讃久邇新京歌二首(并短歌)
明津神 吾皇之 天下 八嶋之中尓 國者霜 多雖有 里者霜 澤尓雖有 山並之 宜國跡 川次之 立合郷跡 山代乃 鹿脊山際尓 宮柱 太敷奉 高知為 布當乃宮者 河近見 湍音叙清 山近見 鳥賀鳴慟 秋去者 山裳動響尓 左男鹿者 妻呼令響 春去者 岡邊裳繁尓 巌者 花開乎呼理 痛□怜 布當乃原 甚貴 大宮處 諾己曽 吾大王者 君之随 所聞賜而 刺竹乃 大宮此跡 定異等霜
現(あき)つ神 我が大君の 天(あめ)の下 八島(やしま)の内に 国はしも さはにあれども 里はしも さはにあれども 山なみの よろしき国と 川なみの たち合ふ里と 山背(やましろ)の 鹿背山(かせやま)の際(ま)に 宮柱(みやばしら) 太敷(ふとし)きまつり 高知らす 布当(ふたぎ)の宮は 川近み 瀬の音ぞ清き 山近み 鳥が音響(ねとよ)む 秋されば 山もとどろに さを鹿は 妻呼び響め 春されば 岡辺(をかへ)も繁(しじ)に 巌には 花咲きををり あなあはれ 布当の原 いと貴 大宮所 うべしこそ 吾が大君は 君ながら 聞かしたまひて さす竹の 大宮ここと 定めけらしも
新都・恭仁京(くにのみや)を称える歌二首(並びに短歌)
「現人神(であられる)、我らが(聖武)天皇の、天下である。八洲国(やしまくに=日本)の国内には、くには、多くあるけれど。里も、多くあるけれど。山脈の見事なくにであると。河川が、合流する里であると。
“山背の”鹿背山(布当の山)のきわに、宮殿の柱をりっぱに構え、高くそびえる、布当の宮(=恭仁京)は、川が近いので、瀬の音が清らかに、山が近いので、鳥のさえずりが響く。秋になれば、山も轟かんばかりに、牡鹿が、つれあいを呼ぶ(声が)響く。春になれば、岡辺に密生するほど、岩に花が咲き誇る。
すばらしき哉、布当の原。いと貴き、恭仁の宮。いかにも当然だ、我らが(聖武)天皇は。皇尊らしく(宮人らの意見を)聞いて、“さす竹の”御所(皇居)をこの地に制定された」
●鹿背山:布当(ふたぎ)の山 京都府木津川市鹿背山
明津神 吾皇之 天下 八嶋之中尓 國者霜 多雖有 里者霜 澤尓雖有 山並之 宜國跡 川次之 立合郷跡 山代乃 鹿脊山際尓 宮柱 太敷奉 高知為 布當乃宮者 河近見 湍音叙清 山近見 鳥賀鳴慟 秋去者 山裳動響尓 左男鹿者 妻呼令響 春去者 岡邊裳繁尓 巌者 花開乎呼理 痛□怜 布當乃原 甚貴 大宮處 諾己曽 吾大王者 君之随 所聞賜而 刺竹乃 大宮此跡 定異等霜
現(あき)つ神 我が大君の 天(あめ)の下 八島(やしま)の内に 国はしも さはにあれども 里はしも さはにあれども 山なみの よろしき国と 川なみの たち合ふ里と 山背(やましろ)の 鹿背山(かせやま)の際(ま)に 宮柱(みやばしら) 太敷(ふとし)きまつり 高知らす 布当(ふたぎ)の宮は 川近み 瀬の音ぞ清き 山近み 鳥が音響(ねとよ)む 秋されば 山もとどろに さを鹿は 妻呼び響め 春されば 岡辺(をかへ)も繁(しじ)に 巌には 花咲きををり あなあはれ 布当の原 いと貴 大宮所 うべしこそ 吾が大君は 君ながら 聞かしたまひて さす竹の 大宮ここと 定めけらしも
新都・恭仁京(くにのみや)を称える歌二首(並びに短歌)
「現人神(であられる)、我らが(聖武)天皇の、天下である。八洲国(やしまくに=日本)の国内には、くには、多くあるけれど。里も、多くあるけれど。山脈の見事なくにであると。河川が、合流する里であると。
“山背の”鹿背山(布当の山)のきわに、宮殿の柱をりっぱに構え、高くそびえる、布当の宮(=恭仁京)は、川が近いので、瀬の音が清らかに、山が近いので、鳥のさえずりが響く。秋になれば、山も轟かんばかりに、牡鹿が、つれあいを呼ぶ(声が)響く。春になれば、岡辺に密生するほど、岩に花が咲き誇る。
すばらしき哉、布当の原。いと貴き、恭仁の宮。いかにも当然だ、我らが(聖武)天皇は。皇尊らしく(宮人らの意見を)聞いて、“さす竹の”御所(皇居)をこの地に制定された」
●鹿背山:布当(ふたぎ)の山 京都府木津川市鹿背山