さて、写真を添付してみた。
とある施設の「おやつ」の写真を撮らせて頂いた。
このおやつを食べたいと思う人?
ときいたら、何人の人が「食べたい」と答えてくれるだろう?
きっと、スタッフが片付けが楽だから、紙の器になるのだろう。
洗う手間もなし。
さて、この飲み物のコップ。
入所者全てが、同じコップを使う。
それも中身は「お茶」か「スポーツ飲料」だ。
コーヒーとか、煎茶とかは選択できない。
これを食べなければ「食欲不振」とされるのだ。
この写真は、きっと第三者が見たら、
「お前ら、何しとるねん!」となるだろう。
職員はそう思っていないのか?
新人のころはそう思っていたはずだ。
介護についての思いがあったはずだ。
ところが実際に働いてみると、覚えることが多く、
先輩職員からの手痛い歓迎を受ける。
そうこうしていうるうちに、当初の思いは消えて、
紙の器が風景になってしまう。
そうして、それは外部から見るととんでもない「非常識」となる。
この「外から見た感覚」は非常に重要だ。
内輪だけでやっていると、どうしても世間が狭くなる。視野が狭くなる。
それを防ぐにはどうしたらいいか?
外部に出ることだ。研修会でもいい、何かの本を読むこともいいだろう。
そうして、「疑う」ことだ。
いま自分がやっていることが、はたして「正しいのだろうか?」と。
これはかなりしんどい作業だ。
どこまで疑ってかかるか?
この方の杖の高さはこれでいいか?
車椅子はちゃんとあっているか?
自分の提供している治療手技はこれでいいのか?
移乗動作の介助はこれでいいのか?
常にもっとよりよく、もっとよりよい方法、
これを模索するのが医療・介護の基本と思う。
「BEST」より「BETTER」、これをモットーに働いている。
とある施設の「おやつ」の写真を撮らせて頂いた。
このおやつを食べたいと思う人?
ときいたら、何人の人が「食べたい」と答えてくれるだろう?
きっと、スタッフが片付けが楽だから、紙の器になるのだろう。
洗う手間もなし。
さて、この飲み物のコップ。
入所者全てが、同じコップを使う。
それも中身は「お茶」か「スポーツ飲料」だ。
コーヒーとか、煎茶とかは選択できない。
これを食べなければ「食欲不振」とされるのだ。
この写真は、きっと第三者が見たら、
「お前ら、何しとるねん!」となるだろう。
職員はそう思っていないのか?
新人のころはそう思っていたはずだ。
介護についての思いがあったはずだ。
ところが実際に働いてみると、覚えることが多く、
先輩職員からの手痛い歓迎を受ける。
そうこうしていうるうちに、当初の思いは消えて、
紙の器が風景になってしまう。
そうして、それは外部から見るととんでもない「非常識」となる。
この「外から見た感覚」は非常に重要だ。
内輪だけでやっていると、どうしても世間が狭くなる。視野が狭くなる。
それを防ぐにはどうしたらいいか?
外部に出ることだ。研修会でもいい、何かの本を読むこともいいだろう。
そうして、「疑う」ことだ。
いま自分がやっていることが、はたして「正しいのだろうか?」と。
これはかなりしんどい作業だ。
どこまで疑ってかかるか?
この方の杖の高さはこれでいいか?
車椅子はちゃんとあっているか?
自分の提供している治療手技はこれでいいのか?
移乗動作の介助はこれでいいのか?
常にもっとよりよく、もっとよりよい方法、
これを模索するのが医療・介護の基本と思う。
「BEST」より「BETTER」、これをモットーに働いている。