本日は死せる信者の霊魂の日です。
小罪を持って死せる霊魂は「期限付きの地獄」と呼ばれる煉獄で苦しんでおりますが、実際煉獄の霊魂は必ずいつかは天国に行くことが出来ることを思えば、煉獄さえ行けるかどうか分からない私たちに比べれば幸せかもしれません。
死者の月の二日目のこの日は特に忘れ去られて犠牲が行えない煉獄の霊魂のためにかわりに犠牲を行い、祈りましょう。
過去に煉獄の霊魂について書いた記事もございます。
「煉獄の霊魂」
「救霊」
「煉獄の霊魂からの訴え」
小罪を持って死せる霊魂は「期限付きの地獄」と呼ばれる煉獄で苦しんでおりますが、実際煉獄の霊魂は必ずいつかは天国に行くことが出来ることを思えば、煉獄さえ行けるかどうか分からない私たちに比べれば幸せかもしれません。
死者の月の二日目のこの日は特に忘れ去られて犠牲が行えない煉獄の霊魂のためにかわりに犠牲を行い、祈りましょう。
過去に煉獄の霊魂について書いた記事もございます。
「煉獄の霊魂」
「救霊」
「煉獄の霊魂からの訴え」
通常の典礼歴で使われている「死者の日」というネーミングはおかしいですよね。
英語では“All Souls’ Day”ですし、ラテン語では“Commemorationem Omnium Fidelium Defunctorum”なのに、日本での「死者の日」という言い方はネガティブな感じがします。
祈祷文も典礼文も簡単な言葉にすればするほど、本来の意味から離れていくように思います。
最近は神様の正義と本当の愛が曲解されて誰でも救われるという概念が、私たちを大きな大きな罠へと導いているように思います。甘くぬるい生活への誘いのようです。いつか私たちは必ず死にます。死んだらどうなるのか、これを忘れず生活していきましょう。