旅してマドモアゼル

Heart of Yogaを人生のコンパスに
ときどき旅、いつでも変わらぬジャニーズ愛

第17回  瞳 ~ eyes ~

2009-06-21 | 円熟途上エッセイ「桃色の独り言」
なんだかあっという間に6月も下旬に入ろうとしてますね

「セミナー」の千秋楽から、もう1週間も経ってしまってるし…

今日は岡田君の映画「おと・な・り」を恵比寿まで観に行く予定だったんだけど、相方のMさんが昨日から体調を崩してしまいまして延期となりました。

まあ、あいにくのお天気だったし、いいんじゃないかと、私もそのまま家の中でぐだぐだ過ごしてました(笑)
でも、ぐだぐだ過ごすのもなんだかなと、今週には今月の「Myojo」が発売されるので、今回はちょっと早めにエッセイを出そうぢゃないかと、今日の午後からがんばって書きあげました。

がんばって、と言いつつ、今回は比較的書きやすいテーマでした。大して悩むことなくサクサクッと書けてしまいました。
その分、あんまり中身がないかもしれないけど(笑)

中身がない分、お気軽に感想などお聞かせいただければと思います。


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目は口ほどにものを言い、と言うが、人と話すときに私は大抵、相手の目を見ていることが多い。
相手の目を見て、その表情を見ながら話す方が気分的に楽なので、実は相手の表情が見えない電話がニガテだったりする。話し始めたら普通に話せるが、それでも声だけで、相手の今の状態や感情などの情報を耳ひとつで拾い上げて判断するのは、私にとってちょっと大変な作業なのだ。(笑)
なので、今では携帯に当たり前のように機能としてついているテレビ電話は私向き。と言いつつ、あまり、いや、ほとんど使ったことがないのだけれど、待ち合わせの時とかに使ってみたい。「今、ここで待ってまーす」と後ろの景色を写しながら使うと便利なんじゃないかな。「もう早く来てよォ。プンプン」と笑顔で怒ったフリなんかもしてみたい。(てか、そんなブリブリをいったい誰を相手に?)
といって、テレビ電話があまり普及するのも困り者。早朝の電話に寝起きの格好では出たくないし、いつどんな時に誰から電話がかかってくるか分からないので、そうそう気が抜けた格好が出来なくなってしまう。

それにしても、女性向けのファッション誌には、いかに目を大きく見せるかという特集が多い。
しげのエッセイにもその話が出てきたが、私もその「流行」に乗り遅れまいと、自分の目をパッチリ、瞳を大きく見せる工夫に日々余念がない。特に、コンサートの時とか、好きな人の舞台を観に行く時とか?(笑)
去年、NEWSのコンサートのために(というか、しげのために)、まつげのエクステをしたが、今はアイラッシュ(つけまつげ)を3、4種類そろえて愛用している。ちなみにマスカラは、「夜までぜったい落ちない!」はずのマスカラが、私の場合、なぜか午後には落ちてしまうので、今はぜんぜん使っていない。あとはそうだな。アイラインも欠かせないか。
そして、コンサートの時や舞台の時しか使わないけれど、コンタクトも。瞳よりちょっと大きめに縁取ったカラーの入ったコンタクトを使っているのだけれど、目の大きさとかそんなものは、しげのエッセイを読む限り彼にとっては「どうでもいいこと」らしい。まったく、人の気持ちを知らないヤツなんだから。(笑)

そんなしげの瞳は正統派アイドルらしく二重でパッチリ。本人はそのパッチリした目が、頭が悪そうに見えることがあるといって、切れ長のすっとした目(といっても、けーちゃんの目ではない)に憧れているようだが、その大きな瞳でたくさんの感情を表現できる彼の目が私は大好きだ。
舞台に立つ彼の目は、ライティングの影響もあるのかもしれないけれど、いつもきらきら輝いていて、思わず見とれてしまう。でも、そのきらきらの中に、喜びや悲しみや怒りといった感情を宿す時、見ているこちらがどっきりするほど、説得力のある表情を見せてくれる。

そんな綺麗な目でも、その目に映るものが常に綺麗だとは限らない。
しげもエッセイの中で書いていることだが、今の世の中には汚いものがあふれていて、それから目を逸らして生きていくことなど不可能に近い。しかし、たとえその目に入ってくるものがどれほど汚いものでも、それによって自分の心の目が曇ることさえなければいいと私は思う。
だから、私は美しいもの、綺麗なものを積極的に目にして心の目を癒し、そして時々、心の目が曇らぬよう押し寄せる感情に任せるまま、あふれる涙で瞳を洗う。

「セミナー」はまさにそんな場所だったよ、しげさん。