Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

ピアノ・レッスン

2008-02-20 | 外国映画(は行)
★★★★★ 1993年/オーストラリア 監督/ジェーン・カンピオン
「静けさと熱情が融合した見事なラブストーリー」


映画って、不思議だ。以前、観たときはサッパリピンと来なかったけど、年取ると見方が変わる。3度目の鑑賞で、この作品の持つエロチシズムに開眼。ラスト10分の驚きの展開からエンディングにかけて、身を切るような切なさと幸福感に包まれて、実に満ち足りた思いで見終わった。すばらしい。

主人公エイダは、口がきけない。そして、子持ちの未亡人。ピアノを弾くことは、自分の表現行為の全て。そんな彼女がスコットランドから遙か遠くのニュージーランドの小島に嫁入りしてくる。夫が欲しいのは貞淑で従順な妻。彼は彼女からピアノを取り上げようとする。

以前観たときはこのピアノを取り上げられようとした時のエイダの抵抗が、ワガママ女がダダをこねているように感じられたのだった。しかし、今度は違う。言葉を発することのできないエイダの怒りが伝わってくる。そう、エイダはピアノを取り上げられて怒りの表情を見せる。嘆きや悲しみではなく、怒り。「口がきけない」=静かでおとなしい女性という先入観が以前観たときはエイダという女性を私に正しく見せることを邪魔したのかも知れない。本当は、プライドが高く、情熱的なエイダ。そんな彼女がマオリ族の血を引く男、ベインズに惹かれていく。

ピアノを拾ったベインズに返して欲しいと迫るエイダ。じゃあ、ピアノレッスンをしてくれたら、鍵盤を1本ずつ返してあげよう…。さあ、ここから始まるんですね。ふたりの駆け引きと、恋が。ピアノを弾くエイダの肩に触れる。ピアノの下に潜んでエイダの足を眺める。そんなベインズの行為にだんだん心揺さぶられるようになるエイダ。レッスンを行う一連のシーンの何とエロティックなこと。しかも今回、私はこのベインズを演じるハーベイ・カイテルにすっかりやられてしまった。だってね、このベインズという男は外見で惹かれるようなところはないわけです。しかしながら、控え目なんだけども秘めたる熱い思いがすごく伝わってくる。最も印象的なのは彼が裸になってエイダを迎えようとするシーン。中年男のたるんだ肉体を敢えてさらし、かつそこにエロスを与えることができる、ジェーン・カンピオンの力量を感じます。

ピアノという存在を介して育まれていくふたりの愛。秘めねばならぬもの、語ることができぬもの故に、それは心の中の熱情となって二人を包み込む。美しいピアノの調べとその爆発させたいほどの思慕が見事に融合していく様が、本当にすばらしい。

二人の関係が夫にばれてからは、物語はどんどん悲劇に向かって突き進み、ベインズへの愛を語れぬエイダのやり切れなさが我々を突き刺す。そして、作品に一貫して流れる悲劇的なムードが、つらいエンディングを予感させる。そうして、一転、愛に満ちあふれたラストシークエンスへ。
幸福感で涙が出る映画、久しぶりでした。