一カトリック信者(ジュゼッペ)の日々想い

聖ヨゼフを愛する一カトリック信者の日々を綴ったブログです。

待降節に入りました

2016-11-28 07:26:17 | カトリック
おはようございます。
典礼歴では昨日から待降節に入りました。新しい年の始まりです。クリスマスというと、サンタクロース、クリスマスソング、クリスマスセール、クリスマスプレゼント、クリスマスイベントなどなど。イルミネーション感を連想させます。25日の前からパーティーをやるところもあります。楽しいです。わくわく感もあります。のりのりです。快楽的です。テンション上がります。
いいえ!世間の人は本当のクリスマスが何なのか分かっていません。クリスマスにちなんだありとあらゆるものが商業と結びついています。ここ約百年の間、待降節は汚されました。カトリック信者も飲み込まれています。以前ヨハネ・パウロ二世も行き過ぎた待降節中の快楽主義に警報をならしています。
アダムの罪の結果、長い間人類は主の約束された救世主を待ち望んでいました。義人はその間迫害と犠牲を通して待ち望んでいたのです。世間の楽しみを打ち捨てて祈り続けました。さらに救世主でさえもその生涯は十字架であると預言されました。
さて、降誕されたイエズスの生涯を思い起こして下さい。だれのために来られたのでしょうか。なぜ来られたのでしょうか。
私たちも旧約の義人らのように待降節中を有意義に過ごしたいと思いませんか。私は思います。
待降節中と四旬節は我が家では何か、各々の好きなことを一つ犠牲に捧げるようにしています。例えば私の息子は、昨年辺りはお菓子を犠牲にしていました。このように待降節は本来、慎み深く、犠牲と祈りで静かに、主をお迎えするための準備期間なのです。降誕祭の後にも目を向けて行きましょう。
降誕祭の次の日の26日に最初の殉教者である聖ステファノの祝日そして幼子殉教者の祝日が続いていきます。主は十字架に磔になるために生まれてくるのです。黙想しましょう。祈りましょう。犠牲を捧げましょう。


『待降節の祈』

天よ、露を滴らせ、雲よ、義人を降らせよ。

 ▲地よ、開きて救世主を出せよ。(イザヤ 四十五ノ八)

 わが天主、わが救世主なるイエズス・キリスト。われらはこの待降節中、けいけんの念もて、旧約の太祖、預言者、および義人らが、主の御恵み豊かなる御来臨を祈り求めし、その熱望を思いめぐらし奉る。

 ▲主は限りなく御あわれみと愛とをもつて、太祖に与え給いし御約束を果し給えり。すなわち永遠の知なる主は天降りて、その完全なる御教えは御教えの光をもつてわれらの精神の暗きを照らし、罪のきずなを解き、悪魔の力をくじき、われらと天の御父との間に、平安とわぼくをもたらし給えり。されば天と地とは声をあわせて、主が人となりておこない給いし救いの御業をたたえ奉る。

 主イエズスよ、われらは太祖、預言者たちと共に、御身が御約束のキリスト、世の救い主にして、道、真理、生命にてましますことを堅く信じ奉る。

 ▲願わくはわれらを恵みて、熱心なる祈りの精神と深き痛悔の心とを与え、主の御降誕を迎えまつるにふさわしき準備をなさしめ給え。

 主イエズスよ、今こそ主は御みずからわれらに来り、霊的に生まれ給いて、その聖なる御託身の御恵みをわれらに与え給わんとす。そはわれらが主の如く天主の子として、天主と人との前に知恵と聖寵のいやまさんがためなり。

 ▲さればわれらは聖なる慎みをもつて、すべて世間の楽しみを打ち棄て、心を浄めて、主の御ためにふさわしき住家を備え奉らん。

 救霊のあけぼのなる聖マリア、イエズス・キリストの先駆者なる聖ヨハネ、主の御来臨を祝い奉るにふさわしき準備をなし得る御恵みを、われらのために祈り求め給え。そは主がこの世を裁かんとて再び来り給う時、恐るることなく主を迎え奉らんがためなり。▲アーメン。

 主よ、御身に向いてわが魂を挙げ奉れり。

 ▲わが天主よ、われ御身に依り頼めり。われ永遠に恥じることなからん。

 祈願 全能の天主、願わくは御独り子をふさわしく迎え奉らんがために、われらに熱心なる祈りの精神と痛悔の念とを与え給え。われらの救い主の御来臨によりて潔められたる心をもつて主に仕え、御心に従いてこの世を送らんことを、われらの主キリストによりて切に願い奉る。アーメン。

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