明日から10月。下半期が始まる。
時の流れの速さに戸惑いも・・・
さて、先週、突然の訃報が飛び込んできました。
それは、私の母方の祖母の死でした。
3年前に祖父を亡くし、一人で暮らしていました。
このお盆にも会って話をして帰ってきたところでした。
それが、いきなりの訃報・・・
これには面食らいました。
なんでも調子を崩し、いったん入院したものの、
回復し、明日にでも退院となっていたそうです。
夕ご飯も全部食べ、おじさん達が翌日の退院の準備をし、帰ったとき、
その電話のベルが鳴ったとのことでした。
背中を痛がられて、ご家族さんを呼んでいます、来て下さい、
という看護師さんからの電話だったそうです。
そして病院について背中をさすっていたところ、
胸が痛いと言い出し、見る見る顔色が悪くなり、
心臓だ、ということで循環器の医師も来て、酸素吸入や治療が始まったとき、
「わしは延命治療はせん!チューブをはずして」なんて言っていたそうです。
これは治療だから、まだまだ死ねんよ、なんておじさんも言ったそうですが、
そのまま息を引き取ったそうです。
まぁ、身内だからいえるのですが、
ばあちゃんらしい死に方だな、と親戚一同、通夜の席で話しました。
じいちゃんがそろそろこっちに来い、なんて呼んだかもよ、お彼岸だし。
なんて和やかな通夜・葬式を送ってきました。
いつまでも、変わらないものなんてないなあ・・・としみじみ感じてきました。
そのおじさんも、もう孫がいるし、そろった従兄弟の多くも結婚し、
ばあちゃんから見ればひ孫をたくさん連れて帰ってきていました。
孫が13人、ひ孫が17人だったかな?
まぁ、じいちゃん・ばあちゃんのDNAが増えたこと(笑)
斎場で棺を担ぎましたが、ばあちゃんてこんなに軽かったんだ・・・
としみじみ感じてしまいました。
そして、ばあちゃんの家に帰り、印象的だったのが、
おじさん(現当主となった)を囲み、
孫(ばあちゃん達から見ればひ孫)達と写真をとっていたことでした。
その席は、3年前まで祖父が座っていた席。
やっぱりゆっくりとではあるけれども、時代・時間は動くんだなあ・・・
と秋の夜長を考えてきました。
祖父は3年前、認知症の症状が出、24時間の介護が始まりました。
ほうきを鉄砲に見立て、物は投げ、混乱状態に陥っていました。
介護保険のアドバイスもしたことはありますが、
ほとんど無力でした。
全身機能が低下して入院し、それでも時には正気に戻り、
従兄弟に向かって「結婚はまだか?いい人はいるのか?」
なんて聞いていたようです。
そうしてみると、祖父からは生きることの難しさ、
死ぬことの難しさを教えてくれたように思います。
そして祖母は命のあっけなさ、はかなさでした。
実の父は明日、新築の家に入るという時に亡くなりました。
私が中学校3年生でした。
今でもそのときのことは鮮明に覚えています。
父の死には、生き方を学びました。
生前の父の仕事ぶりなど、多くの方から聞くことができ、
「働くとは何か?」を教えてくれた気がします。
家では見せたことのない、父の姿を知りました。
そして、その父方の祖父母は私は良く覚えていません。
小さいころに亡くなりました。
従って、私は「孫」ではなくなりました。
自分が死ぬとき、何を残せるのかな・・・
なんて考えてしまうのでした。
時の流れの速さに戸惑いも・・・
さて、先週、突然の訃報が飛び込んできました。
それは、私の母方の祖母の死でした。
3年前に祖父を亡くし、一人で暮らしていました。
このお盆にも会って話をして帰ってきたところでした。
それが、いきなりの訃報・・・
これには面食らいました。
なんでも調子を崩し、いったん入院したものの、
回復し、明日にでも退院となっていたそうです。
夕ご飯も全部食べ、おじさん達が翌日の退院の準備をし、帰ったとき、
その電話のベルが鳴ったとのことでした。
背中を痛がられて、ご家族さんを呼んでいます、来て下さい、
という看護師さんからの電話だったそうです。
そして病院について背中をさすっていたところ、
胸が痛いと言い出し、見る見る顔色が悪くなり、
心臓だ、ということで循環器の医師も来て、酸素吸入や治療が始まったとき、
「わしは延命治療はせん!チューブをはずして」なんて言っていたそうです。
これは治療だから、まだまだ死ねんよ、なんておじさんも言ったそうですが、
そのまま息を引き取ったそうです。
まぁ、身内だからいえるのですが、
ばあちゃんらしい死に方だな、と親戚一同、通夜の席で話しました。
じいちゃんがそろそろこっちに来い、なんて呼んだかもよ、お彼岸だし。
なんて和やかな通夜・葬式を送ってきました。
いつまでも、変わらないものなんてないなあ・・・としみじみ感じてきました。
そのおじさんも、もう孫がいるし、そろった従兄弟の多くも結婚し、
ばあちゃんから見ればひ孫をたくさん連れて帰ってきていました。
孫が13人、ひ孫が17人だったかな?
まぁ、じいちゃん・ばあちゃんのDNAが増えたこと(笑)
斎場で棺を担ぎましたが、ばあちゃんてこんなに軽かったんだ・・・
としみじみ感じてしまいました。
そして、ばあちゃんの家に帰り、印象的だったのが、
おじさん(現当主となった)を囲み、
孫(ばあちゃん達から見ればひ孫)達と写真をとっていたことでした。
その席は、3年前まで祖父が座っていた席。
やっぱりゆっくりとではあるけれども、時代・時間は動くんだなあ・・・
と秋の夜長を考えてきました。
祖父は3年前、認知症の症状が出、24時間の介護が始まりました。
ほうきを鉄砲に見立て、物は投げ、混乱状態に陥っていました。
介護保険のアドバイスもしたことはありますが、
ほとんど無力でした。
全身機能が低下して入院し、それでも時には正気に戻り、
従兄弟に向かって「結婚はまだか?いい人はいるのか?」
なんて聞いていたようです。
そうしてみると、祖父からは生きることの難しさ、
死ぬことの難しさを教えてくれたように思います。
そして祖母は命のあっけなさ、はかなさでした。
実の父は明日、新築の家に入るという時に亡くなりました。
私が中学校3年生でした。
今でもそのときのことは鮮明に覚えています。
父の死には、生き方を学びました。
生前の父の仕事ぶりなど、多くの方から聞くことができ、
「働くとは何か?」を教えてくれた気がします。
家では見せたことのない、父の姿を知りました。
そして、その父方の祖父母は私は良く覚えていません。
小さいころに亡くなりました。
従って、私は「孫」ではなくなりました。
自分が死ぬとき、何を残せるのかな・・・
なんて考えてしまうのでした。