ふつうの暮らしとリハビリテーションとケア

もし、障害を負ってしまったらどうするか?
今までの生活は??
暮らしを支えるリハビリテーションとケアを考えます。

祖母の死

2005年09月30日 | 生と死と
明日から10月。下半期が始まる。
時の流れの速さに戸惑いも・・・

さて、先週、突然の訃報が飛び込んできました。
それは、私の母方の祖母の死でした。

3年前に祖父を亡くし、一人で暮らしていました。
このお盆にも会って話をして帰ってきたところでした。

それが、いきなりの訃報・・・
これには面食らいました。

なんでも調子を崩し、いったん入院したものの、
回復し、明日にでも退院となっていたそうです。

夕ご飯も全部食べ、おじさん達が翌日の退院の準備をし、帰ったとき、
その電話のベルが鳴ったとのことでした。

背中を痛がられて、ご家族さんを呼んでいます、来て下さい、
という看護師さんからの電話だったそうです。

そして病院について背中をさすっていたところ、
胸が痛いと言い出し、見る見る顔色が悪くなり、
心臓だ、ということで循環器の医師も来て、酸素吸入や治療が始まったとき、
「わしは延命治療はせん!チューブをはずして」なんて言っていたそうです。

これは治療だから、まだまだ死ねんよ、なんておじさんも言ったそうですが、
そのまま息を引き取ったそうです。

まぁ、身内だからいえるのですが、
ばあちゃんらしい死に方だな、と親戚一同、通夜の席で話しました。

じいちゃんがそろそろこっちに来い、なんて呼んだかもよ、お彼岸だし。
なんて和やかな通夜・葬式を送ってきました。

いつまでも、変わらないものなんてないなあ・・・としみじみ感じてきました。
そのおじさんも、もう孫がいるし、そろった従兄弟の多くも結婚し、
ばあちゃんから見ればひ孫をたくさん連れて帰ってきていました。

孫が13人、ひ孫が17人だったかな?
まぁ、じいちゃん・ばあちゃんのDNAが増えたこと(笑)

斎場で棺を担ぎましたが、ばあちゃんてこんなに軽かったんだ・・・
としみじみ感じてしまいました。

そして、ばあちゃんの家に帰り、印象的だったのが、
おじさん(現当主となった)を囲み、
孫(ばあちゃん達から見ればひ孫)達と写真をとっていたことでした。

その席は、3年前まで祖父が座っていた席。
やっぱりゆっくりとではあるけれども、時代・時間は動くんだなあ・・・
と秋の夜長を考えてきました。

祖父は3年前、認知症の症状が出、24時間の介護が始まりました。
ほうきを鉄砲に見立て、物は投げ、混乱状態に陥っていました。

介護保険のアドバイスもしたことはありますが、
ほとんど無力でした。

全身機能が低下して入院し、それでも時には正気に戻り、
従兄弟に向かって「結婚はまだか?いい人はいるのか?」
なんて聞いていたようです。

そうしてみると、祖父からは生きることの難しさ、
死ぬことの難しさを教えてくれたように思います。

そして祖母は命のあっけなさ、はかなさでした。

実の父は明日、新築の家に入るという時に亡くなりました。
私が中学校3年生でした。
今でもそのときのことは鮮明に覚えています。

父の死には、生き方を学びました。
生前の父の仕事ぶりなど、多くの方から聞くことができ、
「働くとは何か?」を教えてくれた気がします。
家では見せたことのない、父の姿を知りました。

そして、その父方の祖父母は私は良く覚えていません。
小さいころに亡くなりました。

従って、私は「孫」ではなくなりました。

自分が死ぬとき、何を残せるのかな・・・
なんて考えてしまうのでした。

老化は問題か課題か

2005年09月20日 | 老化の話
最近、「老化」「高齢化」に関する新聞記事が多い。

100歳以上の人口が2万5千人以上になった、
1万人を超えるまで30年かかったが、
1万人から2万人になるのに5年しかかからなかった。

65歳以上の人口が、15歳以下の人口と入れ替わった、
5人に一人は65歳以上になった。

などというものだ。

1945年には男51歳、女54歳だった平均寿命も、
男女平均で80歳を超えるのが現在だ。

とするなら、当然社会保障のモデルも
時代とともに変わらないといけないのだろう。

しかし、変わったのだろうか?
変わったといえば、2000年に介護保険が始まったくらいではないだろうか?

