12月8日(木)70年前のこの日
70年前の今日、真珠湾攻撃で日米は開戦した。アメリカが誇る太平洋艦隊の主力を壊滅させた戦果が大本営発表という形で津々浦々に流された。当時はテレビがなかったので映像を観ることはできなかったけれども、ラジオを通じて流される緒戦の戦果に胸が高鳴ったのを覚えている。
小学校6年生だったから、戦局がどのように展開するかなどは考えてもみなかった。ただただ日本は強いと思い「鬼畜米英をやっつけろ」と喜んだ。10日には日本軍のマレー半島上陸を阻止しようと半島東岸を行動中のイギリス東洋艦隊を海軍航空隊が襲い、新鋭戦艦プリンス・オブ・ウェールズ、巡洋戦艦レパルスおよび護衛駆逐艦3隻を撃沈した。これでイギリス海軍は西部太平洋の制海権を失い、日本の怒涛の進撃を許すことになる。
勇ましい軍艦マーチに続いて「大本営発表、大本営発表」とうわずった声で伝えられたこのニュースにも躍り上がって喜んだ。同日グアム島を占領、翌年1月2日にはマニラ占領のニュースが飛び込んできた。2月15日にはシンガポールで抵抗を続けていたイギリス軍が降伏した。
マレー半島を制圧して天然ゴム資源を確保した日本は、その戦果を誇示するかのように、ゴムマリを作って全国の小学生に配った。真新しい良く弾むマリをもらって単純に喜んだ。しかし緒戦の戦果の陰で不自由な生活が忍び寄っていた。昭和17年1月1日から食塩の通帳配給制が始まり、2月1日には衣料・味噌醤油の切符制が実施された。エプロンに襷がけの大日本婦人会が発足したのもこの日である。
その後の推移はご承知の通り。昭和20年8月15日満身創痍で惨めな敗戦を迎える。戦争も配給も知らない世代が大部分になった。それは文句なく幸せなことであるはずなのだが、今の日本人になぜか幸福感はない。贅沢は言うまい、平和そのものが最高の幸せなのだと思う。
70年前の今日、真珠湾攻撃で日米は開戦した。アメリカが誇る太平洋艦隊の主力を壊滅させた戦果が大本営発表という形で津々浦々に流された。当時はテレビがなかったので映像を観ることはできなかったけれども、ラジオを通じて流される緒戦の戦果に胸が高鳴ったのを覚えている。
小学校6年生だったから、戦局がどのように展開するかなどは考えてもみなかった。ただただ日本は強いと思い「鬼畜米英をやっつけろ」と喜んだ。10日には日本軍のマレー半島上陸を阻止しようと半島東岸を行動中のイギリス東洋艦隊を海軍航空隊が襲い、新鋭戦艦プリンス・オブ・ウェールズ、巡洋戦艦レパルスおよび護衛駆逐艦3隻を撃沈した。これでイギリス海軍は西部太平洋の制海権を失い、日本の怒涛の進撃を許すことになる。
勇ましい軍艦マーチに続いて「大本営発表、大本営発表」とうわずった声で伝えられたこのニュースにも躍り上がって喜んだ。同日グアム島を占領、翌年1月2日にはマニラ占領のニュースが飛び込んできた。2月15日にはシンガポールで抵抗を続けていたイギリス軍が降伏した。
マレー半島を制圧して天然ゴム資源を確保した日本は、その戦果を誇示するかのように、ゴムマリを作って全国の小学生に配った。真新しい良く弾むマリをもらって単純に喜んだ。しかし緒戦の戦果の陰で不自由な生活が忍び寄っていた。昭和17年1月1日から食塩の通帳配給制が始まり、2月1日には衣料・味噌醤油の切符制が実施された。エプロンに襷がけの大日本婦人会が発足したのもこの日である。
その後の推移はご承知の通り。昭和20年8月15日満身創痍で惨めな敗戦を迎える。戦争も配給も知らない世代が大部分になった。それは文句なく幸せなことであるはずなのだが、今の日本人になぜか幸福感はない。贅沢は言うまい、平和そのものが最高の幸せなのだと思う。