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ジョージィのおとなりさんたち

【個人史】「人生って、とっても楽しいもの」
そんな風に感じている今日この頃。Blogでメモっておきたい。

国旗国歌、東京地裁の違憲判決と東京都の姿勢

2006年09月22日 23時07分56秒 | 格差社会と政治
入学式や卒業式で東京都の教職員が「国旗に向かって起立」「国歌斉唱」するよう強要した東京都教育委員会に、東京地裁が違憲判決を出した事に対して、石原都知事は抗告の構えだ。

私は地裁判決を支持 しているから、石原都知事こそ現場を理解していないと云おう。

確かに私が幼少の頃は 一般家庭でも国旗掲揚 の習慣は残っていた。
また何か行事が有るたびに 皆が白い紙に赤く日の丸を描いて小旗を作っては沿道等で振って応援や歓迎をしていた。それは確かである。

しかしいまは、どれだけの家庭が国旗を掲揚し、国歌を斉唱するか? 皆無である。
その必要性を見いだせないでいるのが現状だ。
なぜか?
自民党や政府関係者などを顧客とする(政治団体)右翼 がその思想的行動で、
我が国の 日の丸国旗と天皇 を汚しているからに他ならない。

最近はあまり見かけなくなったとはいえ、中華学校への発砲事件や加藤(元)幹事長宅への放火事件等、いまでも暴力的な存在感を露わにしている。
彼ら右翼(団体)の暴力的行動を見てきたせいで、自宅で国旗を掲揚しようものなら 右翼 と間違われるかも知れないとさえ思うのだ。

政府は右翼を利用し自分たちに反対する組織・団体などに妨害を加えてきた。
そのおかげで、
我らに日本国民としての 国旗や国歌 に違和感を感じさせておきながら、今度は 軍国思想 傾倒者たちが、われらの子供達に 国旗と国歌を押しつけようとするのか?!

まずは自分たちを正せ。われらに 日本人で有ることの誇りを..、争いではなく平和を推進する日本に暮らすことの喜びを..、
お前達為政者の言動と結果によって知らしめよ。

われら国民が 国旗と国歌 について、学校行事の常と考え始めるのはそれからである。

「 もったいない 」は、公費無駄遣いの為の魔法の呪文

2006年09月22日 16時14分17秒 | 格差社会と政治
日本人は「もったいない」の言葉に弱い。

私の仕事柄、様々な企業から意見を求められる機会がある。
そもそも私に声がかかるのは、他者が手を尽くした後だ。最後のチャンスの状態が多い。
どこの大手も「失敗」なので、誰でも良いから一応は聞いてみようという事らしい。

いくつかの聞き取りと調査ポイントを調べてから、私の判定は早く、クールだ。
『最初からやり直すなら(あるいは一から任せてもらえるなら)引き受ける』と答える事がほとんどである。
素人仕事には BASE(基礎)の造りに誤りが出る。
だからいくら改修しても『腐った基礎には強固な砦は築けない』のだ。

しかし経営的損得計算の苦手な日本は、それまでの投資を諦めきれない。
「いままで支払った金がもったいないでしょう」と云われれば、直らない改修にいつまでも金を出し、
「新しいものが買えた..」と後悔するまで追加投資を続け、ついには不具合を隠しながら使い続ける。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この日本的文化は、政治や行政でも『手法』として使われる。
ひそかに資金を捻出し、先行着手さえしてしまえば、後で反論が出ても「もう始めています。これだけ使いました。いま止めると投入金がもったいない」と税金の無駄遣いを続けられる。

いよいよ責任を問われても、(懲戒ではなく)辞職さえすれば、損害金の賠償さえも問われることがない。
そして『ビッグ・プロジェクトを推進した立役者』としてのハクまでつく。

だから 税金の無駄遣い は(笑いが止まらず)やめられない。

新聞は郵便屋さんが持って来る

2006年09月22日 10時27分32秒 | Weblog
私が産まれた祖父母の家は山の中にあった。

一番近い隣家が50m先の山の手前の本家宅、その次に近い家でも反対側100m以上離れた場所に建っているから自然には恵まれた田舎である。
なにせ 私は地方出身 である。このような住居環境は普通だ。
それだから、
同じような住環境の米国勤務から帰ってきたときでさえ日本の都市部はあまりにも密集していて息が詰まりそうな感覚を覚えた。

私が小学校高学年の時だったか、
夏休みなどで祖父母の家に遊びに行くと毎日毎日郵便屋さんが祖父母の住所を記した帯封のかかった新聞を持ってきた。
しかも前日の新聞だ。

なにせ祖父母の家からバス停のある国道まで3~4Km。直線の山道を歩いても30分はかかる。新聞屋さんは集金には来ても、配達には来ない。

祖父母はとうに亡くなっているので懐かしい想い出となったが、現在でもそのような地域が日本各地に有ると聞いて驚いた。

国旗国歌、東京地裁の違憲判決に小泉首相の疑問

2006年09月22日 02時25分47秒 | 格差社会と政治
入学式や卒業式で東京都の教職員が「国旗に向かって起立」「国歌斉唱」するよう強要した東京都教育委員会に、東京地裁が違憲判決を出した。
この判決に対して小泉首相は疑問を投げつけているという。

この問題は大変繊細な問題であるが、私は 東京地裁判決を歓迎する。

ここしばらく、
裁判所判決が報道されても重大な社会事件ほど 小泉政治に右にならえの判決ばかりであって、自民党(と公明党)が多数を占める国会運営と共にその方向性は政府と一体だと強く感じていた。
3権分立の正義は日本から消えたと嘆いていたところだ。
ところが今回の違憲判決で、司法には正義が残っていたと理解できた。

教職員らの国旗・国歌に対する反対行動はいまに始まった訳ではない。
戦前・戦中の日本が、日の丸(国旗)や天皇・靖国神社 を象徴化し、
植民地化した大勢の台湾人らを含め日本の一般国民を多数戦場に送り込み、その尊い命を奪う為に用いられた 「思想統制の為の『材料』」 であるからだろう。

戦争を知らない 団塊世代 はもちろん、我々の世代でも両親らは当時の『国民学校』の様子を語り知らせて来たはずだ。
暴走した軍部が天皇の権威を利用し、国民から自由思想を奪い、幼いときから学校で「国家(実は軍部)に従え」と教え込むために利用した材料が国旗と国家である。
その不正な任を押しつけられた教師らが語り伝えて、軍国主義国家の歴史(当時の象徴)に不快感を表すのは当然のことである。

首相にしてみれば、教師らを押さえ込まない限り 日本を軍国主義国家に復古 させている小泉改革にとっては大きな障害である。

日本が軍国主義に戻っても、自分たちの自由は謳歌できると安易に思っている若者は誤りに気づくと良い。
これは我々自身の自由を護る為の闘いなのだ。