ふつうの暮らしとリハビリテーションとケア

もし、障害を負ってしまったらどうするか?
今までの生活は??
暮らしを支えるリハビリテーションとケアを考えます。

オラぁ、怠ける!

2006年03月26日 | 生活を思う
今日は仕事だった。
まぁ、少し疲れたかな?いつもと違う業務だったので。

さて、最近気が重い。
というのも、春~秋は病院の外来でリハビリを受けて、
冬季間は訪問リハを御利用の方が何人かおられた。

しかし、この4月の改定で、病院の外来リハが受けられないと
宣告された方たちが実際におられるのだ。

それだけでも混乱をきたしている。
この混乱に輪をかけるのが、新介護予防だ。
要介護1の方(介護保険)を要支援2(介護予防)に振り分けるのだ。

いままで介護保険(介護給付)が使えたのに、
制度改正があったとたん、予防給付(介護予防)となった。

そこへ、リハビリテーションの日数制限。
さらにそこへ、訪問看護からのリハビリテーション制限の話なんて、
どうしてできよう?

ともかく、この病院リハの制限と介護保険改定の波を同時に受けた方がいる。
どんなに説明しても、納得がいかない。
#厚労省の方、是非とも説得していただきたい。

もう、近所の方と比べて、
「自分のほうが麻痺が重いのに、
わしは(要介護)1で、アイツがなんで2なんだ!」

麻痺の重さも勘案しますが、日常動作や生活活動も一緒に考えますから、
病院の外来に通うことができるとなると、介護の手間を考えまして・・・

「オラぁ、今度から怠ける!」
「あの調査員とかが来た時には、何にもできんといってやる!」
「着替えもせんし、歩くのもできんといってやるわぁ!」

「だいたい、今度は支援だとかいいやがった。この間まで1だったんだぞ!!」
「体の状態が変わらんのに、なんで支援になる!!(怒)」

この状況で、訪問看護からのリハが制限されるなんて、どうしていえよう・・・
#結局は玉虫色の解釈で、どうにかなりそうだが・・・

まぁ、広域連合や市町村役場には、このような苦情がかなり来てるらしい。
今まで要介護1だったのに、要支援2とは何事だ!
という電話が結構あるため、事務仕事も滞りがちだという。

どうか、このような方たちを救うべき手段は無いものだろうか?
明日からの訪問が、また、気が重い・・・

いっしょうけんめい

2006年03月24日 | 日記・雑感
いっしょうけんめい

漢字ではどう書くか?
「一生懸命」?

これも正しい。
実は、「一生懸命」は「一所懸命」の「長呼」である。
長呼とは、もともとの読み仮名に、母音が混じってしまった言葉。
本来は「一所懸命」で、それが「一生懸命」になった。
意味は変わらないと辞書には書いてある。

だが、字は全然違う。
意味も違うと思う。

一所懸命は、
武士や農民が、一ところの領地や農地を死守して生活の頼りとした事。
と辞書に書いてある。

いまや、リハビリテーション界はすさまじい変革の嵐にあっている。
その嵐の波にもまれそうな利用者さんたちを守るのに必死だ。
ここを死守して、生活の頼りとしなければ・・・、
と思う。

一生懸命は、これはきっと自分をさすのだろう。
自分が懸命。確かにそうかもしれない。
だが、自分だけが懸命であればいいわけではない。

私の技術を待ってくれている人たちがいる。
だって私は理学療法士だから。
だから、理学療法士という「一所」で、今の職場という「一所」で、
職場の中の中で与えられた次の「一所」で懸命でありたい。

何が言いたいかって?(笑)
よく回りくどいって言われます(苦笑)

つまり、異動になって、次の一所は特養。
特養に専従として、後進(新卒PT・OT)のフォローをしながら育てなさいと
今日業務命令があった。

確かに丸4年、訪問を中心に働いた。
次なるステップも良かったと思う。
私にとってはいい異動と思う。

だが、利用者さん(訪問や身障)の方にはチト説明がムズカシそうだ・・・(汗)

私でないといけない、そういってくれるのはうれしい。
だが、私もマンネリ化してしまう。目が曇る。支える柱も腐り始める。
したがって支えられなくなる。それは怖い。

移行期間1ヶ月をもらったので、じっくり・ゆっくり進めて行きたい。
そして、次なるステップへ!!

