Lele de bea Blog

Lele de beaレレデビーのブログ
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正岡子規 の 歌詠みに与える書

2015-09-27 | 作詩
800年前、鎌倉に暮らしていた源実朝が遺した「金槐和歌集」っていうのがあるのですが、実朝の評価を上げたのが、江戸時代の賀茂真淵、明治時代の正岡子規などです。


実朝評論読むとたいてい正岡子規のことが出てきます。

正岡子規が「歌詠みに与える書」の中で、実朝を絶賛しているのです。

「実朝といふ人は三十にも足らで、いざこれからといふ処にてあへなき最期を遂げられ誠に残念致し候。あの人をして今十年も活いかして置いたならどんなに名歌を沢山残したかも知れ不申候。とにかくに第一流の歌人と存ぞんじ候。」



ただ、この後に続く正岡子規の実朝評は偏りがあるかなぁ…。ちなみに賀茂真淵も教科書に出てきたりで名前は有名ですけれど、そんなにセンスがある人ではない…です。



ところで、先日、偶然に、この「歌詠みに与える書」が収めらた正岡子規の全集第6巻(昭和4年発行初版本)をいただいたんです。


実朝以外にも多くの人の評論をしていて、正岡子規すごい勉強家……。

面白そうなんですが、ただ、明治時代の本は言葉が今と違うので読むのに一苦労……。
現代語訳じゃないと読めん^^;













オダサガの公民館図書室

2013-01-28 | 作詩
本文こんにちはー(`_´)ゞ

30日は付き添いで行ったオダサガ小田急相模原のサウザンロードという
ところにある公民館図書室でお昼過ぎから4時間過ごしました📚

ある人の回想の本を読んだのですがー
4時間で68ページまでしか読み進めなかった(>_<)

本を読む時は気になる文章を大抵メモ
しながら読むのですが、メモ帳を持っていなかったためiPadにメモしたのですが、思いの外 入力に手間取りってしまいました( ̄▽ ̄)

でもいつもと違う不慣れなやり方で文章を書き写すというのは、 結果 文章を 何度も噛むように読み返すに似ていますね。



宇宙の地図~宇宙を見れば、過去・現在・未来も見える。

2012-02-08 | 作詩

宇宙の地図、という本を読みました。三鷹の天文台から10mの0乗・1乗・2乗・3乗とだんだん天文台から遠くに離れていくとどういうものが見えるか、という内容です。

読んでいて、天文台から宇宙の果てに向けて飛び立ったような気持ちになりました。


10の乗が天文台で、10の1乗が天文台から10m。2乗で100m上空からの図。
次1000m、その次1万m・・・っと進んで、10の8乗メートルで地球全体が見えて、10の9乗で月の軌道が視界に入り、10の13乗で太陽系の惑星が全部、10の17乗(10光年)で恒星の世界。

10の21乗メートル(10万光年)で銀河系全体が見え、10の24乗で沢山の銀河が銀河団として群れ状になっているのが見え、10の27乗までいくと1000億光年で宇宙の誕生(13,700,000,000年前)よりも広い視野になるので、宇宙全体を見ることが出来ました。

写真が豊富で、星や星雲、銀河の写真の美しいこと。

「宇宙」の宇は空間を表して、宙は過去・現在・未来を現しているんだそうです。
宇宙には過去・現在・未来もある、、、、本当にその通りだわ、と思いました。


詩心

2011-08-10 | 作詩
昨日8月9日は日本の歴史上の詩人・歌人のなかで、自分がもっとも憧れている源実朝の誕生日でした。 

この実朝の歌を読むと、学識の豊富さと、物事の本質を見抜く鋭さ、にため息ものです。
あの血なまぐさい中世鎌倉にあって、優しい心、素晴らしい感覚を持っているのが不思議なくらいです。

中世の詩人は定家とか西行が有名ですが、もちろんこのお二人も学識豊富のとんでもなく秀才なのですが、自分が感ずるに、定家の歌はサロン的、今で言うセレブが喜びそうなスタイルで、西行はちょっと気取った演歌みたいな感じ。

実朝も本当にとびきり頭のいい勉強のできる人だったのは間違いありませんが、作歌のほうは、決まりごとをあまり躊躇せずに破ったり、純粋というのか一見、稚拙とも思える表現をしたり、気取った言葉の使用を避け、また、直感のフィーリングを大事に自分の感じたことを素直に表現しています。

まあ、当時ド田舎の鎌倉住まいとはいえ、征夷大将軍で源家のおぼっちゃん、という育ちもあり、また歴史上、もっとも陰険陰湿な政治家といわれる北条家の面々とのイザコザを思えば、詩の世界は実朝が自由になれるただ一つの場所で、詩の世界の決まりごとなどは破ったって殺されるわけじゃないし・・。

彼にとって、作詩のルールよりも、作品の出来栄えのほうが重要だったようです。


例えば「こころ」という言葉、当時関東では方言で「けけれ」と言っていたそうです。 

田舎者なら京言葉の「こころ」を使いそうなものですが、実朝はわざと田舎言葉の「けけれ」を使って歌を読んだりしています。
京都に憧れて、武家の娘を自ら断ってまで、天皇の妹を嫁に迎えた実朝の言葉選びとしては、何故?とも思えるのですが、

「けけれ」の音の響き(当時は言霊信仰がまじめに考えられていた)、歌全体で見た時の落ち着き感など、彼のセンスが「こころ」よりも「けけれ」を選ばせたのでしょう。



○玉くしげ 箱根のみ海 けけれあれや ふた国かけて 中にたゆたふ


"玉くしげ"は枕詞で、"み海"は"水海"で、湖のこと。
"箱根のみ海"は、芦ノ湖のことになります。
"ふた国"は、伊豆と相模の二国のことです。

山に登ったとき、大きな湖があると、思わず何故こんなところに大きな湖が?!っと感動したことは、どなたにもあると思います。

実朝も箱根の神社を目指して、箱根の急な峠を上ってきたら、なんとも大きな湖が目の前に広がっていて、不思議なくらい静かに水をたたえている。そんな情景を見た時の自分の感動を表現してると思います。
自分は芦ノ湖へ行くたびにこの歌を思い出します。



○大海の 磯もとどろに 寄する浪 われてくだけて さけてちるかも

磯に打ち付ける荒波を表したものですが、もうこれ以上の表現はないだろう、と思います。
「割れて砕けて裂けて散る」とよくも観察し、言葉で表せたものだと思います。

2019年が実朝没900年なので、あと8年。