とするなら、この国は、高齢化について
まったくといっていいほど、おいついていないのではないだろうか?
そんな気がする。

一般社会についてもそうではないだろうか?
流行のドラマや歌も、結婚するまでや付き合うまでのものがほとんどだ。
そこには「老化」も「高齢化」も出てこない。

都会もそうだ。
こんな店があればいいな、あんな便利なものがあればいいな、
その集合体が都会だ。「便利」の集合体だ。

そこには人間にとって都合の悪い
「老化」や「高齢化」は見ることが難しいだろう。

とするなら、いかがだろう?
便利の集合体からみると、「老化」は目をそらすべき事象だ。
「問題」なんだろう。

だが、考えてみると老いない人はいない。
年をとらない人はいない。
そこは平等だ。

誰もが天寿を全うする世の中になってきた。
とするなら、老化は本来は「問題」ではなく、
ここまで天寿を全うする世の中なら、
本来は「課題」として受け止めなければならなかったのだろう。

そして、誰もに平等に訪れるのは「老化」だけではない・
「死」も平等に訪れる。

とするなら、老化も死も、社会的コンセンサスとして、
我々がある程度の答えを見つけなければならない「課題」ではないだろうか?

どのように老い、死を迎えるか、
そのことを肯定するような意識の変革。

これからはそれをいやと言うほど知らされるのだろう。
きっと。

魚釣りと福祉とリハビリテーション

2005年09月19日 | 支援費・自立支援法の話
小泉自民党が勝ちました。
それも圧倒的な強さで。

これで郵政と並んで障害者自立支援法が年内成立へ向けて、
審議されることでしょう。

さて、「福祉」と「リハビリテーション」って、どう違うのでしょう?
学生時代、リハ学校の先生がこういうたとえ話をしました。

ここに、腹をすかせた一人の人がいる。
魚が食べたいらしい。

そこで、福祉。
魚がほしいなら、魚を差し上げましょう。

リハビリテーションは、
魚がほしいなら、魚の釣り方をお教えしましょう。

というものだった。

だが、考えてみる。
自立支援法が成立したら、いったいどうなるのだろう?
在宅は、全てのサービスが一割負担となる。
魚を差し上げるどころではない。

介護保険と比べて、応能負担なのは、平等ではないという議論があった。
はて、平等なのだろうか?

応能負担とは、その方の収入に応じてサービスの負担を払うものだ。
ところが、今度の自立支援法案では一律一割負担だ。

翻って介護保険を考えてみよう。
多くの対象者は高齢者である。

かつて、普通に生活し、財産もその方の人生の中で相応のものを築かれた。
だが、老化には勝てず、徐々に生活が保持できなくなってきた。
そして、身辺動作そのものにも何らかの援助が必要になってきた。

そこで介護保険だ。
できるだけ自分のことは自分でやってもらおう、というものだ。

では、支援費制度だ。
多くのユーザーは、先天性もしくは若年時に何らかの障害を負った方たちだ。
財産を形成する間もなく、ふつうの暮らしを遂行するために、
他人の介助を必要となった方たちだ。

今までは、障害年金で何とかやってきた。
ところが今後、自立支援法になると一律一割負担だ。
ふつうの暮らしをするのに、金銭が必要になる。

施設に入っていてもそうだ。
自立支援法になれば、食費・住居費を払えば、手元に2万5千円しか残らない。

その中から医療費を払い、趣味活動を行い、買い物をし、
ふつうの暮らしをするのに、いかがなものか?

これで、平等という名の下に、一割負担になったらいったい何が起こるのだろう?
本当の平等を目指すのなら、我々健常人と言われる人も、
ふつうの暮らしを行うのに、一割負担であらねばならないのではないか?

コンビニに行くのに○百円、ドライブに行くのに○百円、
お風呂に入るのに○百円、極めて平等だ。

これは、まさに「悪平等」というものではないだろうか?

介護保険のユーザーと、支援費のユーザーと、
そう簡単に「平等」の名の下に負担を同列に語っていいものだろうか?

こういう状況で、リハビリテーションは何を行えばいいのだろうか?
無理を承知で、社会参加を押し付けるのか?
進行性難病の方を、就労支援でも行うのか?

これがどこが「自立支援」なんだろう?

そうでもしないと、余暇を過ごすべき資金が手に入らない。
余暇を過ごしたいなら、障害者といえども施設を出て働け、
と聞こえるのは私だけだろうか?

リハビリテーションは、どんな障害を負おうとも、どんな状態になろうとも、
その人らしい生活を支援するというのが、思想ではなかったか?

いったいこの国の社会保障はどこへ行くのだろう?
いま、こうして普通働ける私も、交通事故を起こして脊損にでもなれば、
明日からでも支援費ユーザーだ。

交通事故でさえ、自己責任の世界になってきた。
「健康」「健常」でないと、悪者扱いされない世の中になりますように・・・

動線

2005年09月15日 | 生活を思う
ここ数年、家で入浴できていない方の話。

徐々にシャワー椅子を導入し、それが習慣化したところで、
寒くなってきた。

奥様より、浴槽に入りたいというご希望が出てきた。

そこで、ケアマネ・業者へ連絡し、バスリフトを導入する計画を立てた。
私がバスボードとバスリフトの説明をし、バスリフトを選ばれた。
本人さんの状況から、そちらがいいと思う。

