ふつうの暮らしとリハビリテーションとケア

もし、障害を負ってしまったらどうするか?
今までの生活は??
暮らしを支えるリハビリテーションとケアを考えます。

全国首長アンケートから

2006年07月30日 | 介護保険の話
先日全国首長アンケート結果が新聞に載っていた。
(数字は%)

問1:介護保険加入者を現行40歳から引き下げる考えについて
   ①賛成46.8(20歳以上35.7 25歳以上5.1 30歳以上31.0 35歳以上17.4)
    賛成の理由
    ・財政が安定する27.3 ・普遍的な制度へ発展を目指すべき61.7
    ・若年障害者が介護保険を利用できる9.9   
   ②反対50.3
    反対の理由
    ・若年者の負担が発生する65.2 
    ・障害者のサービス水準が低下する2.1
    ・若年者が障害者になる確率が低いなど介護保険になじまない31.8

問2:介護予防について
   ①期待する21.6 ②ある程度期待する54.8 
   「期待する」「ある程度期待する」理由 
   ・効果がありそう44.3 ・老人保健事業などで一定の効果があった7.6
   ・介護給付費抑制につながる46.8

   ③あまり期待しない21.2 ④期待しない2.0
   「期待しない」「あまり期待しない」理由
   ・専門職の確保が難しいなど事業展開が困難23.2
   ・予防効果がはっきりしない60.3
   ・対象者が予防サービスを受けるかどうかがわからない14.1

問3:地域包括支援センターの数
   ①0ヶ所:4.2 ②1ヶ所:69.2 ③2~3ヶ所:5.7 ④4~5ヵ所:3.7
   ⑤6~10ヵ所:3.4 ⑥11ヵ所以上:2.6

問4:療養病床の再編・削減に
   ①賛成20.6 ②反対56.9 ③どちらともいえない19.8
   賛成の理由
   ・医療の必要度が高い患者に限定すべき43.3

   反対の理由
   ・退院、退所後の受け皿が不十分72.0
   ・介護療養病床の名前が変わるだけで実態が変わらない17.2
   ・介護・医療給付費の抑制につながらない10.6

   「どちらともいえない」理由
   ・総論賛成、地域で実情が違う
   ・受け入れ先が明確にされない限り、判断は難しい

   その他
   ・制度改正が早く、理解に戸惑う
   ・国の秩序ない方向転換で、公立病院の経営が脅かされる不安がある

【Life感想】
その他いろいろあるのでしょうが、
我が家の新聞をまとめると以上のようになりました。

「介護予防」についても、賛成の約半数が給付費抑制を期待としている。
ということは、やっぱお金が大事で、住民の健康ではないように感じてしまう。
同じくらいの人が「効果がありそう」ですからね。
漠然とした期待感にとらわれているともいえる。

逆説的に「予防効果がはっきりしない」が60%ですね。
これが真実だと思いますよ。何を持って効果とするのか?
介護予防教室や事業に参加した人が、頚部骨折や脳卒中を起こしたら、
「効果はなかった」となるのか?

また、療養病床についても首長さんの不安感が浮き彫りになりましたね。
病院を急性期に特化する以上、そこからはみ出る人の受け皿を作らなきゃいけない。
そういう中で、療養病床を再編・削減となると、受け皿をどこへ持っていくか?

社会保障費は枠がほぼ決まっているのだから、
医療を絞っても介護が膨らめば、相対的に一緒じゃないないの?(笑)
じゃあ全体を絞れば?という議論になると、
社会保障制度そのものが崩れる危険が大きいと思うのは私だけ???

まぁ、大事なことは「専門職が足りない」ですよ。
需要はあるのですよ>理学療法士協会の方々
給料が下がるとかいわずに、どんどん参入しましょうよ・・・
  


     
  

5時間で65回

2006年07月27日 | 病院・医療の話
こちらも梅雨明け間近。
はやくカラッと晴れた青空が見たい・・・

さて、先日こちらの地方紙で、5時間で65回というニュースが載っていた。
実はこの数字、深夜帯・5時間でナースコール65回なったという話だ。
8時間勤務で考えると、この約倍か・・・

で、その病院では、深夜帯看護師3人で勤務しているという。
ひとり5時間で約22回のコールを受ける。
一時間あたりで4~5回。
10~15分で一回コールがなる。

そのコールのケアが終わったら、またコールがなる、
そしてそのケアが終わればまたコールがなって・・・

看護師をはじめ医療職の仕事って患者さんのケアだけが仕事ではない。
患者さんのケアが一番の仕事ではあるが、
それらに対する段取り・用意・片付け・事務処理・記録・・・

まぁ、15分に一回コールがなってりゃ、時間内には終われない。
別にコールが鳴るのは、患者さんからのメッセージなので、
これに応対するのは仕事である。無視は出来ない。

大事なのは、5時間・65回のコールを、3人の看護師で受けている、という現実だ。
時々夜勤帯で、呼吸器のスイッチミスや、心電図モニター発見の遅れ、
なんでてのがニュースになっている。

そういう場合、多くは看護師の責任が問われることになるが、
こういう勤務実態で、本当に看護師のミスだ!といえるのだろうか?

患者さんのケアをしている間に、またコールがなって、
そちらのケアしていると、今度は機械のアラームがなって・・・

記事には、
「医療事故につながりかねない小さなヒヤリ・ハットがある」
「患者にうわべだけのことしかしてあげられない」
「睡眠中も夢の中で働いている」
「患者に元気にになってもらうために、自分も元気でなければ・・・」
等と書いている。

医療ミスが起こると、医師や看護師個人の責任が問われることが多い。
#事件によってはそちらの責任もある場合がある。

だが、「じゃあ、そういう事故が起きないような環境にしてあげる」とか
「看護師の配置がもっと手厚くなるように」とは言ってくれない。

「医療はお金がかかるので、削る」としか言ってくれない。
これで安心・安全が確保できるのだろうか・・・?

