いてから間がないので、今月はもう短編を載せる予定はなかったんですけども、庭の紫陽花を見ていたらふと話を思いついてしまって、しかも、執筆中に映画出演の話題が正式に発表になったので、その前の話、ということで、修正しながら急ピッチで書き上げました。なので、なんとなく、雑な感も否めなくない…

ちなみに、話の中に出てきた岩手県の鍾乳洞というのは、ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、岩泉にある「龍泉洞」のことです。
あの震災でも、なんと洞内に被害はなかったそうです。自然が作り出したものの強さって、すごいですね。
ただ、ここの一番の見どころと言ってもいい美しい地底湖は透明度が落ちているそうです。あの美しいコバルトブルーの輝きが失われているのかと思うと、残念でなりません。
でも、自然の浄化力というのはあなどれませんからね。きっと、また美しい青い世界に戻る日が来ると信じています。