Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

グアンタナモ、僕達が見た真実

2008-02-03 | 外国映画(か行)
★★★★☆ 2006年/イギリス 監督/マイケル・ウィンターボトム 、マット・ホワイトクロス
<イギリス在住のパキスタンの青年たちが、テロリストの容疑者として2年以上もの間、無実の罪でグアンタナモ米軍基地に拘束された事件を基に作られた真実の物語>

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「世界の矛盾と折れない心」


見終わって打ちのめされました。事件そのものにもですが、この作品が提示する問題について、私自身が語る言葉を何も持っていない。そのことに何より打ちのめされました。無知は恥ずべきことでしょうか。YES。この作品を見て、「知ろうとしないこと」と「知らされていないこと」は、ほぼ同義なのではないかとさえ感じるのです。

友人の結婚式に出るため母国に帰ってきたのにテロリストとして拘束され、遙か遠くのキューバのグアンタナモに収監、非人道的な取り調べや尋問を受ける3人。戦場シーンはイラクで撮影され、収容所は本物そっくりのセットを設営したということですが、その徹底的なリアリズムの追求が見事に作品の緊迫感に結びついています。

尋問のシーンなど本物ではないかと錯覚してしまうほどリアルです。適当なテレビ映像を持ってきて「ほら、ここにおまえが映っているだろ!」と強要し、証拠をねつ造しようとするシーンは、怒りよりもやり切れなさが先立ちます。こんなにも無駄なことにアメリカは人も金もつぎ込んでいるのか、と。

しかしながら、この理不尽な環境下においてなお、拘留された3人が「俺は何もしていない!」と前向きに自己を保ち続けるエネルギーにも心打たれます。本作が、グアンタナモの在り方を問うだけなく、「折れない心」をしっかりと描き出していることが、作品としての大きなパワーになっている。これは実に大切なことだと感じるのです。

つまり、世の中には不条理なことはたくさんあって、それを描き出す映画ももちろん多いですが、見終わってむなしさだけが残るのではなく、生きようとする力の強さ、前向きに己を保ち続ける意義を同時に見せるというのは、なかなか困難なことだと思うからです。

私はこの作品を見た後で「グアンタナモ」について調べました。なぜキューバに米軍の基地があるのか、なぜ半永久的に拘束するというような理不尽なことが可能なのか、米軍はここで何をしているのか。どうか、みなさんもこの作品を通じてグアンタナモとは何のシンボルなのか、自分なりの答を見つけて欲しい。

そして誰しもこの3人のような境遇に陥ってしまう可能性はある。だから月並みな言い方ですが、ひとりでも多くの人に見て欲しい。それがこの作品を語るにもっともふさわしい言葉。いや、無知なる私が胸張って言える唯一の言葉なのです。