昨日ニュースで北朝鮮の映像を流してた。
場所は日本海に面する・・・(忘れた)港町の日常の風景だった。
それは驚く内容だった。
露店が並ぶ市場のようなところ。
飢えた家のない子供達(コッチョビと呼ばれる)が徘徊し、食べるものを探してる。
彼等には足が無い松葉杖の子供が多い。その理由は、寒い所で寝ると足の先から腐ってしまう。
腐ってしまうと切るしかなくどんどん短くなっていくというのだ。
信じられない。
衝撃的なのは、人が往来する道ばたに子供が仰向けに寝ていた。
その子供は、死んでいた。
それもそんなに時間がたっていない。通りに人はたくさん居るが、その人たちは全く無関心。
かたづけられるわけでもなく、放置されている。
死因は餓死なのか解らなかったが、それが日常の風景だという。
韓国に亡命した元北朝鮮の人はいう。
子供たちを2~3人なら助けられるが多すぎて無理だと。自分達だけで精一杯だからと。
これが現実である。
それに比べ、なんと日本の平和なこと。
日本では最近、いじめで自殺する子供達がクローズアップされている。
自殺予告までが話題になり、関係者が右往左往してる。
ほっとけ!といいたい。
死にたいやつは死なせろ。
自殺は逃避である。
一番の親不孝が「自殺」ではないか。
そして、いじめた人間に対し、一種の報復にもなるのだ。
そこに一種の、「ずるさ」を感じる。
死ねば、可哀想という事で贔屓目に考えられる傾向がある。
昔と違って、いじめが陰湿になり、手を差し伸べる必要があるかもしれない。
飢えで死んでいくコッチョビと比べると、いじめで自殺する日本の子供は贅沢とさえ感じる。
日本では、北朝鮮に23品目の「ぜいたく品」の輸出を禁止した。
これで困るのは、キム・ジョンイルと一部の特権階級だという。
だから、一般の人達に影響はないと。
キム・ジョンイルは、自国の飢餓状態を知っていて、対策を講じられないでいる。
それとも知らされていないのか。
裸の王様状態なのか。
国の権力者として、忸怩たる思いはないのだろうか。不思議でならない。
場所は日本海に面する・・・(忘れた)港町の日常の風景だった。
それは驚く内容だった。
露店が並ぶ市場のようなところ。
飢えた家のない子供達(コッチョビと呼ばれる)が徘徊し、食べるものを探してる。
彼等には足が無い松葉杖の子供が多い。その理由は、寒い所で寝ると足の先から腐ってしまう。
腐ってしまうと切るしかなくどんどん短くなっていくというのだ。
信じられない。
衝撃的なのは、人が往来する道ばたに子供が仰向けに寝ていた。
その子供は、死んでいた。
それもそんなに時間がたっていない。通りに人はたくさん居るが、その人たちは全く無関心。
かたづけられるわけでもなく、放置されている。
死因は餓死なのか解らなかったが、それが日常の風景だという。
韓国に亡命した元北朝鮮の人はいう。
子供たちを2~3人なら助けられるが多すぎて無理だと。自分達だけで精一杯だからと。
これが現実である。
それに比べ、なんと日本の平和なこと。
日本では最近、いじめで自殺する子供達がクローズアップされている。
自殺予告までが話題になり、関係者が右往左往してる。
ほっとけ!といいたい。
死にたいやつは死なせろ。
自殺は逃避である。
一番の親不孝が「自殺」ではないか。
そして、いじめた人間に対し、一種の報復にもなるのだ。
そこに一種の、「ずるさ」を感じる。
死ねば、可哀想という事で贔屓目に考えられる傾向がある。
昔と違って、いじめが陰湿になり、手を差し伸べる必要があるかもしれない。
飢えで死んでいくコッチョビと比べると、いじめで自殺する日本の子供は贅沢とさえ感じる。
日本では、北朝鮮に23品目の「ぜいたく品」の輸出を禁止した。
これで困るのは、キム・ジョンイルと一部の特権階級だという。
だから、一般の人達に影響はないと。
キム・ジョンイルは、自国の飢餓状態を知っていて、対策を講じられないでいる。
それとも知らされていないのか。
裸の王様状態なのか。
国の権力者として、忸怩たる思いはないのだろうか。不思議でならない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます