Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

3-4x10月

2008-02-19 | 日本映画(さ行)
★★★★★ 1990年/日本 監督/北野武
「間の才能」


原案・脚本・監督全て北野武メイド。本来の意味では、これが監督デビュー作と言える本作。実に面白いです。もちろんサスペンスやエンタメ映画を見て「あ~おもしろかった」という「面白い」ではございません。やはりこれは北野武にしか作り出せない面白さ。しかも、出演者のほとんどが「たけし軍団」。演技という演技は、全くと言っていいほどない。それでこのような映画が作れるのだから、全く演技って何だと叫びたくなる。

「HANA-BI」でも書いたけど、「間」の使い方がうまい。もう、ほんとそれに尽きる。タイミングと長さが絶妙。例えば、ぶんぶんとバットを振っているだけのシーン。それが、やけに長いと何かが起きるのかなと言う期待が生まれる。例えば、バットが飛んでいっちゃうのかな、とか、ボールがどっかから飛んできて頭に当たっちゃうのかな、とか。ところが、何も起きなくて突然ぱっと違う画面になってしまう。そこで観客は裏切られたような感触が残るのだけど、それはバットを振っているという映像と共にしっかり心に焼き付いていて、「バットを振る」という行為に何か意味があるのだろうか、という考えにまで及んでいく。「間」のもたせ方ひとつで、こんなに観客の感じ方に奥行きが出せるところに、北野武の才能があるんだと私は思っている。

主人公は、柳ユーレイ。その他、比較的出演シーンの多いのが、ガダルカナル・タカとダンカンなのだが、この3人の演技が非常にいい。それは「演技している」とはおよそ言えたものではない。セリフは棒読みだし、でくのぼうみたいに立ってるし。だけども、武が描き出す世界の雰囲気にぴったり合っている。たぶん、監督による表情の切り取り方がうまいのだと思う。人物はバストアップで捉えた画面が多く、語り手は手前で映っておらず、ぼんやり話を聞いているダンカンだとか、ユーレイの間抜け顔が映っているだけなのだけど、やはりその間抜けな雰囲気に独特の「間」が存在していて、どうしても画面に引きつけられる。ぼんやりしたムードなのに、画面に吸い寄せられてしまうという感覚も、これまた北野武ならでは。

目の前では実に直接的な暴力が描かれているにも関わらず、全体のトーンはあくまでも一定で、波風が立たない。しかし、だからこそ、ドキッとするんですね。ピストル出して、何かセリフ言って、ツカツカ歩いていって、と言う暴力描写は、観客に対して「さあ、これから始まりますよ」と教えてあげているわけだけども、北野武はそうやって観客を甘やかしたりしない。予告もなければ、余韻もない。撃たれたら、もんどり打って苦しんで死ぬまでのたちうちまわるようなこともない。ゆえに暴力のリアリズムが際だつ。

さて、沖縄のインテリヤクザとして、豊川悦司が出演。彼は今までの役者人生で最も大きな影響を与えた人は誰かというインタビューで、渡辺えり子と北野武だと語っているのだけど、影響云々を語れるのかしら、というほどのちょい役。でも、現場での衝撃は強烈だったと語っており、北野武の何がそれほど彼にショックを与えたのか、実に興味深い。

前作「その男、凶暴につき」では、子供が遊ぶバットが一瞬のうちに凶器になってしまうシーンがあったが、本作でものんびりした草野球チームの様子とそんな彼らが暴力に呑み込まれる様子が淡々と描かれ、静かな日常と暴力を同じ平野で捉え続ける北野武らしい作風を堪能できる。興行的には失敗したらしいが(そりゃそうだろう)、興味深い作品であることは間違いない。暴力映画でありながらも、冴えない男の少し遅れた青春ストーリーとしても見ることができるところもこの作品のすばらしいところだと思う。