「背中」の意味

2006年03月23日 | ケアの話
今日は施設内研修。
先ほど帰って来た。

さて、その研修会。主には接遇の話だった。
ケアとは何か、介護されるということ、老いるということ、
そういった介護総論を話された。

多くは共感できる話だった。

その話の中で、「背中」の話が出てきた。
この講師の方が、お宅を訪問した時に、利用者さんから聞かれたとの事。

「あんた、「背中」がなんであるか、知ってるか?」

「背中はなぁ、一人ではうまいこと掻くことができんだろ?
それに、体のほかのところは、人にさわられても気持ちいいもんじゃない。
背中だけは、人に洗ってもらったほうが、気持ちいいんだ。
神さんはわざと人間にそういうところを作ったんだ。
人が一人では生きられんということを忘れんように・・・」

なるほどなあ・・・、人の世話が気持ちいい所、か・・・

今現在の日本の状況はどうだろう?
自己決定の名の下に、個人がもてはやされ、何でもかんでも自分で始末しろ、
それが世のためだ、という風潮を感じてならない。

介護予防もそうだ。
できるだけ家族・他人の世話にならないように筋力強化をしろ、
できるだけ病気になるな、お金がかかる・・・

なんだかベッドで寝ていたら悪いみたい。
一人で歩けなかったら、悪いみたい。
ご飯を飲み込む時、むせたら悪いみたい。
タバコもお酒も生活習慣病・・・

「自立」と「予防」の一人歩きのような気がする・・・
もちろん、それが前提なのはわかる。
が、だれも病気になろうと思ってなったわけでなく、
だれも好んで介護状態になったわけではない。

医療・介護職がやらねばならないこと。
それは自立をたきつけるのではなく、
「背中」の存在を知ってもらうことなのかな・・・?

人の手が気持ちいいと感じられる介護。
病気になっても、介護状態になっても、自分が自分であるように暮らしたい、
それを手伝うよなケアを、リハビリテーションを展開したいなあ・・・
と感じた研修会でした。


では、どうするか?

2006年03月22日 | リハビリテーションの話
晩ごはんはカレーライス。
カレーはどうしても食べ過ぎてしまう・・・

さて、医療・介護保険、両制度の改定が間近である。
そろそろ準備も押し迫ってきた。

ここで、少し整理をしてみたい。

【病院のリハビリテーション】
・発症から一定期間での日数制限がある。
・「脳卒中」「運動器」「呼吸器」「心臓」の4類型に分類される。

【在宅でのリハビリテーション】
・訪問看護ステーションからのリハビリテーションは、
 今後制限が課せられる可能性あり
・病院からの訪問リハビリテーションは、絶対数が少ない?
 今後、増える可能性(大)

【通所でのリハビリテーション】
・通所介護(ディサービス)でも、理学療法士・作業療法士のかかわりがふえる。
・通所リハビリテーション(ディケア)では、
 リハビリテーションマネージメント加算、短期集中リハリハビリテーションなど、
 一層厚みを増したといえる。

ざっと簡単にまとめてみました。
【視点その1:保険者】
保険者から見れば、国の財政・保険機構の財源が不足を懸念される今、
今のシステムをどうにかやりくりし、総量規制を図りたい。
とするなら、在院日数(日本が約36日、諸外国が10日以下がほとんど)
を削減したい。

それには社会的入院ともなりがちな療養型を廃止し、
慢性期・維持期といわれる患者さんたちを「介護保険」へ移行をはかる。
そうして病院が病院としての機能(生命の保全)を高めることへシフト。

リハビリテーションについては、メンテナンスの部分については、
介護保険へと流れを作った。
例えば老人保健施設でのリハビリテーションの評価や
病院からの訪問リハビリテーションの誘導。

