一カトリック信者(ジュゼッペ)の日々想い

聖ヨゼフを愛する一カトリック信者の日々を綴ったブログです。

愛する御聖体

2016-11-10 07:31:32 | カトリック
度々このブログの中で御聖体について何度も書いて取り上げています。そしてこのブログのアクセス件数が圧倒的に多いのは、日本の教会のミサにおける崇拝の態度として跪く行為が、禁止されたという内容のものです。そのことに対するコメントも多いです。
昨年の待降節から開始された日本のカトリック教会に置ける『適応』という名の下に行われた乱暴な理論によって少数の正しい人が苦しんでいます。
しかしこの『日本の新しいミサ総則』に関する文書を色々な分野から過去の文書を引っ張り出してテクニカル分析をして、禁止ではない、問題無い、というのは簡単ですが、これはそういう問題ではありません。
これはカトリック教会の信仰の最大の中心である御聖体に対する事柄なのです。従う従わないとかそういう類の話ではありません。信仰の問題なのです。見過ごしてはいけない事です。忘恩であり侮辱行為です。天皇陛下に対して、国王に対して祝典で最敬礼をしてはいけないと言われて、素直に従う人がいるでしょうか。それよりも遥かに尊く偉大な方に対する事です。私達を愛し愛尽くして生け贄になった方に対する事です。超自然な方です。何度も何度も私達が罪を犯して何度も十字架の釘になっている私達がその十字架の前で跪いて頭を垂れることが、一部の人に禁止されているのです。私は御聖体を軽んじる人を許すことは出来ません。
主イエズスは、御父に祈るとき跪いて祈られました。そして主は神殿に来て跪いて体を使って回心された徴税人を愛されます。最大限に人に誠意を見せるとき『土下座』という行為があります。人に対して土下座が出来るのになぜ御聖体に跪くことが(許されない)出来ないのでしょうか。
私達の心を挙げて向かうのは御聖体です。教会の扉を開くときその中心である御聖体が安置されている聖櫃に目が向けられるように教会は作られています。今一度御聖体とは私達にとって何なのか。御聖体とはどなた様なのか。御聖体と比較しうる以上の偉大なものが存在するのかよく考えてみましょう。

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