で、実際デモ機を借りてやってみる。
ドキドキの瞬間だ。何回やっても慣れるという事はない。

本人さんは気難しいが、設置されたバスリフトをみて、
「うん、いいじゃないか!」とおっしゃった。
そして自ら「移ってみる」といって、乗って見られたのだ。

ケアマネも業者も喜んでいる。
だが、一人私は悩んでいた。

お風呂の構造と、本人さんの状況から、
リフトとシャワーチェアの向きが互い違いになってしまうのだ。

喜んでいるケアマネ・業者を尻目にあーでもない・こーでもないと
シャワー椅子の位置を変える。

ダメだ。動線が確保できない。
う~む。どうしよう。

ふとひらめく。
「そうだ!脱衣場と浴室の引き戸を逆から開けよう!」

これだと車椅子~シャワーチェア~バスリフトの動線がイメージできる。
でも、これだと、今までとは違う方式でのアプローチとなる。

奥様・ケアマネ・業者へその旨説明する。
本人にはまた、違うマシンのデモ機が来てから説明することにする。
いま、できる事が現実味を帯びて希望を持っておられるからだ。
折を見て話すとする。

そして、帰り。
公用車に同乗した学生が聞いてくる。
「先生、よく気づかれましたね」

そうではない。
利用者さんのADLを考えるとき、その行為だけの自立を追ってはダメなのだ。
この場合だと、入浴動作だけを見てはダメ、という事だ。

お風呂に入ろうと思ったら、
居室から歩いたり、車椅子へ乗ったりして、移動する。
移動して、そこで、脱衣動作となる。
脱衣したところで、装具や杖など無しにシャワー椅子へ移動する。
そして、洗体動作があって、バスリフトへ移動し、入浴する。

そして居室へ戻るまでには、逆の動作・段取りが必要だ。
そう説明した。

トイレ動作もそうだ。
どこからどこまでがトイレ動作なのか?
尿意をもよおす・感じるところからトイレ動作は始まると
考えるべきかどうか、ということだ。

確実に在宅では、そう考えて行かないと、
行為だけの自立を追ってしまうと、大変なことになるよなあ・・・
そう思った訪問でした。

TVとベッド

2005年09月12日 | 在宅失敗談!
今回はまじめな話。

前の職場からかかわりがある方だ。
もう、かれこれ8年くらいの付き合いだろうか?

「なんで家で痛いことをせんといけんか!」と
普段はベッド上で寝ていて、TVを見ておられるかただ。

起きましょうなどと声をかけると、
「何で家で・・・!」と声を荒げられていた。

そうこうしているうちに、
訪問看護やリハのときは起きると決めたのか、
スタッフが訪れたときだけは起きて座るようになられていた。

でも、それも限界に近づきつつあった。

とある日、いつもの様に訪問すると、奥様が、
「右の足の付けのを痛がるのです。看て下さい。」とおっしゃるのだ。

みてみると、右の大転子(足の付け根の外側の固いところ)部分に、
発赤が見られ、一部皮膚がめくれている。

そう、褥創(じょくそう:床ずれ)ができつつあったのだ。
この方は、右側を下にして横向きに寝ておられることが多い。

帰りのその足で、主治医に報告し、帰ってからケアマネに相談し、
訪問看護師にも報告した。

訪問看護で医師から指示を受け、処置をしてもらい、
と同時にケアについて話し合った。

私は、
「もうベッド(社協からかりた普通のパイプベッド)が限界だ。
マットレスから、ベッドまで、考え直そう」
そう話した。

ベッド・マットレスについては、本人が混乱を起こさぬよう、
ゆっくりとアプローチすることになった。

そうして、とりあえず褥創は快方へ向かった。

だが、また、悪化したと訪問看護師より連絡があった。
これは、もう、奥様・本人さんに説明しなければ、とお宅へ向かった。

「こんにちは~、お邪魔します!」とお部屋に入ると、
なんと模様替えがしてある。

今までの反対側にTVが置いてあるのだ。
そうなると、当然、本人さんは、左を下に横向きに寝ておられる。

めまいがして、座り込むかと思った・・・
あれほどベッドやマットレスについて、あれこれ考えた自分が恥ずかしい。

奥様いわく、
「いっつも右向いているから床ずれができたんだから、
左向きにすれば治るかと思って。」

そう、その通り。
使い慣れたベッドも変えることなく、
使い慣れたマットレスで、今までとおなじTVを見ておられる。

ただ、向きが違うだけ。

そして、確実に除圧されている。

はぁ~・・・と気が抜けてしまったのでした。
奥様の勝ち。我々スタッフの考えすぎ、となってしまった。

もちろん、可能性として、今度は左の大転子が心配であるが、
ゆっくりと看て行こう、という事になりました。

難しく考えるのではなく、普通に考える、
それが難しいのです・・・