【視点その2:リハビリテーション従事者】
リハビリテーション従事者としては、評価を下げられたとの思いが強い。
前回の改定で一日担当患者数の制限から単位数の制限となった。
そして今回、リハビリテーションの日数そのものが制限となった。

単位制導入前の収入と比べると、かなりの減収になった。

だが、「治療」部分と「メンテナンス」部分の区分けが今まで不十分で、
公的資料の中で「漫然とリハビリテーションが行われている事実がある」
と評価される事となった。

課題としては、このメンテナンス部分のエビデンス(根拠)をしめし、
医療は「治療」としての、介護は「メンテナンス」すなわち
生活機能維持としてのリハビリテーションを示していくことではないだろうか?

【視点その3:患者さん・利用者さん】
あまりに急激な社会保障の変化のため、混乱をきたされていることと思う。
いままで病院でメンテナンスを受けてきたが、それも制限されることになり、
では訪問看護からのリハビリテーションを・・・となると、
今後制限を示唆する公的資料がある。

病院が無理なら、通所で・・・、
と思われても、今現在空きがほとんどない状況。
病院からの訪問リハビリテーションは絶対数が少ない。今後は増えると思うけど。
訪問看護からのリハビリテーションも制限されるとなると、
今まさに、制度の谷間となってしまった感がある。

本当に申し訳ありませんm(__)m

制度の激変が、患者さん・利用者さんに押し寄せてしまった格好だ。

【life-reha-careの視点:どうするか?】
では、life-reha-careとしてどうするか?
私は訪問看護ステーションから訪問リハビリテーションに出ている。
そのため、今回示唆されている訪問看護からの訪問が制限されると、
約半数の方が受けられなくなる。

ただ、それならそれで、やっていくしかない、と思う。
いまある制度の中で、最大限のことを行い、
上記にあげた3つの視点を思いながら、
常に今「どうするか?」を考えて行きたい。

その結果、患者さん・利用者さんのためになったらなあ・・・
そうしないといけないな、なんて思うのでした。

大盛り

2006年03月20日 | ケアの話
3月も後10日・・・
新制度の対応、できるかしら・・・?

さて、大盛り。
何の大盛りか?

正解はご飯の大盛りです。

どうしても、ご飯を大盛りにしてしまう方がいた。
大盛りも、ただの大盛りではない。

すべてのおかずを、ご飯茶碗に入れて大盛りにしてしまうのだ。
酢の物も、魚のフライも、汁物も、すべて一緒に入れて大盛りにしてしまうのだ。

うぅむ、なぜだ?

はたから見ても、美味そうには見えない。
実際、そうなんだろう、結局残される。

そこで、ご飯をお粥にしてみる。

だが、結局大盛り&残される。
原因わからず、しばらく放置する。
しかたない、ケアスタッフには皆目見当がつかない。

ある日、同じテーブルで食べてるAさんからお呼びがかかる。

「ちょっとちょっと・・・」
「あの、お粥にふりかけをかけたら、案外食べるかも・・・」

ん?なんで??と聞いてみる。

「この間、味付けご飯が出たとき、お粥も味付けご飯のお粥だった。」
「てことは、ご飯に味がついてるんでしょ?」
「だったら、ふりかけで味をつければ、食べるんじゃない?」

はぁ~・・・そうかも!
早速ケアスタッフと相談してみる。
そして、試してみる。

今も定番の「猿蟹合戦」のふりかけを買ってくる。
病院の売店では定番かもしれない(笑)。

実際、かけてみる。
ドキドキの瞬間だ。

「今日はふりかけをかけてみました。食べてみてください」
そう、提供してみる。

お粥を一口、おかずを一口、汁を一口、結局、大盛りにすることは無かった。

何だろうなあ・・・
結局、難しく考えすぎるのかなあ?
ご飯に味がついてないから、「大盛り」かぁ・・・
気付かなかったなあ・・・

でも、それにAさんは気付いたのだ。
入所者さんが気付いて、スタッフが気付かない・・・、私を含めて。

高次脳機能とか、認知症とか、そんな難しく考える前に、
「味があるか?ないか?」

これが普通だよなあ・・・
なんて思ってしまったのでした。