安心と安全と

2006年07月24日 | 制度を問う!
雨が続く。
被害にあわれた方の一刻も早い復旧をお祈りします。

さて、うんざりしている。
まぁ、一人でうんざりしているだが、
4月の介護報酬改定以後、初めての実績が出てきた。

うんざりしてしまう。

以前の報酬では、法人全体でいくばくかの黒字が出ていた。
が、改定後の実績では・・・・、

なんといくばくかの黒字分、赤字だった。
例えば改定前の黒字が1000万とすれば、なんと赤字1000万!
と思っていただいてよい。

先月比200%の赤字。

同じことをやって、同じケアを提供して、
それで先月比200%の赤字。

介護・医療界はパート・非常勤の雇用が下手な業界といわれる。
だが、考えてみて欲しい。
そんなパートばかりの施設のケアを受けたいと思う人がどれだけいるのだろう?

医療・介護は安かろう・悪かろう、では困るのだ。
ディスカウントショップとは違うのだ。

こんなことで、「安心」を整備できているといえるのだろうか?
社会保障とは、国民の「安心」の整備のはず。
医療・介護・福祉・・・
それらが安かろう・悪かろうに突入しつつあるのだ。

安かろう・悪かろうならまだいい。
いまのせいどのながれからすると、
「高かろう・悪かろう」になりかねない。

なんとならば、施設の収入がゴロっと変わってしまった。
上記の例で1000万の黒字が1000万の赤字になった。
全ての施設がそうではない、経営が悪いという声もあるだろう。

だが、これは我々の裁量で何とかなるものではないのだ。
国が単価を決めている。それで経営できなければ、消えるしかない。

それか、人件費を削り、正職員をパート化し、
外国人労働者を雇う方向へ行くだろう。
もう、そういう流れだ。

これは「安全」なのだろうか?
医療・介護が利益を追求し始めたら、どうなるだろう?
何とかして利益を出さねばならない、そういう状況におかれつつある。

そういう状況におかれた民間企業がどうしたか?
期限が切れた牛乳を売ってみたり、不正に牛肉を処理してみたり、
車のリコールを隠してみたり、飛行機は整備不良が続き、電車は衝突だ。
この度は、湯沸かし器がトラブルだ。それも20年。

医療・介護にもそれを望むのか?
社会保障とはそんなものだろうか?

最近つくづく考えてしまうのである。

飲み比べ

2006年07月23日 | 日記・雑感
最近、体調もイマイチなためか、
ブログを書きたいのだけど、まとまらない日々が続く。

こんな時は、飲み比べである(笑)

一度はやってみたい、ぜいたくをしてみました。

まずビールの中のビールといえば「エビス(写真向かって右)」
やっぱり独特の苦味があり、本格ビールの味わい。
「ビール」ではなく「お酒」を飲んでいる雰囲気となる。

これを飲んだ後、普通のビールを飲むと、どうしても物足りなく感じる。

次は、写真左の「プレミアムモルツ」。
モルツといえば、麦芽とホップだけで作った本格ビールのひとつである。
プレミアムモルツはそれをさらに濃縮したようなものだ。
エビスと比べ、苦味がそれほどなく、むしろ飲みやすい。
エビスより麦の甘さ?を感じ、喉越しもよい。

なんだったかで、金賞受賞はうなずける。

さあ、ちょいとぜいたくしたので、元気を出しますか!

存在とADL

2006年07月19日 | 生活を思う
以前の職場で働いていた時のこと。
病院玄関ロビーを歩いていると、
なにやら担当患者さんの御家族さんがポツンと座っている。

どうしたんだろう・・・?と思いながら声をかけてみる。
どうやら再発し、入院となったが、Drから延命措置はしない、
と言い切られたというのである。

話を聞くだけ聞いて、私が聞いておさまるなら、それでもいいですが、
もしおさまらないなら、病院の意見箱にお気持ちをお聞かせください。
と伝えた。

後日、その方の投書があり、医師は謝罪の言葉を並べていた。

その時の言葉が今でも残る。
「私は、おばあさんに、どんな形でもいい、
例え寝たきりになっても、長生きして欲しい・・・」

まさに、その御家族として、中心的に存在してきたのだろう。
もちろん、家族の形態はいろいろあり、上記のような家族もあれば、
嫁姑でやり合っている御家庭もある。

それぞれにそれぞれの物語がある。
そして、それぞれの人が、それぞれに存在している。

存在を紐解くと、
「時間存在:過去の歴史から未来へ放たれる希望に基づく現在」
「関係存在:人の存在は、他者から与えられる」
「自律存在:自己決定できる存在」
(「死」を子供に教える 宇都宮直子 著 より)

そう、人は他者から存在を与えられることが大きい。
そしてその中で、自己決定しながら暮らしている。
そのベースとなるのは「未来」。それぞれの物語だ。

この方とは逆に、医療者の目から見てそんなに重い麻痺はないのに、
在宅ケアではなく施設ケアを求められることもある。

それを医療・介護職がどうのこうの言っても仕方がないと思う。
その御家庭での長い物語の中の一瞬である、とおもう。

決して麻痺の軽重ではなく、ADLの出来・不出来ではなく、
「行為・動作の自立」ではないように感じる。

その方が、「決定・段取りの自立」ができる環境があるか、ないか、
それにかかっているように感じている。

そして今まさに、私も物語の真っ最中だ。
どういう展開が待っているのだろう?


大雨が続いている。
被害にあわれた方の一日も早い復旧を祈ります。